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常夜さんの家を出て哀牙探偵と一緒に村内を歩き回る。
大きな山々に囲まれ、水を張った田んぼが広がり、村中につながっている用水路からはちょろちょろと水音が聞こえてくる。時間を忘れてしまいそうな長閑な村だ。あんな話さえ聞かなければ。
"鬼射祭(おにいりさい)"……常夜さんの夢と失踪事件が関係あるなんて、ちょっと考えられない。だって、夢でしょ?
「で、哀牙さん。これからどうするんですか? なんか結構あやふやな依頼って感じですけど」
「そうですな、とりあえずこの村にて歓迎されることにしましょう」
今後の方針を哀牙探偵が口にすると、前方から四十〜五十代くらいであろう齢の村人が三人ほど歩いて来た。田舎特有の訛りで挨拶をされる。
「どんも。こげな村へようさ来た」
「アンタら、常夜の友人じゃかろ? 村長が良けりゃお茶ばってん飲んでいがねかと」
「これはこれは、光栄なお誘いですな。ぜひ伺いたく存じますぞ」
哀牙探偵は快く受けて村人に付いて行くことにした。村長からの呼び出しだなんて、もしや早速怪しまれているのでは? だがここで断るのは更に怪しまれる。致し方ない。
村の中心まで来ると他の家屋よりも随分と大きくて立派な屋敷が目に入った。周りには生け垣があり、庭の池には錦鯉が優雅に泳ぎ、鹿威しはカコーンと気持ちの良い音を響かせている。渡り廊下を進んで客間に入ると村長夫婦や他に待っていた村人が私達を歓迎してくれた。
「わざにお越し頂いてありがどござでゃ」
「ささ、どうぞ座ってくれんね」
用意された分厚い座布団に正座をし、座卓を挟んで村長夫婦と向かい合う。先程案内してくれた村人達も私達を囲うようにして各自あぐらや正座をしている。お手伝いさんが四人分のお茶を座卓に置くと、ふわりと漂う茶葉の香り……常夜さんの家で飲んだものと似ている。
「こん村特産んお茶ですたい。肩ん力ば抜いてくれんね。こん村にお客しゃんは珍しいたい」
「なんもなか村ばってんゆっくりしていっちくれんね」
「はい、ありがとうございます」
村長夫婦の話は別段変わった所もなく、平和な村だとか空気が美味しいとか景色が良いとか村の名物はああだこうだとか、正直言って校長先生の話くらい眠くなるような内容だった。あくびが出そうだけど我慢我慢。
「あなたら常夜の友人ど聞いたけんども」
「可哀想に、あの子は両親ば事故で亡ぐしだ。友人だば、どうかよろしぐ頼む」
「ええ、勿論です」
常夜さんの話に移った途端に眠気が吹っ飛んだ。やはり村長達も彼女の境遇については同情しているようだ。儚く淋しげな笑みを浮かべる村長が、なんとなく常夜さんに似ている気がした。
「ところで、どこであん子ち知り合ったんだ? あんたなんて年も離れとうやろ」
「ええ、こちらの名前殿と常夜殿は大学からのご友人でしてな。今回は彼女がこの自然に恵まれた村を我にも紹介してくれたのですよ」
「ほお、そーかそーか」
村長の質問に内心ヒヤリとしたが、哀牙探偵がさも当然のように答えてくれたので心の中で胸を撫で下ろす。長年探偵をしているだけあって場慣れしている。すると哀牙探偵が壁に飾られている弓矢に気付き、問いかけた。
「おや、そちらにある弓矢は先程常夜殿の家で見たものと同じですな。確か儀式に使うものだとか」
「ん。鬼射祭だば。地獄から襲っちきよった二匹ん悪鬼ば神様に授けられた矢で射手が射抜く。しゅるっちそん鬼はもう二度と姿ば現すこと無く、村人は神に未来永劫守られ続ける伝承や」
"鬼射祭"……常夜さんから聞いた話だ。
「見応えありそうな催しですなぁ。もう見られぬのが残念ですが」
「なら今日は泊まっちいけばよか。明日ん夜、そん祭りのあっけん」
その言葉に私と哀牙探偵は目を見合わせた。常夜さんの話と違う。彼女は『五年前に神主と巫女が亡くなったからもう祭りはやっていない』と言っていた。一体、どういうことだろうか。
「祭りが、あるんですか?」
「んだ。古くから続いとる大事な祭りやけ」
「ちなみに鬼が二匹というのは理由があるのですかな?」
「"罪"と"悪"を表しちょる。この世の業を背負っちょるん」
悪鬼が二匹で、失踪者も二人。そして、射手に射抜かれた悪鬼はもう二度と姿を表わすことは無い。哀牙探偵は依頼内容と鬼射祭を関連付けたのだろう。
「して、祭りの射手はどなたが?」
「常夜だ。四年前からあん子がしよる」
「四年前から毎年ですか? 今年も彼女が?」
「そうや。やけど神主と巫女とは祭りの前に話ばしてはならぬんの決まりや。言葉には魂のあっけん。そこから鬼が潜り込むやもしれん。よかか、絶対に話してはならぬぞ」
村長に強く念を押され、先程常夜さんと祭りの話をしたことが脳裏によぎる。もっと詳しく話を聞きたいが、これ以上深入りしたら怪しまれそうで何も言えな――
「その祭りの後、人が居なくなったりなどはしませぬか?」
哀牙探偵の率直すぎる質問に、客間の空気が変わった。部屋中の全員に刺すような視線で見つめられる。凍りつくような空気に心臓がざわざわする。早くここから逃げ出したい。
「どげん意味だ?」
「いやなに、こういった昔ながらの因習は不思議な現象がつきものですから、ミステリイ好きの血が騒ぎましてな」
「村の伝統をオカルトや俗物と一緒にしなんな!」
「これは失敬。それで何か不思議なことは……」
「なか!」
村長が声を張り上げて否定した。室内は水を打ったように静まり返り、不穏な空気が流れる。切り替えようと哀牙探偵が湯呑みに手を伸ばすと同時に、「へっくしゅっ!」と私は大きなくしゃみをお茶にかましてしまった。衛生的な面で彼にお茶を飲むのを遠慮してもらう。
哀牙探偵の不躾な質問に加えて私の粗相……客間はどんどん空気が悪くなる。これ以上村長から話を聞くことは出来なさそうだ。やれやれと哀牙探偵は首を横に振ってスッと立ち上がった。
「では、そろそろお暇致します」
「んだ村の案内役ばってんつけましょーたい」
「その心遣いのみ有難く頂戴しますぞ。では失礼」
屋敷から外に出て、やっと緊張感から解放された私は大きな安堵のため息を吐き出した。ところどころ雑草が生えた舗装されていない剥き出しの地面を哀牙探偵と並んで歩く。それにしてもこの人、こんな田舎風景とは全くと言っていいほど似合わないな。
「心臓に悪かったですよ、哀牙さん」
「名前殿はもう少し自信を持ち、度胸を付けることですな。後ろめたさが態度に表れると怪しまれてしまう。それに我は"純粋"に気になった事を聞いただけですぞ」
「"純粋"……世界一似合わない言葉ですね。で、これからどうするんですか?」
「そっくりお返ししますぞ。それを知る為にも、もう一度常夜殿に話を伺った方が良いでしょうな」
私の嫌味にしっかり言い返しつつ次の目的を提示する哀牙探偵。同意し、常夜さんの家に向かって歩いていると哀牙探偵がピタリと止まった。どうしたんだろう。
「……否、予定変更ですぞ。名前殿お手を拝借」
「え?」
「逃げますぞ!」
「ええ!?」
哀牙探偵に突然手を握られ、わけも分からず一緒に駆け出した。村の外へ出て、森をかき分けるように来た道を戻っていく。引っ張られるまま大きな草むらに身を隠すと、やがて後ろから大人数の足音と声が聞こえてきた。
「どこさ行った!?」
「探せ! まだ橋までは行っちおらんはずだ!」
「絶対に逃がすな! 大事な"マトオニ"だ!」
また知らない単語が出てきた。"マトオニ"って何だろう。
草陰から相手を確認すると、先程村長の家で私達を囲んでいた村人が五人ほど居た。私達を血眼になって探している。
「マトオニ……"的鬼"という意味でしょうな。どうやら明日の祭りで射られるのは我々らしいですぞ」
「な、何でですか!? 私達は常夜さんの友人ですよ!?」
「とうに嘘偽りだとバレていたのですよ。さあ、こちらへ」
追っ手から逃れるように背を屈めて哀牙探偵に付いて行く。ようやく森を抜けた……が、私は目の前の光景に驚愕した。信じられない。来た時に渡った橋がどこにも見当たらない。
「うそ……どうやって帰れって言うんですか……」
「参りましたな……」
「居たぞ! こっちだ!」
しまった、見つかった! 呆けている場合じゃない、早く逃げないと! 哀牙探偵はまた私の手を引いて走り出す。そして周りを見回した後、一人崖の下へ跳んで華麗に着地した。
「名前殿、こちらへ!」
「ちょっ、結構な高さですけど!?」
「我が受け止めます故、早く!」
悩んでいる暇なんてない。追手が待ってくれるはずもない。近付いてくる追手の足音から逃れるように、意を決して崖から飛び降りた。体を浮遊感が包んでこのまま死ぬんだと思っている間に、哀牙探偵の腕にすっぽりと抱き止められていた。すごい……意外と逞しいんだ、哀牙探偵。色んな意味で心臓がドキドキしている。
横抱きにされた腕からそっと地上に下ろして貰う。乱れた呼吸を必死に押し殺し、崖下にピッタリと身を寄せた。やがて追い付いた追手たちが崖上から私達を探すよう見回すが、幸いここは死角だった。
「……くそっ、居ねえ!」
「まあ、明日ん祭りん準備は整っちる。橋は落としてあっけん逃げられんちゃ。あとはゆっくり捕まえればよか」
「ああ。これ以上村から失踪者出すわけにいかん。必ず奴らを"的鬼"にすんだ」
どうやら奴らは私達を見失ったようだ。末恐ろしい会話をした後、足音は遠ざかっていった。やはり橋を落としたのは村人か。
「何ともキナ臭いですなあ」
「キナ臭いどころじゃないですよ! 殺されるかと思いましたよ!」
「ご存命で何よりだ。どうやら村人達も気付いておるようですな、毎年村から出ている失踪者は的鬼に選ばれた者という事を」
「村ぐるみの犯行じゃないんですか? 常夜さんに内緒で祭りをして村から生贄を出してるーみたいな」
「その短絡的思考、実にナンセンスですな、人間の脳の使用率は10%というが、刑事は2%程度でしょうな」
だったら100%使ってとっとと解決してくださいよ、という文句をぐっと飲み込んだ。ここで彼の機嫌を損ねるのは危険だ。私が。
崖下の川沿いを歩く。橋は落とされ川の流れも速いため、向こう岸には渡れそうにない。
すると哀牙探偵が川に近付き、石に引っかかっている白い木の枝のようなものを手に取った。
「何ですか、それ」
「おそらく人骨ですな。上流から流れてきたのでしょう」
「ひえっ……!?」
哀牙探偵はその骨をそっと置くと両手を合わせた。私も同じように両手を合わせる。もしかしたら骨はこれだけではなく、もっとあるのかもしれない。
花の香りがふわりと漂ってきた。風上に目を向けると、ラッパが下向きになったような白い花が群生していた。
「この花の香り、村長の家で出されたお茶と似てます。常夜さんの家で出されたものと少し違う香りだなって思ってたんですけど、これだったんですね」
「これは"アンジェラ・パラドット"という花ですな。強い催眠効果を持つ植物です。人を操ったり眠らせたりするのに使われ、昔は犯罪に悪用されることが多々ありました。根には毒があり、最悪死に至る上、全ての部位を調合すれば違法なクスリにもなります」
「なんつー恐ろしいもんが咲いてんですか……もしかして村長の家に呼ばれたのって、最初からあのお茶で私達を眠らせて明日の祭りの"的鬼"にするつもりだったってことですか!?」
「でしょうな。貴女の機転に救われるとは、全く我としたことが……」
哀牙探偵、あのくしゃみがわざとだったの気付いてたんだ。ていうかそこ、悔しがるとこじゃないんですけど。
「では、村の調査を続けましょう」
「ええ!? 本気ですか!? てっきり逃げると思ったのに」
「本気と書いてマジですぞ? クックック、あれだけ大っぴらに逃げておきながら実はまだ村にいるなどと思うまい! 彼奴らの裏の裏を突くのだッ!」
確かにこの村は異物混入や生贄や違法植物など、事件のカホリがプンプンする。出来れば私は一刻も早く警察に連絡して身の安全を確保してから村全体を取り締まりたいけど、悲しいことにここは圏外だ。文明の利器である携帯も今やただのガラクタ同然。悔しいけど頼りになるのは哀牙探偵のみ。しかし素直に従うのは癪なので小さくツッコミを入れておいた。
「裏の裏は表ですよ」
手にコンパスを持って草木を掻き分けながら進む哀牙探偵についていくと、先程私達を追い掛けていた村人達を発見した。難しそうな顔をして何か話し込んでいる。
「……神主と巫女さえ居ればな……」
「やはり常夜では未熟なんや。四年前、儀式ん射手が常夜ん代に変わった途端に二人も死者が出たやちゃが」
「……ありゃ事故だ。村長も言うてたやろ」
「ばってん祭り用ん矢は全部矢尻を取っちゃろ? なして死人が出たんばい」
「知るかちゃ、結局こん件はうやむやのまま終わっちまったんだからな……」
何やら非常に興味深い話だ。
四年前の祭りで常夜さんが射手になった途端に死者が出た? "鬼射祭"は元々、人が死ぬような祭りではなかったのか。って、そりゃそうか。
「鬼ん呪いだ。やなきゃ祭りで人が死ぬわけのちゃが」
「おいやめろ。こん村に呪いがあっけんなかやろ!」
「ばってん、そいからだぜ? 毎年人が居なくなりよったん。なんで村長ば祭りを中止せん」
「人身御供て噂もあっけん……あん矢で射られた者は鬼の業ば背負う運命にあっけん」
「呪いだ……常夜ん両親が死んでから呪われちまっただ、こん村は」
「けどよ、神主と巫女は生かしちゃおけなかっただろうがよ」
"生かしちゃおけなかった"? まさか常夜さんのご両親が亡くなったのは事故ではなく事件だった?
「そげな言い方しちゃいかんと。ありゃ偶然ん事故だ。おい達が殺したんじゃなか」
「もうやめ、こん話は……。そいよりさっきの奴らば早く見つけちゃがっち……」
湿っぽい空気をまとわらせたまま村人達は村の方へと戻って行った。
「聞いたかな? 苗字刑事」
「ええそりゃもう、録音しておけば良かったくらいですよ」
「常夜殿は四年前の"鬼射祭"で射手に任命されたが事故が起き、"的鬼"の二名が命を失った。その後も毎年、常夜殿が射手として祭りは続いており、しかも"的鬼"になった二名が失踪している」
「なのに常夜さんは五年前から祭りは中止になったと言うし、五年前に亡くなった常夜さんのご両親の死に村人は関与している、と。……うう、もう頭がメチャクチャです」
「これらの謎を解き明かすためにも、まずは常夜殿の家へ向かいましょうか」
「……わかりました」
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Smotherd mate