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はじめに見たとき、宝石でできたひとみたい、と思った。
どこまでもクリアなペリドットの瞳。
ラピスラズリの髪の毛。同じ色の、濃く長い睫毛。
薄い肌に飾られた宝石の数々が、ありったけのひかりを集めて、きらきら、きらきらとかがやいていた。

母親のアクセサリーをほしがるちいさなこどもみたいに、わたしは伊之助を見つめた。
わたしの興味と欲望のすべてを、伊之助はあの瞬間にさらってしまったのだ。
先生は教えてくれないこと、教科書には書いていないこと、ほかのひとの知らないこと、おとなも知らないこと。
伊之助はたくさんのことを知っていた。
そして、わたしの知る多くのことを知らなかった。


「伊之助、前を留めて」
「なんで」
「風邪をひくといけないでしょ」
「ひかないから平気だ」

わたしのとめたボタンを、伊之助はとめたそばからはずしていく。
深くなる冬を肌で感じる、木枯らしの冷たい季節だ。
ただ心配なだけなのに。
わたしたちは大抵こうしてわかりあえないでいる。


「ひとにばっか言ってねぇで、おめぇも上まで留めろよ」
「これはおしゃれなの、伊之助、留めないで。伊之助、もう」

おかしくなって笑うと、伊之助も口角を吊り上げて満足げに笑った。
でもそれはきっと赤んぼうの反射のようなもので、わたしたちふたりは決して同じ思いで笑い合っているのではなかった。
わたしはおかしかったから笑った。わたしが笑ったから、伊之助は笑ったのだ。おかしかったからではない。
わたしたちはいつも噛み合わない。


伊之助は山で猪に育てられたという。
真偽のほどはわからないけれど、そうでもなければ、あの浮世離れした荒削りなうつくしさの説明がつかないと思った。

伊之助。
ふとしたときの懐かしむような遠いまなざし。
呼び止めたときにたまに見せる、こころをどこか別のところに置いてきてしまったような、うつろな面持ち。
瞬きのあいまに消えてしまいそうなうつくしさ。
裏表のない粗雑さ。
やわらかそうなのに触れるとかたい肌。


「伊之助、すき」


西日の差す教室から出て行く後ろ姿を見てなぜだか無性に不安になってしまったわたしは、思わずその背中に突拍子もない言葉を投げかけた。
身体中から血の気が引いていくのがわかる。
なんてことを言ってしまったのだろう。

いつかふらっといなくなってしまいそうで、元いた世界に帰っていってしまいそうで。
そうではないとして、この世界のことを知れば知るほどわたしのすきな伊之助がかたちをなくしていってしまう気がして、そのうつくしさが損なわれていくような気がして、とにかくわたしは今の伊之助に今すぐすきだと伝えないといけないという気持ちになったのだ。
自分のなかにこんなにも野性的で本能的な衝動があることを、わたしは今はじめて知った。


伊之助は振り返って、わたしのすきな、こころここに在らず、という顔をしてから、片手でぐしゃりと前髪を持ち上げてしばらく斜め上を仰いでいた。

「おれのなにがいいんだよ」
「伊之助、わたし……その」
「合わねぇよおれら多分」

伊之助は先生たちが通り過ぎるのを待ってからはっきりとそう言い放って、わたしが言い淀んでいるうちに、お弁当箱を担ぎ直してそのまま教室を出ていってしまった。
姿が見えなくなってすぐに、帰んぞ、と荒っぽい声が聞こえた。

わたしには、伊之助をすきな気持ちがどこから溢れ出たものなのかわからなかった。
きれいだから、変わっているから、浮世離れしているから、興味深いから。
どれもあっているようで、どれも違う気がする。
伊之助といるときのここちのよさのわけはどこにあるのだろう。こんな気持ちははじめてなのだ。
こんなわけのわからない、理由も底も見えない気持ちは。

「ご、ごめんね、伊之助」
「別に。許す」
「……ありがとう、ごめんね」
「許すって言ってんだろ」

下駄箱に靴をしまうわたしを、伊之助は退屈そうに待っている。
拭きすじの残った玄関のガラス戸にもたれかかる姿は息を飲むほどうつくしい。

冬のにおいがする。鼻の奥を突き抜けて行くような透明でつめたいかおり。
ほんのすこし据えたほこりのような、駅のホームのような、古い木のような、どこか懐かしいかおり。

「すきだぜ。おれも。でもお前のすきとは多分違う。そんくらいわかんだろ」

わたしはうんともすんとも返せなかった。

「冬のにおいだ」

低くがさついた声で呟いて、伊之助はまた歩き出した。
天の川のような髪の毛がさらさらと揺れた。
細い髪の毛の一本一本が星を散りばめたみたいにかがやいていた。

校舎の外は、屋内よりももっともっと濃い冬のにおいがした。
笑顔の理由もたいせつに思う理由も違うなか、それだけがわたしたちが同じように感じた唯一のものだった。