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わたしが唐突な告白をしたあの日から一週間とすこしが経ったけれど、わたしと伊之助の関係はなにも変わらないままだった。
あれから何度も何度も伊之助のことを考えたけれど、すきという気持ちばかりが先行して、理由の所在は一向にわからないままだ。

わたしのすきと伊之助のすきは違うと、伊之助は言った。
わたしのすきがどういう色かたちをしていて、伊之助のすきがどういうものなのか、伊之助はわかっているということだ。
やっぱり伊之助は、わたしの知らないものをたくさんたくさん知っている。

わたしは伊之助に、留年しないよう、将来の選択肢をすこしでも増やせるようにと勉強を教える。
伊之助は、星の巡りや天気の動き、蝶や鳥や花の名前を教えてくれる。
わたしは簡単な料理や家事のやり方を教える。
でも、おいしい野菜の見分け方は伊之助のほうが詳しかった。


いつものように、今日もわたしは伊之助の隣を歩いている。

「泣いてる」
「泣いてる?どうしたの、伊之助」
「迷子だ」

伊之助は立ち止まって呟くとわたしにお弁当箱をずいと押しつけ、弾けるように駆け出した。
坂を全速力で下り、そのまま突き当たりを曲がっていって見えなくなってしまう。
曲がり角で伊之助の残した風が枯れ葉を揺らす。

「伊之助!待ってえ、伊之助!」

わたしはすこしおおきめのローファーをぱこぱこ鳴らしながら懸命に伊之助の後を追う。
角を曲がってすぐのところに伊之助はしゃがみ込んでいた。
傍らにはちいさなおとこのこが蹲っている。
肩で息をしながらわたしは伊之助とおとこのこを交互に見た。
伊之助は泣いているおとこのこの頭に片手を置いて、怒るでも笑うでもなく、重たそうなまつ毛に縁取られた瞳を気怠げに開けていた。

「泣くな。親がいなくたって死なねぇ。生きていける」
「ごめんね。このおにいちゃん、やさしいのに口が悪いの。誰といっしょに来たのかな、みんなでいっしょに探そう」

目線を合わせるように屈み、かたく膝を抱いたおとこのこの片手にそっと触れる。
泣き声は一瞬わっとおおきくなって、そしてだんだんと落ち着いていった。
やわく指先を握り返してくれたおとこのこの手を取ってあたりを見渡したところで、すこし先の公園から目を赤く腫らした女性が声をあげて駆けてくるのが見えた。
おとこのこの紅葉のようなちいさな手のひらがかすかなぬくもりを残して離れていく。
ふと見上げた伊之助の横顔は、眩しいくらいのぴかぴかの笑みで飾られていた。


「どうして迷子だってわかったの」
「わかんだろ。ふつーに」
「やっぱり、伊之助はすごいね」
「でも、泣き止ませたのはお前だ」

伊之助は、平々凡々なわたしの、長所にもならないなんでもないところを汲み上げて認めてくれる。
わたしが伊之助のすてきなところにたくさん気がつけるように、伊之助はわたしのいろんな面をたくさん見つけて褒めてくれる。
うまく言えないけれどわたしは伊之助のこういうところがだいすきで、そしてそこがいちばん引っかかるところだった。

じゃあだって、こうして一緒にいるうちに考え方が似てきたら、わたしが伊之助に寄っていって、伊之助がわたしたちの世界にうまく順応していってしまったら。
わたしたちふたりの感性に、たいした違いがなくなってしまったら。
わたしも伊之助もお互いに見つめあったって特段気に留めるところもない、その辺の学生のなかにぼんやりと馴染んでしまうような人間に成りはててしまったら。
そうなってしまっても、はたしてわたしたちは一緒にいるだろうか。


「伊之助。伊之助はもうひとりぼっちじゃないよ、みんながいるよ。わたしもいる」


伊之助。
迷子を慰める顔はすこし物憂げだった。
親がいなくても死なない。生きていける。
それはきっと、おさないころの自分を思い出しての言葉だったに違いない。
元気づけるのではなく、しずかに諭すような横顔。
伊之助はどんな気持ちでどういうふうに幼少期を過ごしたのだろう。
その宝石のような瞳で、どんな世界を見たのだろう。