夜はこれから

「冨岡さんはだめよ、恋人がいるでしょう。見ていればわかるわ。仕事のしかたとか。わかりやすくって、むしろ親切なくらいよ」

飲み会の前の話題は、女子も男子も似たり寄ったりである。
ごはんの話、お会計の話、二次会の話、席の話、恋の話。
オフィスでの会話はどれも目のまわる勢いで転がり続ける。共通の話題がすくないもの同士のトークは、回転率がいのちなのだ。
義勇さんの名前が飛び出してきてわたしはついきょとんとしてしまったけれど、いけない、と思ったときには彼女たちの薄い興味はすでに別のことがらへと移っていた。こういうときは、曖昧に笑えばなんでもごまかせる。


賑わう居酒屋の広い個室に通されたわたしたちは、宇髄さんのお達しに倣って、上座下座も関係なしに着いた順から奥のほうへ詰めて席に着いた。
わたしは居酒屋お決まりのフレーバーウォーターのように薄いカクテルを飲みながら、となりの義勇さんをちらりと横目で盗み見る。

「ビールも薄いんですか」
「薄くないが、発泡酒だろうな」
「発泡酒とビールは同じじゃないの?」
「厳密にいうと違う」

ないしょ話のように切り出すと、義勇さんもしずかに答えてくれた。
たくさんの音がぶつかりあう騒々しさのなかでも、わたしは義勇さんの音をじょうずに拾うことができる。
ほかのおんなのこにはむずかしいだろうと思えば得意げな気持ちになって、わたしは景気よくだし巻き卵をつついた。

「一口飲むか」
「リップがついちゃう」
「今更」

お手洗いへ向かうおとこのこが後ろを通って義勇さんとの距離がぐっと近くなる。
鼻先にだいすきなかおりを感じる。そのまますり寄ってしまいたくなる。胸元へ額をすりつけて、頭を撫でてとねだりたい。
うちへ帰れば、わたしが義勇さんの身体を、義勇さんがわたしの身体を自由にできてしまうということを、この場ではわたしと義勇さんのほかにはあと何人かしか知らない。
なんだかいけない重大なかくしごとをしているような気になって、背徳感や性的興奮にも似た得も言われぬ妙なスリルが、胸のうちでむくむくとおおきくなっていく。

テーブルの下でそろそろと手を伸ばし、義勇さんのかたい太ももに触れてみる。まもなく、その上からおおきな手のひらが重ねられて、わたしたちは流れるような動作でごくゆるく指をむすんだ。

「おうい、おまえら二次会行くよなァ」

宇髄さんが叫ぶ。義勇さんが頷く気配を感じたから、一拍遅れてわたしも頷いた。
二次会、三次会、となると他部署の上長がどんどんと増えていき、しまいには身内飲みのようになって誰かのおたくへ転がり込むのがお決まりなのだ。
しばらくおあずけになったふたりの時間が惜しくないのは、みんなとの時間もとてもたいせつだからというためと、ひめやかに思いあうことのスリルをもうしばらく味わうのも悪くないと思ったためである。
お手洗いに立つ義勇さんに続いてわたしも席を立つ。
廊下で一度キスをする。アルコールの入ったキスはいつもとろとろとあまい。夜は、これから。