我妻くんの憂鬱(義勇)

見ちゃいけないもの見ちゃったな、引き返そう、という脳みそからのシグナルを無視してその場に立ち尽くしてしまったのは、長い坂のてっぺんで身を寄せあうふたりの姿が、息を飲むほどうつくしかったからだ。

冨岡と彼女が付き合っていることは知っていたけれど、ふたりのあんな顔を見たのははじめてだ。
ここまで聞こえてくるのは、とくとくとあたたかい、慈しみあう愛の音で、おれが今まで聞いてきたどんな音よりも、やわらかかった。
小鳥のさえずるような、花のそよぐような、澄んだ川のせせらぐような、愛のかおりのする、やわく透明な音。

冨岡でもあんな顔をすることがあるのかと思って驚いたが、その面差しのごく自然なやわらかさを見ると、あれが、あれこそが、彼の元来の性質なのだと思えてならなかった。あんな仏頂面の鉄仮面のとうへんぼくの鬼教師なんか、ほんとうはいないのだ。
たましいが校舎にないだけ、または、なにかを不自然に押さえ込んでいるだけ。そう思うと安心して、彼へのマイナスな感情が、すとん、とクリアになったような、唐突に、ふに落ちたという気がした。

しかし、安堵や驚きよりも強くおれの胸を打ったのは、底知れぬおそろしさであった。
誰かにあいされるということは、あんなふうに芯までとろけきった笑顔を向けられるということで、信頼に満ち満ちとしたこころでもってすべてを差し出されることであって、その雲よりもしろくやわらかなものを、どんなことがらからも守り抜かなければいけないということなのだ。
誰かからあいされたいなどと軽率に思っていた自分がきゅうに恥ずかしくなって、胸を内側から何度も殴りつけられたような気分だった。
あいされるということには、責任が伴うのだ。
冨岡は、なにがあってもあの笑顔を裏切ることができない。

「義勇さん」

媚の一切を感じさせない、純粋な愛の響きだった。
ふたりは立ち止まり、二言、三言交わすと、顔をぐっと寄せて、それからまた歩き出した。キスのようなしぐさだったが、重たい横髪に遮られて、よくは見えなかった。
無造作にくくられた後ろ髪が機嫌よさげに揺れていた。そしてやがて、坂の向こうに沈んで見えなくなった。

おれもいつか、あんなふうにおそろしいほどまっしろい、真綿のようにやわらかな愛でもって縛られる日が、来るのだろうか。おそろしさごと抱きしめたいと思えるひとに、いつか、出会えるのだろうか。
冨岡は存外、頼もしいやつだったらしい。あんなふうにあいされるようなやつだったらしい。
髪を黒くは染めないけれど、挨拶くらいは、まあ、まともにしてやろうと思った。

まとわりつくような暑さに、目が眩んだ。
かたく握りあったふたりの手のひらを、思い返した。