義勇先生と教え子

先生の背中。先生の背中がすき。うつくしいライン。さみしさのかたち。ひとりがすき、みたいなふりをする輪郭。ジャージの複雑な白色。サイダーみたいな透明な青とのコントラスト。
先生。先生がこちらを向いていないとき、わたしは大胆になれるような気がする。その背中がわたしの視線を捉えるとき。空に飲まれてしまいそうな、うつくしい背中。空や夜や星や花や水に、うつくしいものに溶けてしまいそうな先生。先生。

どうっと胸に流れ込んだ衝動のまま、わたしは全力で駆けた。想像していたよりも長い距離に息が切れる。

「せんせ、義勇先生っ」

わたしの口から荒っぽく放たれた呼びかけで、先生が振り向く。長い後ろ髪がさわりと靡く。
切長の瞳が丸く開かれて揺れている。
長い両腕がわたしを受け止めるように差し出されたので、足を止められなかった。
わたしの身体はその両腕のなかにすっぽりと収まり、それまでの勢いは死んで、風が凪いだ。

「どうした」

先生がわたしの身体を押し返して、肩にかけたスクールバッグの持ち手が片方落ちる。
先生の瞳は、困惑や戸惑いより、やさしさの勝った色をしていた。

「どうしたのか、忘れちゃった」
「なんだそれ」
「変ですね、でも、きっと、たいした用じゃなかったと思います」

先生がさみしそうに見えたから。その背中に触れたかったから。先生がすきだから。
先生に思うことはたくさんあるのに、言えることはなにもなかったので曖昧に笑うと、先生もごく薄く笑って返してくれた。

わたしの衝動を殺すその瞳や抱き止められた腕の熱が牽制だったとしても、この愛をまだ諦めてはあげられない。

先生、いつか先生を抱き止めるひとは誰。先生が呼びつけたいと思うひとは誰。わたしがゆっくりと歩いて行っても、その腕を開いてくれた?
授業じゃわからないこと教えて。
教科書使わなくなってもそばにいさせて。

たしかに触れたのに触れていないみたいな虚しさと、やけどみたいにひりひりと肌に残るその熱の余韻を感じながら、先生のとなりをゆっくり歩いた。
見上げる横顔のシャープなラインがだいすき。
重たそうにぶらさがる厚いまつ毛も。
先生、まだ青い空に月が浮かんでいます。
うつくしいものは皆先生のこころのように思えます。先生。