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かまどベーカリーのなかに、ちいさなイートインスペースができた。
改装作業のためしばらく休業していたので、パンを食べたくなったときは、非常に困った。ほかのベーカリーを知らないではないが、しかし、この店の味にすっかり慣れてしまったわたしたちは、よそのパンを食べても、うまく舌になじまない感じがしてしまい、食べれば食べるほどに大変せつない思いをした。

いつもなら空いている時間だが、店内はやや混んでいたので、イートインの利用はやめることにした。
食パン──かまどベーカリーの食パンは、あまみが強い。かおりも食感も、わたしはここのがいちばんすきだ──と、サーモンのチャパタ──これは義勇さんのおきにいり──、あとは塩パンを四つと、いちじくのデニッシュをレジへ持っていく。
禰豆子ちゃんがレジを変わってくれたため、ひさびさに炭治郎くんとお話しすることができた。

「出かけるって聞いていたから、今日は来ないかと思いました」
「ドライブのルートに最初から組み込んでいたんだから」
「みやげ」
「チーズとおつけものなんだけどね、クラッカーとあわせると、とってもおいしいの」

妙な視線を感じたのと、振り向いた先の彼女が「冨岡先生」と呟いたのはほぼ同時だった。繋いでいた手のほうは、離したのが先だったか、ほどけたのが先だったのか、定かでない。
彼女は、義勇さんではなく、こちらに注目しているようだった。好奇心とはべつの温度の高い視線を感じて、わたしはぎこちなく会釈をする。

「恋人ですか」
「ああ」
「恋人がいるってほんとうだったんですね」

ふたりはそのあとも、彼女の質問に義勇さんが答えるかたちでぽつぽつと短い言葉を交わし、わたしは文脈にあわせて、ぺこぺこと頭を下げた。
デートですか。仲がいいんですね。意外です。よく来るんですか。家は近いんですか。
義勇さんはただ、ああ、とか、まあ、と返すだけだった。

わたしたちと彼女のあいだを、ちいさなこどもが景気よい足取りですり抜けていく。
義勇さんがごくなめらかな手つきでわたしの腰を抱き寄せて、わたしはとろけそうなときめきでその横顔を見つめる。

「炭治郎、邪魔して悪かった。そろそろ帰る」
「あ、はい、ありがとうございました!ふたりとも、また、近々」

炭治郎くんのあかるい声に背中を押されて、店を出る。
彼女の湿った視線を首筋に感じる。これは明らかな敵意だ。
彼を思う少女の気持ちは、痛いほどよくわかる。
義勇さんをすき。誰のもとへもやりたくないがしかし、なす術がないという、空虚の感じ。

車内へ戻ってすぐ、くちづけを交わした。
わたしがまなざしでキスをねだったからに違いなかった。
しかし、なかば強要するようにして得たキスは、今のわたしのこころを満たすには不じゅうぶんであった。
義勇さんがしたいと思ってなされたものでないと、意味がなかった。
少女の空虚がうつったように、わたしはどこか空っぽの気持ちで、尾を引き通り過ぎてゆくネオンの残像を見つめていた。