\

今日もまた、雨だった。あちらは見事に晴れているらしい。
あちらの天気に関しては予報を見ていたので知っていたのだけれど、義勇さんもチャットアプリで知らせてくれた。

着替えを抱えて脱衣所へ行き、はだかの身体を鏡に映してみる。
キスマークはすでに消えかけていて、暗がりではほとんど認められなかった。


近ごろは一日じゅう暗くって、時間が非常にわかりづらくて困る。
時計を見るとよい時間だったので、おおきめの傘をひとつ選んで手に取り、家を出た。
待ち合わせ場所は、いつもどおり、学校近くのコンビニエンスストアである。

道中、わたしは義勇さんと出会ったときのことや、これまでの日々を思い返していた。
生徒だったころ、生徒じゃなくなりたいと思ったときのこと、恋人になったときのこと、共にくらしだしてからのこと。
義勇さんの瞳から、わたしはどのように映っているのだろう。
わたしは、自分が日に日にみにくくなっているのでは、と心配になるときがある。

多くを望まない少女だったわたしが、歳を重ね、今、このくらしに強く執着している。それは義勇さんにとって、はたして好ましいことなのだろうか。

古いカラオケ店前の横断歩道で、件の女生徒とすれ違った。彼女は数名の友人を伴って楽しげに歩いており、わたしと目が合うと、しずかに会釈をした。同じタイミングで、わたしもぺこりと頭を下げた。どちらともなくスムーズに交わされた挨拶だった。

携帯電話が震えて、義勇さんからのメッセージが、明るくなったディスプレイに表示される。
そろそろ終わるとのことだった。
彼女は、いつまで義勇さんのことをすきだろう。
わたしは、恨まれているだろうか。それも思い上がりだろうか。明日は我が身だろうか。
今度の結末を、わたしはあまり喜べない。


雨足が強くなって、傘がばたばたと忙しなく音を立てる。
よく知っている立ち姿が見えた。
黒い蝙蝠傘を気怠げに肩で支えながら、片手を軽くあげてくれる。義勇さんだ。

「義勇さん!」

わたしが傘を畳んで走り出したので、義勇さんは困ったように眉を下げて笑い、ちいさく駆けてくる。
おおきな傘、雨粒のしたたる骨の先をくぐり、わたしは義勇さんのテリトリーにすばやく滑り込む。
この世でいちばん安全な場所。
ぐずぐずに濡れていても、構いやしない。
ここがいちばん安全な場所。
義勇さんのかおりの届く場所。そのぬくみの感ぜられる場所。

「ただいま」
「おかえりなさい、会いたかった」
「濡れてる」
「平気です」

義勇さんの指先が頬を撫でる。肌の温度で、雨粒がとろけるように熱を持つ。

「よかった。元気そうで」

わたしはちいさく頷く。
うっとりと、まぶたが落ちてくる。

「帰ってきてくれて、よかった」
「帰ってこないと思ったのか」
「行く前は、すこし」
「どこへも行かない」
「うん、ありがとう」
「おまえのためだけでなく、おれのためにも。おれたちは対等だ。どちらかが偉いわけでない」

わたしはもう一度、今度は深く頷いた。
車道を挟んで向こう側の学生の群れが、こちらへおおきく手を振っている。
トミセン、と叫ぶように張り上げられた声に、義勇さんもちいさく手をあげて返す。

そして、雨粒を振るい落とすように車道側へ傘を傾けると、その陰で軽いキスをくれた。

「今はむずかしくとも、そう思えるように、日々を重ねよう」

義勇さんは、わたしをスマートな仕草で車内へ導いて運転席に乗り込むと、今度はふわふわのタオルを手渡してくれた。
わたしはそれを片手に掴んだまま、飛びつくように彼の胸元へしがみつき、頬へくちびるを寄せる。
口許をはずしたのは、そうでもしなければ、歯止めが効かなくなってしまいそうだったからだ。

義勇さんの頬とくちびるが、わたしのルージュでほんのりと色づき、濡れている。
むくむくと湧き上がる所有欲も、今なら、さわやかな気持ちで流すことができた。
より濃い頬のほうを先に、と親指の腹で拭い取ると、義勇さんはわたしの腕をそのまま掴み、手首にくちびるを寄せる。
脈をやわく押し返すようなあまい感触と、誘うような鋭いまなざし。

「行こう」

一拍置いて、義勇さんはやさしくつぶやいた。

わたしたちはこれから繁華街へ出る。
いつものメンバーで待ち合わせをしているのだ。
盛り上がることうけあいではあるが、今夜は遅くても二軒目で解散することに決めてある。
自宅のベッドでゆっくり眠りたいと、教師陣が希望したためだ。

わたしのこころも、義勇さんのこころも、ひとしく確かにここにある。
わたしたちの気持ちは、熱くても、つめたくても、声になるものもそうでないものも、色のあるものも、ないものも、はかりにかけれてしまえばすべて、同じ重さなのだ。義勇さんが言うには、そうなのだ。

だいすきなかおりで満ちた車内で、わたしは生き返ったようなここちだった。
わたしたちは、義勇さんがわたしを所有しているわけでも、わたしが義勇さんを所有しているわけでもなく、ただ、ふたりの愛のまま、ここにいる。