無口なカメリア

今朝も掃除したばかりの腕木門の前をもう一度掃いておこうと思ったのは、もう時期、義勇さんが帰ってくるかもしれないと思ったからだ。
義勇さんとの再会は、何度経験してもわたしを緊張させる。

表の生垣の藪椿があざやかな花をまあるく咲かせた。
力強い深緑色のつやつやとした照り葉のなかに、林檎のように可憐な赤色がいくつも浮いている。

藪椿は、茶筅に似たおしべを悪いものやこわいものから必死で守るように、薄い花びらがそっと筒状に重なりあってできている。
おしべのほうが強そうなのに。門先を掃きつつ義勇さんを待つ傍ら、わたしはそんなくだらないことをぼうっと考えていた。

うつくしく見えてその実不器用そうなこの椿が、わたしはとてもすきだった。
開花するときには、ほかの花が咲くときよりもうれしくなる。そして同時に、そう遠くないうちに散ってしまうことを思って、せつなくなるのであった。

「なまえ」

名前を呼ぶいとしい声に振り返ると、ここを出たときの姿のままの義勇さんが見えた。
駆け寄ってきゅうと強く抱きしめる。
雨上がりのようなやさしいかおり。
出会ったときから、いっしょに暮らすようになってからも、どこへ行ったあとでも、義勇さんのかおりはすこしも変わらずに義勇さんと共にある。
そして、いつだって肺に潜り込んできてはすぐにわたしを安心させるのだ。

「義勇さん!おかえりなさい」

透けてしまいそうな白い肌。長い手足。骨ばった指。空を映す凪いだ海の瞳。夜色の髪の毛は、見た目よりもやわらかい。わたしのもとへ帰ってきた義勇さんが、わたしの知っている義勇さんのままでうれしい。
背中の後ろで箒の倒れる音がした。集めた花びらや枝や落ち葉が、風に乗ってからからと飛ばされていった。


「庭の乙女も白澄も、昨日今日で咲いたんです」
「お前と暮らすようになってから、季節の境目があざやかになった」
「義勇さんがお花をかわいがってくれるひとでよかった」
「花が咲くと、お前がよろこぶから」

やさしいひと、と思った。口に出さなかったのは、言わずとも伝わると思ったし、言葉にしてもきっと返事はないからだ。わたしたちはいつも瞳で会話をする。
目があって、くちびるが重なった。
修羅のときのはざまに訪れる、ゆるゆるとぬるい、ふたりの時間がだいすきだ。

硝子戸を開け、縁側に座布団をふたつならべる。
義勇さんのぺたんこのおしりがこれ以上おせんべいみたくなってしまわないようにと買った、ふかふかに分厚い座布団だ。天鵞絨で覆われていて、手ざわりがいい。

「椿は義勇さんを連想させます。儚さに裏打ちされたような、完成されたうつくしさが」

花は言語を持たないけれど、季節の訪れや予感や別れをそっと教えてくれる。花は義勇さんに似ている。椿は特に。
その完璧な色かたちや、かおりが。薄い花びらでおしべを守る、すこし不器用なところが。さよならの気配をさせずに去っていってしまいそうなところが。

ひとひらずつ散ってくれればよいのに、椿たちはいつだってあざやかな花首をなんの予感もなしに落としてしまう。うつくしい花びらを泥水でにじませながら砂粒にまみれる姿を見て、もっともっと、うんと愛でておけばよかったと、かなしくなるのだ。
わたしはいつも椿にさよならを言えない。

「だから時折、義勇さんのいないときに花首が落ちるのを見てしまうと、わたしはそれを不吉の予兆かなにかと思ってしまって、すごく不安になるんです。そういうときはいつも、その花首をきれいにほろって文机に置いて、すぐに義勇さんへお手紙を書くの。だって、義勇さんも大概、さよならもなしにいなくなってしまいそうなお方だから。猫のようだもの」

「死んだら椿に化けるとするか。春のあいだ、お前が愛でて、時折かなしんでくれるなら」

「スピリチズムも結構ですが、それよりも、いなくなったりしないって言ってほしかったんですよ、わたしは」

「うそでもか」

「うそでもです。言葉はやさしくひとをだますときにこそ使わなければ」

「…そうか」

「そういうものなのです」

すっかり冷めてしまったお茶をすする。
風が吹いて、花のかおりが一層と深くなった。足首や頬をあまいかおりが撫でていく。
黄金色のひかりが硬い深緑の葉にあたり、ちらちらと照り返る。わたしと義勇さんにひかりの模様を描く。

「いなくならないとは言えないが、さみしくはさせない。せめて、共にいるときくらいは」

それはきっとうそだった。
わたしはさみしがるのだけは得意だし、現に今も、義勇さんに不本意なうそをつかせてしまったことで、とてもさみしい気持ちだった。
目を伏せると、あまやかなくちづけがあった。ひとひらのふくよかな花びらがそっとおりてきたような、やさしいくちづけだった。


それから義勇さんは、椿の花が落ちたときにはとびきりのあまいくちづけをくれるようになって、わたしたちは並んで花を眺めることが前よりも多くなった。
それはわたしにとって、すこし、幸福なことだった。


(merrowさまへ寄稿 ありがとうございました)