よるのあと

なんのために生きているのかと聞かれれば、だいすきなひとがしあわせに生きてゆくため、としか答えられない。
他人からすれば気の毒に見えるのかもしれない。あるいは、なんて主体性のないやつなのかと呆れる者もいるだろうか。
しかしわたしにとってそれは、いつだってなによりも優先されるべきことであったし、わたしは、彼がおだやかなこころでいるときには、いつだってたまらなく幸福だった。

「考えごとですか」
「いや、ぼうっとしていただけだ。時間がありすぎて、持て余してる」

うそ、という言葉を飲み込んで、わたしは努めてやわらかくほほえんだ。

戦いはすべて終わって、組織は解体された。
わたしたちのかなしみやせつなさはばらされないまま、ずっと胸のなかにあった。

「しあわせだよ」

そう言ってほほえむ義勇さんの言葉はきっとうそじゃない。
うそじゃないけれど、きっとほんとうでもない。そう思ったとき、とてつもなく胸が痛んだ。

義勇さんに残された、ほんのすこしの時間。
その時間のすべてを、義勇さんはきっとわたしために、わたしを優先して使ってしまう。
そして、わたしのいる限り、今度は置いていくことのせつなさと戦わなければならなくなってしまうのだ。
置いていくことのせつなさを思うとき、義勇さんのなかでは、錆兎さんと蔦子さん、彼の前で散っていった尊いいのちたちのことが同時に思い出されるに違いない。わたしのいる限り、義勇さんはいつまでも前へ進めない。

「わたしもしあわせ」

時間がたくさんあったらいいのにな。
そうすれば、わたしたちは、わたしたちにふさわしい終わりを、ふたりでじょうずに手繰り寄せることができたはずなのに。
義勇さんはわたしのためにせつなさを押し殺すことにいのちを燃やさなくともよかったのに。


義勇さんはごろりと横になって、わたしの膝へ頭を預けてくれる。
わたしは彼の髪紐をそっとほどいて、額にやわらかなくちづけを落とす。
白い月あかりが彼の頬を照らして、ぬるい夜風がなめらかな肌の表面を撫でて通り過ぎていく。
このひとは鬼に囚われたこどものままだ。わたしといる限り。

「しあわせです」

絞りだした言葉が思ったよりも重たい色をしていたから、わたしはごまかすようにまたひとつ、くちづけを落とした。
鬼のいた日々のなかでは朝が来ることがうれしかったのに、戦いの日々が去ってからは、夜が来るたびそのなかに閉じ込められてしまいたいと思ってしまう。
朝など来なくていい。ここが終わりでいい。朝など。

「どこかへ消えるつもりだろう」
「どうしてそう思うの」
「わかるよ。お前のことなら」

そっと言い当てた計画を溶かすように、義勇さんはわたしの頬に手のひらをあててくちづけをくれた。
いとしいひと。
すべてから解放されてほしい。
あなたを取り巻く死から、呪いから、わたしから。
なんのまじりけもない、真っ白な祈りを抱いて、幸福になってほしい。

「お前といることが希望だ。たとえお前といることで苦しむことになっても。おれの去ったあと、お前もきっと苦しむだろう。しかし、おれは最期までお前と共にいたいと思う。それが、傲慢でも、互いを呪いあうような行為であっても」

「ずるいひと」

「折角だから、自分勝手に生きることにした」

と、と、と、と屋根を叩くちいさな音がして、土のにおいがにわかに濃くなった。

「夜雨。なかに入りましょう。身体に障るわ」
「おれは病人じゃない」
「わかっていますよ。ただ、あなたを甘やかせるだけ甘やかそうと思って」

さよならの足音がする。

「すきだよ」

もうすこしでお別れが来る。わたしたちの魂が義勇さんのこころをきつく縛り上げたまま。
そしてその苦しみをそっくりそのまま受け取って、わたしは生きるのだ。絶望のなかを、あなたのいない世界を、たったひとりっきりで。せつなくとも、苦しくとも。

わたしたちの呪いはきっと、わたしの死をもってほどけるだろう。
絶望をぎゅうと抱いたこの身が焼かれるとき、わたしたちはきっとまことの自由を手に入れて、今度出会ったときにはまっさらなこころのままに愛を手繰り寄せるのだ。そして離さない。離れることもない。

部屋へ戻るたった三歩ほどを、わたしたちは手を繋いで歩いた。
あいしている、とこころのなかで唱えた。
世界にさよならをするその日まで、この愛のぶんだけ苦しむことになろうとも。
あいしている。夜雨よ、この気持ちは、呪いだろうか。


(adieu よるのあとをオマージュして)