思い出せないことと、忘れられないこと。
はたしてどちらがつらいのだろう。
「なまえは、デジャヴって感じたことあるか」
「あるよ。これ知ってる、って思うこと」
「前世の記憶っていう説があるんだ」
「前世。前世かあ」
「そう、前世」
桜は、もうほとんどが散ってしまった。
わたしたちは葉桜ばかりの並木道を、一台の自転車で行く。
きこきこ、きこきこ、ペダルを踏む音が小気味よく響く。
ゆるい上り坂を、錆兎くんはペースを落とさずに、テンポよく進む。
わたしはその太陽に照らされてかがやく宍色の髪の毛がなびく後ろで、代わり映えのしない、いとしい町を眺めていた。
そよそよと吹くあたたかい春の風に、目を細める。
わたしたちの町には、前世の記憶を所有していると語るひとが、なぜだかわからないけれど、昔から多く現れるという。
もちろん、確かめようのないことだからただの都市伝説にすぎないし、実際にそんなことを言い出すひとには、一度も会ったことがない。
「前世があるなら、わたしと錆兎くんは、きっとお友だちだったと思うなあ」
「どうして」
「錆兎くんからは、なつかしいにおいがするから」
「なんだそれ」
錆兎くんが笑うと、車体がかすかに揺れた。
返答の適当さと都合のいい思考回路に自分でもすこしおかしくなり、笑いを噛み殺すように肩を震わせると、錆兎くんもわたしのほうを振り返って、また笑った。
「前世を見てくれる占いのアプリ、あとでやろうよ」
「断る」
「どうして?」
「前世なんて変えようがないんだ。変な結果だったらテンション下がるだろ」
「ううん、そうかも」
わたしが頷くと、錆兎くんはちいさく息をつく。
前世。
もしも前世があるならば、わたしはどんな時代に、どんなひとたちと生きたのだろう。
錆兎くんといっしょにいるとほっとすることや、カナヲちゃんやしのぶさんたちと驚くほど息が合うのは、もしかししたら、前世で関わりがあったからかもしれない。
そう思えば、すこし胸が踊る。
昔からずうっと、たのしいときでもしあわせなときでも、どこか満ち足りない気がしていることだって、もしかすると、前世にヒントがあるのかもしれない。
前世から決められている運命のひと。
そんなひとがわたしにいたら。
いたとして、どうしたって結ばれない相手だったとしたら、そのうえ悲痛な別れを繰り返していたりなどしたら、わたしはよく知りもしないそのひとに、ずっと気持ちを囚われたまま生きていくことになるのだろうか。
前世。
前世がもしもあるとして、その記憶を所有しているひとがいるとしたら、わたしは持たざる者である。
たとえば、忘れないと誓ったことを思い出せないこと。
たとえば、実際には経験もしていない残酷なできごとや痛みを忘れられないこと。
はたしてどちらがつらいのだろう。
「しあわせだったとは限らないものね」
ぐるぐると考えを巡らせているうちに急にこわくなってしまって、前世を知りたくないと言った錆兎くんの気持ちが、すこしわかった気がした。
自転車のキーチェーンをとめて、錆兎くんは眉尻を下げて笑う。
「お前は、しあわせだったと思うよ」
ふわりとそよ風が吹いた。
春の陽気がわたしたちを包む。
促されるまま、わたしは玄関へと足を進める。
錆兎くんはやさしい。
天気はいいし、この町は今日も平和だ。
それなのに、やはりわたしは、どこか満ち足りない気分でいる。
頭がぼんやりとして立ち止まりそうになった刹那、ホイッスルの音が短く響いた。
「荷けつをするな。次は反省文を書かせる」
冨岡先生は、肩を跳ね上げて驚いたわたしのリアクションを気にもとめない様子でこちらを一瞥すると、そのまま足早に通り過ぎていってしまう。
わたしはなぜか、先生の揺れる背中を見つめたまま、すこしのあいだ動けずにいた。
チャイムの音に背中を押されてわたしはまた歩き出す。
追い風が吹く。
どこかなつかしいにおいがして、胸がきゅうっとせつなくなった。
もし、もしも前世があるとしたら、あるとしても、やっぱりわたしは知りたくないと思った。
足りないものもせつなさのわけも、知らないままのほうがきっといい。きっと。