▼二人を繋ぐ赤い糸
その世界のものを食べる、というのはその世界を
“受け入れる”
ということ…なんだろうか。
桃色の人がいる世界は、当然のように私の世界とは常識も価値観も生き物も天候も何もかもが違った。
こちらで朝を迎えた日から、私はこの世界にいる。
元の、私の世界へは戻れなかった。
それに気がついた時、とても怖くなって泣いた。
年甲斐も無く、人の目…ドフィさんの目もはばからず、迷子の子どものようにわんわん泣いた。
ひとしきり泣いた後、ドフィさんが悪い顔で笑う。
『ようやく奪えた』
と。
悲しくて泣いてるのに、なんて顔で笑うんだと憤慨したのは言うまでもなく。奪えた、とは何を指すのか尋ねると、“私の世界”から…だそうだ。
やっぱりこの人は海賊なんだと思い知る。
この世界で過ごすからには、とドフィさんの仲間の方々と顔を合わせた時は死ぬほどビビった。
みんな身長が高い!
強そう!
そう思ってたら、めちゃめちゃ可愛い小さな女の子や男の子もいた。でも、空気が刺々しい人がほとんどだった。特にヴェルゴさん。視線で私を殺せるのでは?というレベルで激睨みを受けた。怖い。
そりゃそうだよね…、突然湧いて出た存在。
ドフィさんが見知らぬ女に誑かされてる。
…警戒するのも当たり前だ。
ところが、数週間でその殺気?怒気?は治まった。
裏でコラさんやドフィさんが動いていた。らしい。
そう教えてくれたのはちびっ子三人組。
彼らは海賊団で、仲間で、家族なんだと言う。
私はきっと家族の中にお邪魔する居候…かな。
苦笑いを浮かべ、社会人経験のある私は上手く…いえ、至って普通に出来ることをして過ごした。
─それから、数年後。
この世界のことをなんとか覚えて、海と陸を行き来する生活にも慣れた。それに伴い、船酔いもあまりしなくなった。…嵐と大時化の時は倒れてるけど。
変わったことといえば。
月日が過ぎて行くにつれ、幹部と呼ばれる人たちとの関係は良くなった。ドフィはこんな小娘のどこがいいのか?そう言われることもほぼない。
…まあ、まだたまにあるかな…?
そして、コラさんとローくんが旅に出た。
心配する態度は絶対に見せようとしないが、ドフィさんは常に二人を気にかけているようだった。
「ドフィさんが自由に色々してるんだから、二人も自由に行動させてあげたらどうです?」
そう言ったこともある。
ローくんは幼いながらもかなり賢く、大人びてる。
だいぶドジっ子なコラさんと良い塩梅だと思う。
もちろん私が知らないことはまだまだある。
特にドフィさんの“お仕事”関係。
口を挟むことは無い。挟んではいけない。
ドフィさんは踏み込ませるつもりが無さそうだから、私も踏み込まなかった。…もう少し知識を得て、勇気を出せるようになったら、考える。
その時が来たら、ド派手に言い合おうと思う。
変わらないもの。
それも、ちゃんとあった。
「ナナシ」
「お疲れ様です、ドフィさん」
「ああ、馬鹿の相手は疲れる」
「それ本人の前で言ってないですよね?」
「心の中で罵ってるよ」
「…堪えてるだけ素晴らしいです」
ドフィさんは仕事を終えて私室に戻ってくると、
ベッドで寛いでいる私の元へ真っ直ぐやって来る。
ぎゅうと抱きしめて、抱きしめられて。
額と頬、唇にキスをしてくれる。
「…香水の匂いがします」
「フフフ、わかるか?」
「美人のお姉さんから迫られたんですね」
「お前が好きそうな美人秘書だったぞ」
「む、それはお会いしたかった」
「フッフッフ!嫉妬しろよ」
「キリがないのでしませんよ」
のしかかるドフィさんの肩を押して、跨った。
「泣いて縋る私が好みですか?」
「加虐心を煽るだけだな」
「私にしか、勃たないんですよね?」
「フフ…困ったことになァ。ナナシ以上に抱きてェと思える奴がいねェよ。ほら、今も…な」
「…シャワー、浴びてきてくださいね」
「このままやりてェ」
「匂いを残したままですか?美女に抱かれてる気分になっちゃいますよ。それでもいいのなら…」
「いいわけあるか」
頬を撫で、後頭部へ手を宛てがいキスをされる。
深くなる口付けはとても荒々しい。
「ナナシを抱くのは…おれだけだ」
「ふふ、ドフィさんが嫉妬しちゃいましたね」
「お前もしてただろうが」
「…うっ、わざわざ匂いを残して来るドフィさんが悪いんですよ。妬かせる気満々とか最低です!」
「フッフッフ!あァ、おれは最低な悪い男さ」
そう言いながら強く抱きしめてくれる。
悪い男だけど、優しい人。
ドフィさんと私は、変わらなかった。
お互いを想う気持ちは同じ。
ドフィさんは私を求めてくれて、私はドフィさんを求める。好き、という言葉では…足りない。
「とっととシャワー浴びてくる」
「私も抱っこしたまま、連れて行ってください」
「……フフ。スイッチが入ったか?」
「押してきたのはドフィさんです…」
「まァな。ナナシが欲しいんだ、仕方ねェよ」
サングラスをサイドテーブルへ置き、私を抱き抱えたままお風呂場へ向かう。頬に軽く口付ければ、
フフフと笑って耳元に唇を寄せた。
「覚悟しとけよ、ナナシ…」
◇ ◇ ◇
青い空、白い雲。
波は穏やかで遮るものは何もない。
絶好の航海日和というやつだ。
私は洗濯班の手伝いとして干す作業をしている。
この天候ならすぐに乾きそう。
ハンドタオル、フェイスタオル、バスタオル…と
順番に干していたら突然吹いた風に一枚だけ手から離れていってしまう。慌てて追いかけ欄干を超える前に!と、ジャンプしながら腕を伸ばす。
ギリギリ届かなくて、タオルが海へ落ちてしまう…!そう、思った時。
─ふわり。
何かに包まれた。
誰なのか確認しなくてもわかる。
「ドフィさん!」
「フッフッフ、捕まえきれなかったようだな」
「風に弄ばれました…。海へ落ちる前に回収してくれて助かりました、ありがとうございます!」
「構わねェよ」
「お散歩からのお帰り…ですか?」
「あァ、野暮用だ」
野暮用。
薮蛇すると噛まれそうなので詳しくは聞かない。
おかえりなさい。ただいま。
そんな、至って普通の挨拶を交わしただけなのに
ドフィさんはなんだか嬉しそうだった。
抱きしめる腕の力を緩めて、タオルを受け取る。
これ、干してきますね!声をかけて背を向けた。
飛ばされないよう端を強く持って引っ掛ける。
よし!完璧!
洗濯班のみんなは各々の作業が終わったようで、
ここには私しかいなかった。
洗濯かごを重ね、持っていこうと踵を返した先に…何故かドフィさんがいた。
「どうしたんですか?あ、トレーボルさんやディアマンテさん達がドフィさんを待ってますよ?」
「フフ、問題ねェ。なァ…ナナシ」
「?はい」
近づいてくるので、洗濯かごを床へ置く。
なんだろう?
海風で桃色のコートが揺れた。
私の前に来たドフィさんは何も言わず片膝をつく。
目線が同じ位置くらいになり、首を傾げてしまう。
本当にどうしたのかな。
あっ、わかった。おかえりのハグ忘れてましたね!
さぁこい!と両腕を広げてみたら、笑われた。
…違ったらしい。
「お前は面白ェなァ」
「何も言わないからハグかと…」
「せっかくだからしてやろうか」
「むっ、お願いします!」
ぎゅう!と抱きつけば、また耳元で笑う声が。
私が満足して離れると今度は手を握られる。
「一緒に中へ戻りましょう!バッファローくんから聞いたんですが、今日はコラさんとローくんが顔を出してくれるらしいですよ!ふふ、ベビーちゃんが張り切って“二人にケーキを作る!”と言っていたので、私は今からそちらを手伝いに…」
言葉を遮り、唇を奪われた。
「ドフィ、さん?」
「今やお前も…うちの家族だな」
「え!本当ですか!?そうなら、嬉しいです」
「ああ。独り占めするのが難しいほど好かれてる」
「それも嬉しいです!…ヴェルゴさんとモネさんからはめちゃくちゃ嫌われてますけど…!」
「あの二人は仕方ねェよ」
「若様もみんなに好かれてますからね」
「フッフッフ、それはどうだかなァ?」
空を見上げるドフィさん。
…ぶっちゃけローくんからだいぶ嫌…いや、これを口にするとドフィさんがヘコむので止めとこう。
今日、ローくんと話せると良いですね…。
会話が途切れた時、握られた手にちからがこもる。
「…ドフィさん?」
「ナナシ、おれはお前の世界からお前を奪った。奪いたかった。お前がほしくて堪らなかった。…お前は今でも、向こうへ帰りたいと…思うか」
「……唐突、ですね」
「聞いておかなきゃならねェからな」
「そうです、ね。向こうが恋しくないかと聞かれれば、恋しいです。忘れることはないと思います」
でも、もう。
帰りたいとは…思わなかった。
「この不思議な世界をもっと知りたいと思います。
ドンキホーテ海賊団のみんなが好きです。それになにより、ドフィさんが好きです。離れたくない。帰りたい、と思わなくなるほど…愛しい人です」
夢の中の存在だったのに、今やこうして隣にいる。
極度の遊び人でモテ男なドフィさんが、恋人として私を…私だけを求めてくれている。
そういう意味では、私もドフィさんを様々な人から奪ったに違いない。
「ドフィさんに捨てられない限りは、帰りたいとは思いませんよ。なので、傍にいさせてくださいね」
「…お前こそ、他に目移りすんじゃねェぞ?」
「あなたしか欲しくないです」
「すげェ殺し文句だな…」
もう一度唇を重ねて、指にも口付けられた。
「ナナシの人生、おれがもらう。必ず幸せに、なんてことは言えねェ。おれが死ぬ前にお前を先に殺す。おれのいない世界で生かすつもりはない」
「ひえ、怖っ…」
「フフフ、黙って聞け。生業上、腕っ節がよくても頭がキレていても、何が起こるか分からねェ。安全な場所、なんてモンも存在はしない。だからこそ、…おれはナナシの居場所であり続ける」
左手の薬指をなぞられて、心臓が高鳴る。
まさか。…そんな、まさか。
「目に見えない絆も大事だが。お前に限ってはそうじゃねェ。ナナシはおれの女だと主張したい。他の誰でもねェ、おれが愛する唯一の女だと。これは心をおれに縛られるための、…ひとつの呪いだ」
するりと入っていく、銀色の輪。
「お前に言えない後暗いこともやってる。この世界をぶっ壊してェ衝動だってある。…それでもお前は手放したくない。まぁ、海の無法者で簒奪者であるおれと出逢ったのが運の尽きだったと、諦めろ」
ほろり、涙が零れる。
それを指で拭うと、背中と後頭部へ腕が回った。
優しく抱き寄せて腕の中に閉じ込められる。
ドフィさんの、腕の中。
「泣かせることは多いだろう」
「…はい」
「傷つくことや嫌な思いもするだろう」
「…はい」
「それでもおれの元から逃がしはしない」
髪を撫で、耳に触れ、頬を包む。
その手が愛しくて私からも頬を擦り寄せた。
「ナナシ、…お前を、愛してる」
風に吹かれて洗濯物がふわりと舞う。
穏やかな波が心地よい揺れを起こす。
静かで穏やかな空気が、私たちを包んだ。
夢の中で逢える人。
夢の中から、私の心を奪った人。
桃色のコートを羽織るその人。
まるで見えない糸に引っ張られるように手繰り寄せられ、惹き付けられて、しっかりと繋がった。
それは決してちぎれない。離れない。
「愛しくてたまらねェ…」
あなたは私の、愛する人。
Fin.