ニュース・クーが運んできた朝刊を囲み、一味はドフラミンゴが要求に従い七武海を脱退したことを確認した。

電伝虫でドフラミンゴに連絡を取ったローを押しのけてルフィが怒りを露わにし、言葉一つでドフラミンゴに惑わされるような小さなハプニングはあったが、計画は順調に進んでいる。
全世界を騒がせる規格外な事件を何度も起こし、他の海賊達とは話題性に於いて一線を画している麦わら海賊団。直接戦闘こそしなかったものの、頂上戦争にてルフィと同じ地を踏んだドフラミンゴはルフィに興味を示し、「お前に会いたかった」「お前が喉から手が出る程欲しがる物を持っている」と意味深に言って彼を惑わせた。

“喉から手が出る程欲しがる物=肉”の誘惑にすっかり魅了されたルフィにウソップがマウントを取り往復ビンタをかます。チョッパーは涙目、ナミは呆れ顔、ブルックも残念そうな顔でその様子を見ている。

対して何も言わないハニーに、ゾロが訝しげに視線を投げた。
ルフィは時に力づくで止めなければいけない時があるが、そんな時は決まってハニーは「それくらいにしようよ」とルフィを庇った。元々荒々しい性格ではない彼女なので誰が責められていようとも同じように止めていたかもしれないが、彼女が特別ルフィに激甘なのは船員全員が知っている事実である。
だから今回も彼女が適当なところでウソップを宥めにかかるかと思えば、彼女はルフィの方を見てすらいなかった。

視線は電伝虫に注がれている。口を引き結んだ表情は何か言いたげだったが、何も言わないまま、通信は一瞬我に返ったルフィの手で無理矢理に切られた。


「どうしたお前、顔色悪いぞ」

「ゾロ……。そうだね、うん。低血圧で。心配してくれてありがとう。ちょっと顔洗ってくるよ」

「……」


アルパシアを出たあたりから、彼女の様子がおかしいのはローの他にゾロとロビンが気付いていた。ゾロと彼女の会話を聞いて、ロビンが船内に入っていったハニーを視線で見送る。

ハニーは別に低血圧では無い筈だけど、緊張しているのかしら。

らしくない、とロビンは思った。彼女が緊張しているのは見たことがない。緊張していたとしても、それを悟らせたことは一度も無い筈だ。もっと付き合いの長い革命軍の人たちなら、いろんな彼女を知っているのかもしれないけれど。

ロビンと同じく船内への扉に目を向けているゾロにロビンは感心する。彼は進路に関しては鈍いの域を超えているが、反面人の気配や感情には鋭い視点を持っているのだ。感情を隠すのに長けた彼女の異常に気付いたのは、純粋にさすがだと思ってしまう。
この船でハニーと一番付き合いが長いのはロビンだ。その彼女が自分よりも心を開く人が現れるのは嫉妬しないといえば嘘になる。しかし、彼女が一線を引きながらも麦わら海賊団と仲良くなりたいと思っていることは分かる。彼女は存在が儚い。彼女を理解してくれる人が増えれば増えるほど彼女の存在は確固たるものになり、それは麦わら海賊団にとってもいいことだと思った。

朝食の前にまたひと悶着あったが、麦わら海賊団にとってそれは日常の延長である。道中また妙な海の生物に襲われながらも、一味は無事ドレスローザに降り立った。


「着いたァ〜〜〜〜!!!」

「声がでけェっつってんだろルフィ!!!」


いつも通り一番に島に降り立ったルフィに未だ船上にいるウソップが大声でツッコミを入れた。そういうウソップの声も十分大きいのだが注意するものはいない。


「おい、お前にこいつを渡しとく」

「?」


ローがナミにビブルカードを渡す。
ドレスローザという敵の本拠地でドフラミンゴがどういう手段に訴えてくるかわからない以上、想定外の事態はいくらでも起きうる。シーザーの引き渡しに失敗した場合、船の安全を確保する者達と共倒れは避けたい。万一に備えて合流する場所を決めておく必要があった。
ビブルカードは彼らがドレスローザの次に目指す島“ゾウ”を指している。もしもトラブルで彼らが離れ離れになった場合、そこで合流しようと言うのだ。

ローにとって、これはここにいる一味がバラバラになった場合の保険というよりは、自分が死んだ場合の保険だった。
一番危険な役割は当然、ドフラミンゴとの因縁があるローが担う。死ぬ確率が高いのもローだ。しかしローが死んだとしても、シーザーさえ渡さなければローの勝利――――ドフラミンゴはカイドウの怒りを買って、その覇権は終わる。
ローが死んだ後、シーザーを抱えた一味が行き場を失いドレスローザから逃げられないのではこの計画は全て無意味になってしまう。それだけは避けなければいけない。
それに、ゾウにいる仲間達もいずれは新聞などで彼らの船長の状況を知るだろうが、新聞が正しく物事を報じるとは限らない。もしもローが永遠にゾウに辿り着くことができなくても、実際にドレスローザにいて、今から共に作戦を実行する麦わら一味がゾウに辿り着いたなら、仲間達に正確な情報を伝えてくれるだろう。
そんなことを考えながら、ローは自嘲する。

死んだ場合のことばかり考えすぎだろうか。見習おうなどとは全く思わないが、こんな時は麦わら屋がほんの少し羨ましくなる。


「これは仲間の描いた地図だ」

「わっ下手!」


航海士として優秀なナミが描く海図とは比べ物にならないほど粗末な地図を見て、ナミが思わず口を滑らせる。仲間の描いた地図を貶されてローは少し苛ついたが、まあそう言われても仕方のない出来だったので黙殺する。
熊の手だ。人間の指と違って、繊細な作業に向いていない。

ハニーは、ローが地図をなぞって説明しているのを一味の一番後ろで聞いていた。ふと、微かにスパイシーな香りが漂ってくるのに気付く。


「ねえサンジ、何だかすごくいい匂いがしない?」


特別鼻が良いわけでもないハニーが気付くのだから、料理人も当然気付いているだろうとサンジに声を掛ける。ローが説明しているところなので、邪魔をしないように小声で。


「本当だ……こりゃまたスパイシーな。キリッとした美人がいそうな香りだなあ」

「ローの話、暫く終わらないよ。わたしお腹空いちゃった。ちょっとだけ先に見てこない?」


続いてルフィも匂いに気付いたかそわそわしだしたので、悪戯な笑みを浮かべてハニーはルフィも誘う。後ろの方にいて碌に話も聞いていなかったゾロと目が合うと、彼は何も言っていないのに「オレも行く」と言って緩慢に歩き出した。

その後を、仲間の安否が気になり居ても立っても居られない錦えもんと、工場を探し出して破壊するなど楽勝だと思っているフランキーが追っていったので、ローの説明が終わった頃、海岸に残されたのは8人となった。
シーザー引き渡しチームのロー、ウソップ、ロビン、シーザーはドレスローザの中を徒歩で移動し、国の北の“グリーンビット”を目指す。そこでシーザーをドフラミンゴに引き渡す予定だ。
このチームは工場を破壊するまでの時間稼ぎをする囮だ。故に、逃げ足の速さが求められる。
自身の分身を出して安全なところから攻撃できるロビンと、下手に立ち向かおうとせず敵うかどうか分からないと判断すれば速攻で逃げる選択ができトリッキーで種類に富んだ攻撃を仕掛けられるウソップは適役だ。
目的を果たしたら敵地からすぐ逃げられるように、サニー号の安全を確保しておくチームはナミ、ブルック、チョッパー、モモの助。ドンキホーテファミリーから船を守るには、やや心配な戦力である。
本来はここにサンジもいる筈だったが、料理人の好奇心が抑えきれず、町のほうへ行ってしまった。サンジが一緒だから船番も安心だと余裕の笑みを見せていたチョッパーが、彼がいないことに気付いて叫ぶ。


「あれ!?サンジ!!?」

「ハニー……!?それに麦わら屋達はどうした!?作戦のメインだぞ!!」


ローは敵地に来て周囲を警戒するあまり、ハニーに割いていた注意力が薄くなっていたことに今更気付く。ドフラミンゴが根城としている王宮を迂回していける目立たないルート、グリーンビットへ船で行けない理由、戦力が散りすぎないチーム分け、敵の幹部の能力が発揮されにくい戦闘場所。実際国に足を踏み入れても情報が少ない分考えるべきことも多い。その諸々に気を取られて、ルフィたちがいなくなっていることに気付かなかった。

ハニーだけなら、ローの隙をついていなくなるのはまだ分かる。
しかし歩く拡声器のようなルフィがいなくなったのに気付かなかったことが地味にローに衝撃を与えた。自分は既に冷静さを欠いているのだと。

しかしルフィがうるさいのは皆承知のこととして、ルフィがマイペースでかつ行動が早いと言うのもまた皆の知るところである。自分が興味を持つものがあったら、欲望の赴くまま何も言わず即座に行ってしまうのはいつものことだ。残った一味の誰がローを責められるだろうか。


「まさか……あいつらがいなくなったのはドフラミンゴの仕業か……!?」

「いや、たぶん勝手に街に行ったんでしょ」

「きっとそうね。ここは人喰い蜘蛛のいる薄暗くおぞましいお屋敷じゃないから誰にも気付かれずに攫うなんて難しそうだし」

「なんかおいしそうな匂いするしな」


頭を過った最悪の予想をローが口にすると、皆口々にそれはないと否定した。
いや、海を越え島に着いて漸く作戦が始まるって時に、作戦の要のチームが丸ごと行方を眩ますなんてことがあるか?中弛みなんてレベルじゃないぞ、とローは言いかけたが、それがあり得てしまうのがこの一味なのだと開きかけた口を閉じた。閉じて、歯を食いしばる。

どこまでも作戦を無視しやがって。


「大丈夫よ。みんな自分の仕事はきちんとやり切る人ばかりだから」

「サンジは仕事放棄してるけどな!!おれ達は誰が守ってくれるんだ!!」


ローの形相を見てか、ロビンが宥めるように言う。
チョッパーは不安でたまらない様子だが、護衛の戦力を減らすわけにはいかないので船番は残ったメンバーでやり切るしかない。
サンジは空も飛べるし街の様子を見たらすぐに戻ってくるだろうと期待して、留守番のメンバーは溜息を吐いた。
ロビンは続けてローを揶揄うように言った。


「そんなにハニーが心配?」

「…うるせェ。能力を使えば、幹部からでも逃げ切る程度のことはできるはずだ」

「ハニーも自分の仕事はしっかりやるわって意味で言ったつもりだったのだけれど」

「……」


ハニーに対してだけは、与えられた任務を全うするかでなく真っ先に身の安全の心配をした。それを指摘されたことに舌打ちして、ローは押し黙った。ロビンにハニーの名前を出されるとどうにもやりにくい。彼女にされたことは置いておいて、彼女にしたことを考えたらロビンから報復されることも予想される。ハニーとの関係において、ローにとってロビンは味方にはなりそうにもなかった。


「工場を突き止めるって役目は忘れてないだろうし、今からあいつらを探すのは時間の無駄よ。あんたたち、早く行きなさい」


そう言いつつも、ナミは少し引っかかるものがあった。
ゾロは一度はぐれてしまえば迷子にこそなるが、戦力が心許ない仲間達を置いて出かけて行ってしまうことはあまりしてこなかったはずだ。少なくともルフィかサンジが残っている時を見計らって出て行く。だから自称か弱い乙女のナミは安心していられたのに、三人とも揃っていなくなるのは珍しい。
ロビンもいるし、残された他のメンバーも2年前よりも戦力として認められているのだろうかとナミは少し嬉しく思う。しかし守ってもらえなくなったら困るので、帰ってきたらゾロによくよく言い聞かせることにした。


「そういえば錦えもんさんもいなくなったから変装も出来ないんじゃないですか?ウソップさんたち、大丈夫ですか?」

「それならおれ様が付けヒゲくらいなら持ってるぞ」

「仕方ねェ……」


もっと嫌がるかと思ったローが素直に付けヒゲを装着したので、一味は笑いをこらえて、それぞれの役割を全うすべく出発した。





―――――――――――――――――






その頃、先に港町“アカシア”に入ったルフィ、ゾロ、サンジ、フランキー、錦えもん、ハニーは、動くオモチャや胃を刺激する香りに惹かれながら、ぞろぞろと道を歩いていた。
いい匂いの出どころはどこかと鼻をひくひくさせるルフィと、ここでもまた美しい女に目を奪われるサンジについていく形で、一行は街中を進む。


「いや〜オモチャが動いてんの不思議だなァ!!」

「それより拙者はおなごが情熱的すぎるゆえに人を刺すというのが衝撃でござった。拙者の生まれ故郷ではおなごは慎ましいものだからな」

「美しい人ほど刺すんだってなァ。ハニーちゃんもこの国に住んでたら誰か刺してたかもな♡」

「ありがと。でもそれ喜んでいいのか分からないよ」


彼女には珍しい、隠しきれない苦笑いを溢す。彼女の微妙な表情を露ほども気にせず、というか敵地において周りのことなど一切気にせず、ルフィがうずうずと大声をあげた。


「とにかくメシだ!!メシ!!」

「それなら、あそこの大きなお店に入ろう。国の様子も気になるから情報収集したいの」

「拙者、その様な場所で油を売っておる場合ではない!!」

「まァまァ落ち着け。確かに時間はねェが…ハニーの言う通り、闇雲に走るよりは情報を掴むべきだ」


錦えもんが一刻も早く仲間を助けたいと唸るのを、フランキーが制す。
ハニーが指差した先には大きな看板を掲げた立派な建物のレストランがあった。大きな建物が多い中でも一際大きく目立つ建物だ。

彼女に促されるまま、一行は店内に入る。入店の前に錦えもんの能力により、男は黒いスーツ、ハニーは地味な黒のドレスに変装している。ルフィだけは何故か陽気なひまわり柄のシャツである。

ハニーの望み通り、昼を少し過ぎた頃だと言うのに店内は客で溢れていた。国が裕福な証か、ところどころで酒を楽しむ人も見られる。田舎の酒場ではこんな時間から飲んでいるのはアル中一歩手前のくたびれたおじさんくらいだが、この国では皆お洒落に着飾り男も女も飲酒を楽しんでいるようだ。
ハニーはさりげなく店内を見回し、なんとなく有益な情報を持っていそうな客の近くになるように席を選んで座った。一行も、何の疑問も持たず彼女と同じテーブルに着く。

料理を注文して待つ間、ゾロは苛々したように水を飲み干して氷をかみ砕く。ルフィは議論する仲間の話を聞き流しながら、手持ち無沙汰に水に息を吹き込んで遊んでいる。
そしてハニーは、周りの会話に耳を澄ませて情報を聞いていた。今朝、ルフィの顔が新聞に載ったので、店の出入り口や厨房の方にもさりげなく目を配る。彼の顔をジロジロ見る輩がいたら、騒ぎになる前に退散しなくてはならない。
遠くにルーレット台が置いてあり、そこに杖を鳴らしながら歩く男に、明らかに周りと違った服装の男達が声を掛けるのを見たところでサンジが口を開いた。

ハニーほど手慣れている訳でないにしろ、サンジも周囲の様子を観察していた。


「しかし妙だと思わねェか?仮にもこの国の王が今朝王位を放棄したばっかだぞ?なんだこの平和っぷりは……おれァてっきりパニックになってるかと思ってたが」

「誰かに聞いてみよう。おい、おっさ…」

「ちょっとルフィ!」

「やめろ!!」


今朝の一面に顔が載ったばかりだというのに、考えなしにドレスローザの国民に声をかけようとするルフィをハニーが止めようとする。しかしハニーの手が彼に届く前に、サンジの踵落としが綺麗に決まった。
ガン、と音がしルフィの目に涙が浮かぶ。ルフィに通常の打撃が効かないとはいえ、武装色を纏ってまで蹴らなくてもいいものを、とハニーはサンジを見咎めた。
仲間を危険に晒すようなマネは窘められるべきだが、ルフィに悪気は無いのだから。

不思議なオモチャによって運ばれてきた料理を味わっていると、店の奥から下品な笑い声が響いてくる。レストランにいる一般客が横目で気にしていて、それがこの国の日常茶飯事ではないことは明らかだった。
騒がしいのに慣れている一味もハニーの目線が気になったのか、騒ぎの方に目を遣る。


「小悪党どもが盲目のおっさんから金をむしり取ってる」

「ドンキホーテファミリーみたいね」

「ハニー、分かるのか?」

「周りが言ってる。ドンキホーテファミリーの…顔よごしだって――――ってルフィ!?」


海賊を名乗る癖に、こんな胸の悪くなる状況が許せないのか単にトラブルに首を突っこみたいだけなのか、一味が止める間もなくルフィが騒ぎの中心に飛び込んでいった。食欲より優先することではないらしい、料理の皿を抱えたまま。
ドンキホーテファミリーに逆らいに行ったルフィに一般人の注目が集まる。あーあ、とフランキーが溜息を吐いた。
イカサマとも呼べない、弱者からの搾取に水を差されたチンピラたちが一斉にルフィに襲い掛かる。
盲目の弱者が、白杖――――に偽装していた剣を抜くと、チンピラたちは床ごと地の底に落ちていった。


「……」


店主に弁償を申し出てゆるりと出ていく背中を、皆が何も言えず見送る。一味が彼の正体を考察していると、我に返った一般人が騒ぎ出した。いろいろなものが無くなり“妖精”が持って行ったのだと。
ゾロも、彼の刀も一本無くなっているのに気付く。三本ある彼の刀のうち、錦えもんが『国宝』と取り戻したがっている『秋水』を。
しかし秋水について錦えもんと言い争いをしながらも、ゾロは窓から出て行こうとする“妖精”の気配に気付く。窓の方に目を遣ると、確かに今しがた盗まれた秋水が窓に引っ掛かり逃亡の邪魔をしていた。


「欲張ったな……“妖精”!!逃がさねェぞ!!」


ドレスローザでは妖精と呼ばれる彼(?)に盗られたものは神への貢ぎ物のように諦めなければいけない。しかしゾロにとってはそんな暗黙の了解は知ったことではない、刀を盗っていったのは何と呼ばれていようと守り神だろうとただの盗人である。取り返してぶった斬るのみだ。
猛然と走り出したゾロが迷子にさせている時間は無いのだと、サンジがそれを追う。同時にハニーも走り出し、秋水を盗られるわけにはいかない錦えもんも続いた。
更にルフィが追いかけようとするのをフランキーが止める。
彼らは盲目の男に落とされたチンピラを一人捕獲すると、人造悪魔の実“スマイル”の工場を聞き出すため、路地裏に引き摺っていった。



前へ 次へ


戻る

海獺