ハバネロエキス



会議はナックルシティのジムからさほど離れていない会議場で行われていた。
会議場から数十分、ワイルドエリア徒歩一分のホテルにハニーは宿泊しているらしいと、キバナは会議場の手配をしたスタッフから聞いた。彼女の性格を考えれば、スタッフに訊かなくてもすぐホテルを見つけられただろうな、とひっそり笑う。

会議後、ナックルジムで打ち合わせと雑誌の取材をこなし、適当に夕飯を済ませてホテルに向かった。
ホテルに着くと道中かけていたサングラスを取り、フロントに行ってハニーの部屋番号を訊く。
通常であれば個人情報の関係で絶対に教えてくれないだろうが、ナックルシティに住んでいてキバナの顔を知らないなんてことはありえないし、宿泊客が新チャンピオンであることをフロントの女性は知っていた。トップジムリーダー・キバナとチャンピオンが関係者でない筈がないので、女性は憧れのキバナに乞われるがままにハニーの部屋番号を口にした。ハニーが連絡手段を持っていなくて直接会いに来るほか無かったというキバナの嘘も、彼女の年齢を考えれば無くもない話だったので、女性は疑おうともしなかった。
どこらへんが嘘かというと、ハニーが連絡手段を持たないのではなく、キバナが連絡先を訊こうとしたら逃げられたのだ。

サングラスを掛けなおしたキバナはエレベーターに乗って、まっすぐハニーの部屋に向かう。
教えられた部屋番号のプレートが掛けられたドアをコンコンとノックして、応答があるまでにまたサングラスを取る。生意気とはいえハニーは女の子。平均をはるかに超える長身とサングラスのコンボは無駄な威圧感を生むだろう。
反応が無いので、もう一度ノックする。すると漸くドアが開き、怪訝そうな顔のハニーが顔を覗かせた。
まだ夜も宵の口だが彼女は就寝準備に入っているようで、ホテル備え付けのシンプルなパジャマを着ている。サイズが合っておらず、指先まで隠れそうな丈の袖が可愛らしい。
ハニーがキバナの顔を見て驚いた顔をしたのと、ドアにチェーンが掛かっていないのを見て、ドアスコープで誰が来たかも確認せずに出てきたのかと、キバナは彼女の危機管理能力の低さを案じた。


「よう、悪いな夜に」

「何か用ですか」


のっけから喧嘩腰のハニーに苦笑する。もしかしたら初対面で嫌われるようなことをやらかしたのではないかと思ったが、あの会議室にいる全員に対してこんな態度だったから、おそらくそもそもが人間嫌いなんだろうとキバナは考察する。
この歳で人間嫌いに陥るほどの経験をすることはそうないだろうが、数回、表面的な話をしたにすぎない関係でその辺りを推し量ることはできない。


「忘れモンだ」


そう言って、キバナはウエストポーチから赤と青のラインが入ったリストバンドを取り出す。
会議が始まる前、会議室前にあったロッカーにリュックと共にハニーが入れたダイマックスバンド。帰るときにリュックは取り出したが、会議室もしくは会議自体がよほど嫌だったのか、早く離れようと自分を急かすあまり落としたのに気付かず彼女は会議場から飛び出していってしまった。
それを発見したスタッフがハニーのホテルを訊いてきたキバナに託したのだった。

ハニーの顔の高さにぶら下げてダイマックスバンドをひらひらと振ってやると、彼女は鬱陶しいという表情を隠そうともせず、それを奪うように受け取った。
そしてそのまま扉を閉めようとする。


「じゃあ」

「待て待て、閉めるな」


すぐさま訪問者を拒絶しようとするドアをキバナの手が止める。
礼も言わずに部屋に籠ろうとするハニーのあり得ない態度に腹を立てた訳ではない。忘れ物を発見する前から、キバナはハニーと二人で話す用事があったのだ。
引き留められる言葉に彼女は案の定、心底嫌そうな顔でドアを引く腕に力を籠めるが、キバナが押さえるそれはビクともしない。そしてキバナは大して力を入れることなく、部屋への侵入を果たした。
部屋に侵入した上、簡単に帰る様子もないキバナに面倒になったのか人間に触れるのも嫌なのか、ハニーはキバナを押し出したりはしなかった。踏ん張ったところで小さな体がキバナを力ずくで追い出すことは不可能であるが。


「まだ何か用事があるんですか」

「うん。キバナさまとちょっと話そうぜ?」

「嫌です」


きっぱりと断られても、キバナは聞こえていないかのように笑ってデスクとセットの椅子を引き出す。ベッドに向かうように向きを変えてそこに座りハニーにベッドに座るよう促してみるが、彼女は他人の指示に従うのが不快らしく、ベッドの傍に立って意地でも座らない構えを見せた。互いに座ってしまえば長話になる。
椅子に座るキバナと丁度目線の高さが合うので、これはこれで別にいいかと、キバナは早速話し始めた。


「今日の会議、そんなに嫌だったか?」

「弱い人と喋ることなんか無いです」


むすっとしたままのハニーの発言。それは会議中のことか、今キバナに言っていることなのか、どちらにしても彼女の主張は会議中と変わらないらしい。チャンピオンになったはいいもののその重責に圧し潰されないよう強がっていたら心にも無いことを言ってしまったとか、そういう子供なら許せる理由だったらいいのにと、おそらく無いだろうがほんのりキバナが期待していた可能性は排除された。
しかしいきなりお前態度悪いぞと注意するにはまだ早い。ここはハニーが人と喋るのに緊張するあまり暴言を吐いてしまい退けなくなってしまった体で話そうと、キバナは目の前の女の子を気遣う。
人間が成熟していないのは仕方ない。ダンデは昔から誰に対しても大体優しい男だったが、まだ人間関係を上手く築けないハニーのような子がいてもおかしくはない。
あまり長く続くようなら叱るのも大切だが、最初は優しく諭そう。きつく注意して泣かれても困る。キバナはどう話を持っていくか考えながら続けた。


「そう言うなって。そんなこと言ったら、話す奴いなくなるぞ?お前、ガラルで一番強いんだからさ」

「別にいいです」

「えー、寂しいなぁ。オレさまはハニーと話したいのに」


そう言って、キバナは白い歯を覗かせてニコリと笑う。
これをすると大抵の人が一緒に笑顔になると本人も自覚しているキバナのスマイルだが、ハニーには効果はいまひとつのようで、暴言こそ吐かれないものの彼女は特に笑顔になることなくキバナの言葉を無視した。
最強のトレーナーになるために旅に出るまでの間、近所に住んでいた女の子の初恋を微笑み一つで軒並み奪ってきたキバナの経験ではハニーはここで年上のイケメンお兄さんに惚れる目論見だったのだが、チャンピオンになるほど抜きん出た才能を持つ人間の感性は一般人と異なるのかもしれない。キバナはちょっといたたまれない気持ちになった。


「なあ、好きな人とか尊敬してる人、いねぇの?」

「いないです」


いる訳ないと思いながらの質問だったが、やはりいなかった。
彼女の警戒心を解くきっかけになればと思っての質問だったが、不発に終わる。
容赦ない即答に思わずキバナは噴き出してしまった。


「ははっ、だろうな!じゃ好きなポケモンは?」

「……? 全部」


とにかく会話を重ねて彼女を知り、仲良くなる。そのために始めた質問タイムだがハニーにはキバナの意図は通じていない。部屋に押し入ってきてまでする意味のある質問には思えず戸惑っていたが、とりあえず正直に答えた。
もしハニーにキバナの意図が通じていたら、仲良くなろうなどと考えるなとばかりに無視するか嘘を吐くかしていただろう。理由も無く嘘を吐くほど彼女は捻くれきった子供ではなかった。


「全部かー。特に好きなポケモンはいねぇの?オレさまはドラゴンタイプ全般」

「……ロコン」

「どっちの?」

「どっちも」

「アローラの方はまんまお前って感じだよな。じゃあ好きな技は?」


キバナが質問しハニーが短く答える。片や常に笑顔、片や常に無表情のやりとりは傍から見るととてもシュールだ。ハニーの“子供らしくなさ”は笑顔の無さも手伝っているのだろう。
好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?実家はどこにある?甘いものは好きか?初めて捕まえたポケモンは?いくつかの質問を終えてキバナが得た情報はどうでもいいことばかりだった。


「ふーん、リオルか。そういや今お前のポケモンどうしてんの?」

「みんな寝てます。…あの、わたしも寝たいです。早く帰ってください」


答えを知ったところで何にもならない質問を繰り返すキバナに焦れたハニーは、キバナに出ていくようストレートに要求する。オブラートに包む言い方をできないのは子供ならではというより、彼女に隠す気が無いからだ。ある意味彼女は素直だった。

雑談はここまでにしよう。
キバナが立ち上がり、ハニーに近付く。膝を曲げて中腰になり、彼女とできるだけ視線を合わせる――――のは体格差がありすぎて無理だったので、上から覗き込むようにしてハニーに顔を近づける。
咎めるように鼻に人差し指を乗っけると、ハニーは首を逸らしてそれを避けた。汚いものから遠ざかるような動作に、そこまで露骨に嫌われた経験が無かったキバナは地味に傷ついた。


「なあ、ハニー。今日の会議のことだけどさ、緊張すんのは仕方ないけど、もうちょっと可愛い言い方練習してみねえ?オレさまと一緒にさ。皆に嫌われるより好かれるほうがいいだろ?」


『ツンデレロリクソかわ』。会議でカブが言ったことを思い出しながら、せっかくお前は可愛いんだからさ、と付け加える。
キバナの顔面で放たれるそのセリフは年頃の女性にとっては殺し文句に違いなかったが、ハニーは特に反応した様子もなく質問への回答だけを行った。


「余計なお世話です。弱い人を気にして生きるなんて嫌なんです」

「弱いって言うなよ。お前が強すぎんの。ジムリーダー達はガラルのみんなの憧れなんだぜ?」

「そんなの知らないです。わたしは憧れる人なんかいないです。わたしだけが強いんです」

「んんー……」


説得も全く効かない。会話が成り立っているだけマシなほうかと、キバナは項垂れそうになるところを堪えて上体を逸らした。ハニーに目線を合わせようとすると腰が痛むのだ。
彼女はとにかく人にどう思われようが構わないらしい。
しかし野生のポケモンではないのだ。強いだけでは生きていけない。人間が社会的動物であるということを早いところ理解させないと、彼女は人前に出る度にファンを減らしていくだろう。
単純に可哀想だし、リーグの代表である彼女がそんなことではリーグ全体の評価を落としかねない。
彼女にとって他人がどうでもいいということはよく分かったので、彼女自身の損得を説く方向で攻めることにした。


「会議はお前のためでもあるんだぞ。ダンデのマント、見たことあるだろ?」


チャンピオンになることは苦労を要するが複雑ではない。とにかくポケモンバトルが強ければいいのだ。実力でトーナメントに勝ち進む。全て勝てば自動的にチャンピオンだ。
しかしチャンピオンになった後は、強いというだけで望む生活が手に入れられる訳ではない。チャンピオンとしての立ち振る舞いを求められるし、プライベートも制限される。問題行動を起こせばたちまち批判の声が飛ぶ。時に、問題行動など起こしていなくても、小さな誤解を針小棒大に取り上げられることもある。
その辺りは他人をどうでもいいと思っているハニーには説いても響かないだろうが、現実問題として金が無ければ生活できないということくらいは理解しているだろう。

キバナは中腰を止め、ハニーの正面に座り込んだ。それでもやっと、彼女の方が少し目線が高くなるくらいの身長差だ。
ダンデのマントを思い浮かべているのか、ハニーがキバナから目線を逸らして斜め左上に向けた。
自分の主張を曲げるつもりはないようだが、説教されていること自体は分かっているらしい。口が不満げに少し突き出している。そういうところは可愛いのになあ、とキバナは思った。

ダンデのマント。スポンサーのロゴがこれでもかと詰め込まれたそれは、企業が彼につけた価値の証だった。
一般人には信じられないほどのギャラを払ってでも、それ以上に広告として優良だからこそ企業は挙ってダンデにロゴを背負って欲しがる。企業の顔にふさわしい信頼度、スター性、人望があると認められた証拠。それがあのマントに表れている。

バトルが強いだけで金が湧くわけではない。スポンサーがいて、観客がいて、それらに応えて初めて生活を支える金が手に入る。

ハニーの目をしっかりと見て、噛み砕いて説明する。少女には金の話は少し現実的すぎるかとキバナは思ったが、打っても響かない今までの様子とは違い興味は惹けたようだ。今のままでは不味いと漠然とでも思わせることに成功したようで、ハニーは苦い顔でキバナの話を聞いていた。
他の地域に比べて子供の自立の早いガラルでも、彼女はまだ親の庇護の元にあってもいい歳だが、金の話なら素直に聞くってどんな生活してるんだ。キバナは質問タイムでそれとなく訊いてみればよかったか、と首を捻った。


「スポンサー契約、一人でできるのか?ダンデがバトルの他にどんな仕事してたか知ってるか?」

「…知らないです、けど」

「けど……何だ?」

「……」


認めたはいいがとりあえず反論したくなっちゃう年頃のようだ。否定したい気持ちはあるが反論材料が無いか、上手く組み立てて説明できないかでハニーは黙り込んでしまった。

黙られるとキバナは何だか悪いことをした気分になる。
嫌な思いをさせたいわけじゃない。
しかしこのままハニーが他人を見下した発言を繰り返していると彼女がいろんな人に嫌われてしまう。そんな未来が分かっているのに止めないわけにはいかないのだ。


「安心しろ。ぜーんぶ、オレさまが教えてやる。お前がもっと生きやすくなるように」


生意気なのもキバナにとっては可愛い要素であるので問題ではない。
しかし『自分より弱い人間に人権など無い』という価値観だけは少しずつでも矯正していかなくてはならない。周りの人間にとっても、彼女自身にとっても、害でしかない。
個性を奪うような真似にはなるが、子供には大人が道を示すことがどうしても必要なときもある。

ハニーが頷けば済んだ話だ。優しく諭したつもりだった。

彼女にとって、デメリットなんて無い話だ。キバナは彼女を不幸にする気は全く無い。
彼女が自分から訊けないことを先回りして教えてやれる。ポケモンたちも安定して養ってやれる。性格が最悪のチャンピオンと言われる日も来ない。生活する上で必要不可欠な他人とのコミュニケーションも円滑になる。

しかし彼女は、キバナが思った反応はしなかった。
ハニーは、彼女の目の前に不安定な姿勢で座ったままのキバナを、突き飛ばした。

体格差が相当あるとはいえ、彼の体勢では後ろに踏ん張ることはできず、キバナはその場に尻もちをついてしまった。
口の悪さに止まらず遂に手を出してきた彼女の顔を見上げる。およそ子供とは思えない、キバナを心底見下した、お前には失望したと言わんばかりの形相だった。


「それって、わたしに変われって言ってるんですか?弱いほうじゃなくて?わたしに?」


ばかなんじゃないですか。ハニーは嘲笑こそしなかったが、明らかにキバナを傷つける目的で言葉を吐いた。
別に頭の良し悪しをコンプレックスと思ったことは無いので、馬鹿と言われたくらいでキバナは傷つきやしない。
しかし彼女にもっと語彙があれば、キバナのもっと傷つく言葉を探して吐き出しただろう。彼女の悪意に、キバナはもう駄目だと思った。


「…あー……、どうしても説得されてくれない?」

「わたしが?なんでわたしが?わたしはわたしに負けた人の言う事なんて聞かないです。聞くわけないです。聞く意味ないです。聞く価値ないです」


先ほどまで、質問に対して短く答えてきた彼女が、興奮しているのか饒舌で早口になっていく。
自分に変わる必要はないと考えている彼女に、地雷だったか。
喋らせるだけ喋らせて疲れるのを待っても構わなかったが、時間をかけても言葉で彼女の絶対的価値観を変えていくのは難しいだろう。
彼女は変わる機会を自ら蹴飛ばしたのだ。

変わりたいと思っていない者の前にチャンスをぶら下げても、鼻で笑って無視される。
無理矢理押し付けるしかないのだ、彼女には。


「ん、わかった。言葉で説得できないなら、もうこうするしかねぇわ。順番狂うけど、まあ結果は同じだから大丈夫だ」

「え?――――ひっ!?」


キバナは立ち上がると、躊躇うことなくハニーの背に腕を回して抱き寄せた。
そしてもう片方の腕で彼女の後頭部を固定し、唇に唇を押し付ける。何が起きたか分からない彼女は、かなしばりのように固まって目を見開いた。
キバナが彼女の矮躯を持ち上げるのは簡単だった。彼女の腰下あたりで力を籠め、自分の体に押し付ける。彼女の脚はあっという間に床から離れ、そしてすぐにベッドに投げ出された。

バトル中の獰猛なキバナの瞳に一瞬たりとも怯まなかった彼女の体が、恐怖に震えた。




海獺