グラスフィールド




2回目の会議はいつもの殺風景な会議室ではなく、キルクスタウンのとあるカフェの個室で行われていた。
味気ない長机にパイプ椅子ではなく、ヴィクトリアン調の内装に合わせたアンティークな丸い大テーブルが中央に据えられ、柔らかいソファーがその周りをぐるりと囲んでいる。
椅子の前にはセットのティーカップと小皿。皿の上には可愛らしいマカロン。大量生産の湯呑に個包装の菓子とは雲泥の差である。
いつもの会議室と唯一同じなのは、資料を映し出すプロジェクターとパソコンが置かれていたことだった。

チャンピオンとジムリーダー達の会議は、ガラルの中心に位置し交通網が発達しているナックルシティで行われることが多かったが、ジムリーダー同士はなにもトーナメントだけで戦うわけではない。非公式にジム交流戦を行うこともあるため、そのついでにたまにはこうしてナックルシティ以外でも会議が開かれるのだ。

しかし、どの町で開催するにしても、今まではそれぞれの町のそれなりに簡素な会議室でしかしてこなかった。参加者にやる気がありさえすれば、必要最低限の設備で会議は進むものだからだ。
会議室のレンタル料や茶菓子代などはリーグの運営費から支払われるが、だからといって贅沢をしようというような邪な考えは歴代のジムリーダー達には無かった。
ジムトレーナーも連れてランチを兼ねた交流会なんてものはあったが、定例会がこのような豪華な場所で行われた例は無い。会議の進行方法を変えたことはあっても、環境を変えようという案は一度も出なかった。


「へー。いい雰囲気じゃないですか」

「このカフェ、お気に入りなんだ。こんな大きい個室を借りたのは初めてだけどね」


会議がいつもの会議室でなくカフェで行われたのは、メロンがそう手配したからだ。
メロンは一ヶ月弱前に行われた前回の会議でのハニーの態度に腹を立ててこそいたが、それとは無関係に子供に寛容なので、和む雰囲気の中でならハニーとも打ち解けられるのではないかと考えた。怒りとは別に、純粋に彼女の将来を心配していたのだ。

今回は、新しくジムリーダーとなったマリィとビートも参加している。せっかくガラルに新しい風が吹くのに、あまり堅苦しくては良い意見も遠慮させてしまうかもしれない。
歳の割にしっかりしていて我の強い子供たちだが、バトルと会議は違う。リラックスできる環境が必要だ。

初参加のマリィとビートのためというのは後付けで、やはりこの会場を借りたのはハニーのためというのが一番大きかった。彼らは少なくとも話しかければ応答してくれる。

彼女を特別扱いしすぎているという憂慮もメロンには無くはなかったが、ハニーを表に立てる人間に仕立て上げることは、何にも優先される急務である。

遠くないうちにマイナーリーグとの会談がある。ハニーがあのままではマイナーリーグに示しがつかないのだ。
その会談で前回のような発言をされては、(メジャー)リーグの受けるダメージは計り知れない。
マイナーリーグの運営母体はリーグとは全く別だ。加えてマイナーリーグは人数が多い。余所の組織のそれなりの人数に箝口令を敷くのは難しいし、そうなれば彼女の実態が世間に明らかになり、リーグの評判が落ちるのは時間の問題だろう。
それだけはなんとしても避けなければならない。

という訳で、メロンはキバナに彼女の教育を任せる一方で、自分にできることとして、彼女が心を開きやすくするため場を和ませるよう趣向を凝らしてみたのだった。


「SNS映えしそうだな。後で皆で写真撮ろうぜ」


女の子が憧れそうな調度類を見渡して、キバナは感心する。
彼にはそういう発想が無かったので、五児の母である彼女の実に大人の女性らしい気遣いに敬服していた。

欲を優先させたあまり短絡的な行動をとってしまったことをキバナは後悔していない。
しかしこういう手段もありかー、と一人頷いて、傍らの少女の表情を窺い見た。少しは心動かされただろうかと。


「……」


前回の会議と変わらずの無表情であった。


「お〜、今日は遅刻せんと来たな」

「オレさまが起こして来たんだぜ。な、ハニー?」

「……」

「わざわざハニーの家に寄って?教育係っていうかお母さんじゃない」

「ははは」


キバナと一緒に会議室に入ってきたハニーにヤローが声を掛ける。
答えようともしない彼女にキバナが水を向けたが、彼女はぷい、とそっぽを向いてしまった。

一ヶ月足らずで激変する訳がないとは分かっていても、全く成長が見られないハニーにルリナが苛立ったようにキバナを揶揄した。
ハニーがどんな生意気を言っても苦笑で流した寛容なキバナだ。大人の対応と言えば聞こえはいいが、叱れないのではどこまでも舐められたままだろう。
一体どんな教育をしているのか知らないが、どうせ甘っちょろい顔をして彼女の我儘に振り回される日々だったのだろうと、ルリナは苦い顔で溜息を吐き憂鬱そうに机に片肘をついた。


「連れてきたのはいいですけど、邪魔しやがらないでくださいね」

「ネズ、そう言うなって。ハニーはポケモンと仲が良すぎて人とはどう関わればいいか分からないんだよ」


ネズが大人気なく野次を飛ばすとすかさずキバナが庇った。
ハニーのどうしようもない強情は目の当たりにしたキバナが一番よく知っている。ただそれを他のジムリーダー達に伝えたところでどうにかなるものではない。
教育はとにかく自分に任せてもらって、少なくとも何でもかんでも噛み付く癖を矯正するまでは、周囲にはハニーの憎たらしい態度を仕方のないものとして我慢してもらうしかなかった。


「ファンサマスターキバナさまがそこんとこもきっちり教えてやる、てことで話がついてるんだ。チャンピオンっつってもその辺は修行中だ、勘弁してやってくれ」


人当たりの良さでキバナを上回る者はそういない。彼はファンサービスも旺盛であるし、試合の時以外では柔らかな笑みを絶やさない。
彼の態度を真似れば無駄に敵を増やすような行動をとることは無くなるだろう。確かに、人付き合いを学ぶならキバナは適任だった。

キバナの話では二人の間でその約束がなされている筈なのに、明らかに納得していない顔のハニーに、一同の不安感は募るばかりだ。
とはいえキバナの発言を否定もしなかったので、キバナに任せたことで少しは頑なな態度もマシになったようだと、ネズははいはいと返事をして席に着いた。

前回の会議にはいなかったマクワとサイトウも到着し、ダンデ以外の新旧チャンピオン・ジムリーダーが机を囲む。

マクワとサイトウがハニーと顔を合わせるのは初めてだ。
彼らは事前にハニーについて何も聞いていなかったので、可愛らしい女の子に無視されるキバナは一体彼女に何をしでかしたのだろうと考えを巡らせていたが、カブが「いつもあんな感じのようだよ」と説明し目を丸くした。
いかにもマホイップが似合いそうな風貌の可愛らしい女の子が、常からあんなツンケンした態度であるとは信じられない様子だった彼ら。
しかしぐるりと周りを見渡して、目が合うと皆黙って首を振ったのを見て、察したようだった。

甘いと思って口をつけたら辛かった。甘い外見をしておきながら態度は激辛な彼女を目の当たりにした者は、皆一様にそんな微妙ながっかりした気分になる。

しかしそんな味が癖になる者もいる。
二つ連続で空いた席が無かったので、キバナはわざわざ間を詰めるようにお願いしてまでハニーを自分の横に座らせた。


「んじゃ始めっか。今日は初参加のマリィとビートもいるし、簡単に前回の内容を説明するからな。ハニー、二回目でもわかんねーとこあったら訊いてくれよな!」

「……」

「ハニー、返事はー?」

「…ッ、はい……」

「……!!?」


ハニーとキバナを中心に衝撃波が駆け抜けたように、ジムリーダー達はどよめいた。

ハニーが返事をした。それも否定などでなく、従う旨の返事を。

前回の会議に出席したメンバーはそれぞれキバナに感心すると同時に、驚きを隠せなかった。
メロンがまあ……と開いたまま塞がらない口を手で覆う。
ネズが激しいライブの直後のように声を失くす。
オニオンが仮面の奥でぽかんと口を開ける。
カブが意表を突かれたように仰け反り、ヤローがにっこりと笑い、ポプラが大きな目を更に見開く。
ルリナは手にしていたティーカップを取り落とし、香り高い茶をテーブルにぶちまけた。

他のジムリーダー達は彼女の酷い態度のほんの一端しか見ていなかったのでそこまでの衝撃は無かったらしい。呆然とする他のジムリーダーが我に返るより先に、ルリナの溢した茶が広がらないように慌てて処理に走っていた。

そしてキバナはというと、皆の狼狽ぶりを訝しげに眺めるハニーの頭を撫でて得意げな顔をしていた。

混迷の様相を呈した会議室が落ち着いて暫く。ガイダンスを終えて、次に進む。今回の会議は問題なく進みそうだとキバナの隣で大人しくしている●を見て、ジムリーダー達は本来の朗らかな空気を取り戻していた。


「――――さ、質問も無いことだし、次の議題だな。皆ももう知っているだろうけど、アラベスクタウン、スパイクタウンのジムリーダーが今年度から交代する。まずは引退したポプラさん、ネズに皆拍手!」


暖かい眼差しと拍手を浴びて、ネズは照れたように礼を言った。ポプラはいつも通り澄ました顔だ。
皆笑顔で労いの言葉をかけてくれる中、何が気に入らないのか、両手をぎゅっと握り締めて拍手などしそうにないハニーを見咎めかけたネズだが、キバナが彼女の両手をひとまとめに握って一緒に拍手する様が幼児と父親のようで、思わず噴き出してしまった。

笑われた原因がキバナの行為にあると分かっている彼女が、キバナに何か言いたげに口を開く。
しかしキバナが先制でにっこり笑いかけると、彼女は何も言えないまませめてもの抵抗で握られた手を払いのけた。


「なんか一言ありますか?」

「無いよ」

「無ぇです」

「もうちょっとなんかさあ……」

「後のことはそこのに任せてるよ。それにまだまだピンクが足りないから暫くは完全引退とはいかないさ」

「会議にはこうして出席しますしね。まあ、これからウチの妹をよろしくお願いします」


後任について触れられ、注目を浴びたビートとマリィがピッと姿勢を正した。
彼らはジムリーダーとしての仕事はまだしたことがない。この会議が最初の仕事のようなものだ。
キバナ達ジムリーダーと戦って、ジムリーダーがどれほど強く偉大なものであるか彼らは身をもって知っている。責任の重さを改めて感じているのだろう。この人達のようにならなければいけないと。

ジムリーダーでさえこうなのに。10年続いたチャンピオンを下したハニーにも少しは見習ってほしいと皆は思った。

続いて、新任のビートとマリィが促され立ち上がる。緊張しつつも、向上心の強い彼らはそれぞれここにいるジムリーダー達に負けない実力を身に着けていくと宣言し、挨拶とした。
こういう生意気さは全員が望むところである。先輩ジムリーダー達も皆、先輩の威信をかけて、バトルで負ける気は無い。皆先ほどとは違う意味を込めた拍手で新任ジムリーダーを迎え入れた。

二人が席に着くと、盛大に手を打ったせいでひりひりする手をさすり合わせながら、カブが思い出したように声を上げた。


「そういえば、ハニーも新チャンピオンなのに挨拶していないね。今回の会議は皆揃っていることだし、どうだい、一言言ってみれば」

「言う事なんて無いです」

「こーら、ハニー。思いつかなかったら、よろしくお願いしますって笑えばいいんだよ、こういうときは」

「……だって、よろしくお願いすること無いです」

「無いわけねーの。とりあえず立て。挨拶は大事だって教えたろ」

「ポプラさんとネズさんだって言わなかったのに、何でですか」

「う」


挨拶は大事と言いながら、ポプラとネズが特に何も言わなかったのは許した。なのにそれをハニーには強制する。
「何でですか?」と純粋な疑問形ではない、キバナを批判するハニーにキバナは言葉を詰まらせた。

確かに正論だ。皆同様にどうしたものかと頭を抱えた。
いいから挨拶しろ!では教育にはならない。彼女の性格を考えれば、より頑なに拒否するだろう。

そもそも挨拶一つで時間を取るのも面倒だ。
大人は良くて子供は駄目という理由は、今回の場合は説明がつかない。
納得するまで頑として口を開かないだろうハニーに、ネズはやれやれと肩を竦めて立ち上がった。


「分かりましたよ、言えばいいんでしょう。まったく……」

「別に聞きたくないです」

「クソガキ……!!」


結局前回の会議とほとんど変わらないやりとりをしている彼らに、感動を返せとばかりの溜息があちらこちらから零れた。


「ネズ!ハニーをあんまり苛めないでくれ」

「いや…キバナさん……逆では……?」

「苛められてなんかいないです!変なこと言わないでください」

「キバナくん、どう考えてもネズくんの方が苛められてるよ」

「ちょっとオニオン、カブさん、何でオレがこんなガキに苛められてることになってんですか」

「わたしは弱い者苛めなんかしないです。弱い人に苛められたりもしないです」

「クソガキ!!」

「アニキ、大人気ない」

「マリィ!?」


マリィが呟いたことで、永遠に終わりそうになかった程度の低い喧嘩未満はヒートアップしきる前にとりあえずの収束に向かった。
ハニーも言い返す者がいなければ追撃を喰らわそうとはしないのだ。ほどほどのところで放っておけばよいだろうに、とポプラやヤローは意外と頭に血が上りやすいロックスターを両サイドから落ち着かせた。


「ネズ、ハニーにはオレさまが言い聞かせとくから、お前はそんな怒んなよ。ハニーが怖がるだろ」

「キバナには一体どんな幻覚が見えてるの……?」


ルリナは信じられないものを見る目で呟いた。今まで彼女が怖がる様子など一度でも見せただろうか?自ら喧嘩を売りに行っているのに。


「言い聞かせるって何ですか。わたし、間違ったこと言ってないです」

「言って聞かせるのは駄目か?」

「だから、キバナさんの言う事も聞かな、……あっ」


キバナに対してそっぽを向いていたハニーが、何かを思い出したように声を詰まらせ、キバナを振り向いた。
「ん?」キバナが答えるように笑うと、彼女は対照的にスーッと顔色を失くしていき、そのまま黙った。


「悪い、脱線したな。次の議題は公式戦のルール確認とスケジュール調整な」


俯いて体を縮こませたハニーの背中をぽんぽんと軽く叩くと、キバナは普段通りの柔らかな低い声で何事もなかったかのように会議を進める。
彼女の反応は気になったが、彼女が多くは喋らないのはいつものことだ。今年度の会議の進行役がキバナでよかったとジムリーダー達は安堵の溜息を吐いた。

年齢ゆえにまだ荷が重いとされていたオニオンは勿論、他の誰にも冷静に彼女を制御することはできないだろう。
できるとしたらヤローとポプラくらいだが、彼は優しすぎてきっと舐められるだろうしは彼女はピンクな者にしか興味がない。
教育係としてキバナは本当に適任だったと、会議の話を耳に入れながらも彼らはキバナに心の中で感謝の意味で手を合わせた。

ハニーはなんだか怖がっているようにも見えるがそれは気のせいで、ちゃんと懐いているのだろう。茶菓子を雛鳥のようにキバナの指から直接食べている彼女を見て、皆は微笑ましいとばかりに目を細める。
抵抗があるように見えるのはきっと恥ずかしさからなのだろうな、とキバナとハニーの様子を深く掘り下げて考える者はいなかった。




海獺