ペットボトルのお茶 -130円

目の前に突き出された50000円。それがわたしの処女の代金だった。処女が売れると思っていたわけではないので、少々驚いた。が、抵抗することなくすんなりそのお金を受け取ってしまったのは、何故だろう。
金銭的に困っているわけでもないし、わたしは処女の相場を知らないが、こんなもんか、と思った。行為を含めて、全て終わって仕舞えば、こんなもんか、と。

セックスって虚無なんだなあという、学びを得たと思う。



物語のように腰が痛むだとか、喉が痛むだとか、そういったこともなくわたしは翌日をいつものように迎えた。ただ寝つきは悪く、ずっと眠りも浅かった。お陰で早朝に目覚めてしまったし、二度寝などしたら起きられない自信があった。気分もどうしようもなく重たくて、学校に行くにも気乗りしなくて瞼も重いが、いつもと違うのはそれくらいのものだ。顔を洗って適当に朝食を食べて、歯磨きして軽くメイクしてブロウして。いつもよりかなり早い朝路を歩く。電車も空いていて座れてしまって、すこしうとうととしながら学校に着いた。
朝練をやっている生徒がいるようで、校門もあいているし既に学校は気力で満ちていた。

なんとなく体育館の方を迂回すると、剣道部が朝練しているのが見えた。むん、と汗の匂いがしそうなほどの熱気が伝わってくる。中央の方に金系をたなびかせる人が見えて心臓がぎゅっと音を立てる。心なしか喉が渇いたので、見なかったことにして方向転換し、1番近い自販機に向かった。
わたしはオレンジジュースが好きなので、結構な頻度でオレンジジュースを飲んでいる。今日も同じものを飲もうと財布を開けたのだが、小銭がなく千円札を出した。
千円札を見たときに、裏側に重なっていた一万円札に気づく。おもむろに目の前に差し出された五万円のことを思い出す。千円札以外に、財布の中にそっと収まっている五万円。わたしの処女を散らしたときに、手に入れてしまった臨時収入。


どうしよう、とぼんやり考えた。別にわたしの好きにしていい現金五万円なのだが、ちょっと、とんでもなく悍ましくて汚い考えが浮かんでしまった。こんな爽やかに晴れ渡った、気持ちの良い朝の、それも学舎にはとてもじゃないが似つかわしくない考えである。


いや、わたしの好きにしていいお金だから。これは、わたしの自己満足だから。知るのもわたしだけだから。そう思うともうやけになってしまって、この五万円の用途はもうそれしか思い浮かばなくなってしまった。


ぴ、と自販機を2回押す。手元にはいつものオレンジジュースと、お茶のペットボトルが一本ずつ。オレンジジュースはごそごそとスクールバッグの中に仕舞い込み、ゆっくりと体育館に向かう。心臓がばくばくと音を立てているが、顔は澄まし顔の練習をしながら。
体育館の開かれた扉から、わざと見えやすいように中を覗き込む。勿論、剣道部に1番近い位置だ。そして休憩中なのか、あまりにもタイミングよく煉獄くんが扉の近くにいたので、思わず笑ってしまった。すぐにわたしに気づいた煉獄くんが、ギョロギョロとした目をかっと見開き驚いた顔になっている。

「みょうじ!おはよう!」
「おはよう、煉獄くん」

爽やかにそして元気に笑う煉獄くんに、朝は似合いすぎる。でも煉獄くんには、夕陽も似合う。なんでも似合う。うっとりするほどに。
そんな煉獄くんにお茶のペットボトルをすっと流れるように差し出して、もらってくれない?と言った。

「む!差し入れか?」
「差し入れっていうか、さっき自販機で間違って買っちゃったの。たまたま寄ったから、貰ってくれないかなと思って」
「そうだったのか!ならば遠慮なくもらおう!」

ありがとう!とクソデカ声で宣言する煉獄くんは手も大きくて、ペットボトルがやけに小さく見えた。部活用の大きい飲料ケースを持ち歩いている彼は普段ペットボトルをあまり飲んでいないので、非常に新鮮に見える。いい煉獄くんが見れてしまった。

「貰ってくれてありがとう。朝練がんばってね」
「うむ!励むぞ!」

教室に向かおうと手を振るとすぐ振りかえしてくれる、優しい顔の煉獄くん。かわいそうな煉獄くん。
卒業したら、どうかわたしのことを二度と思い出さないでほしい。


この私立高校に高等部から編入したわたしだが、実は中学の頃から煉獄杏寿郎のことを知っている。引っ越す前に住んでいる地域は遠くなかったので、利用する駅や地域の集まりで時折見かけていたのだ。彼は際立って顔が端正というわけではないが、金髪に赤色のメッシュが入っているので色合いがかなり目立つし、声も大きかった。一度見たら忘れない、そんなインパクトがあったのだ。
そして彼が、ある日電車の中で老人に席を譲っている光景を見た。
別段珍しいことではなかったと思う。席を譲れる中学生は、それこそたくさんいると思う。それでもあの瞬間の煉獄くんのことをずっと忘れていない理由は、自分でもよく分からない。幼くとも背がぴんとはっていて、姿勢が綺麗で、堂々としていて、声もはっきりとしていて。育ちが良さそうで、性格が良さそうで。見かけたときの彼のそばにはいつだって友達がいて、その会話でとても慕われていることが伝わってきた。彼はきっととても優しい。自然に人を引き寄せて、本能で人を愛して愛されることができるそんな才能があって、それを裏切らない相応の努力をしている自信のあるひとだ。だからあんなにも胸を張って生きているし、声だって大きいのだ。なんて素敵で完成された生き様だろう。
わたしがほしいものを全部持っている煉獄くん。

わたしはきっと、煉獄杏寿郎に生まれたかった。

煉獄くんになりたくて、名前も知らない彼のことを真似し始めた。猫背気味の背を張るようになり、箸の使い方や食べ方に気を遣い始めた。喋り方にも気を付け乱暴な言葉遣いは極力控えるようになった。タバコ臭い家から逃れるようにして匂いに気をつけた。出来るだけ笑顔を心がけるようにもなった。人に優しくするようになった。それだけで、根暗で地味で性格がねじ曲がっていてどうしようもなかったわたしに、上辺だけではあっても友達ができた。

煉獄くんと違ってわたしに自信などない。あくまで煉獄くんのようなフリをしているだけで、人を愛してなんていないし、大切にする方法も知らない。わたしのものは付け焼き刃の偽物だ。それはきっと永遠にそう。

高校に入って煉獄くんが同級生だと知ったときにはすこし驚いた。年上だと思っていたからだ。近くで見られるようになった煉獄くんはますます素敵だったし、会話もできるくらいには知り合いになった。煉獄くん。世界で一番すてきな煉獄くん。煉獄くんには一生汚れてほしくない。わたしなんかと会話させてしまって、かわいそうだ。
これを恋と呼ぶには、ずいぶんと薄汚れている。絶対に墓まで持っていく。

だからどうか、どうか許してほしい。でも知られることはないし、だから許さなくてもいい。

間接的に五万円、ゆっくりゆっくり、煉獄くんに貢がせてほしい。

あなたの口の中に、日々に、わたしが稼いでしまった処女のお金が入っていくのだと思うと、とてつもない罪悪感と、興奮でいっぱいになる。なんて、なんてすてきなのだろう。

これからも絶対に煉獄くんにやましい思いを抱いたりしないから。

わたしの処女を、間接的に、あなたにあげたい。
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琥珀糖