朝ご飯を作ると言えば「話が終わってからにしろ」と言われたが、私は昨夜まともな食事を食べていない。ビールとちょっとしたおつまみだけなのだ。勝手に他人の家に入ってきて一晩の宿を貸してやっただけでもありがたいと思ってほしい。さらに話があるのだとしたら、それは家主の私の意思を尊重してからになるはずだ。そう思い、彼には「10分で作りますから」とだけ言ってキッチンへ向かった。
昨夜はあまりにも驚き過ぎたのと彼の威圧的な態度に萎縮してしまったが、思えばここは私の家だし、私に主導権があって然るべきなのだ。そして見たところ、彼は口は悪いが暴力を働くタイプではない。出会って数時間でキレまくってはいるが、一向に手を上げる気配はない。天使というのは強ち嘘ではないのかもしれない。
「さて、それじゃ食べながらになりますけど」
「オイ」
「なんですか」
「なんだよコレは」
絶好調に不機嫌な顔で指差すコレとは、私が作った朝食だ。トーストに目玉焼き、即席で作ったサラダと少し甘めのミルクティー。何か問題があるだろうか。あ、コーヒー派だったかな。
「コーヒー淹れましょうか?」
「ちげーわ!何二人分出してんだ?食事はしねえって言ったよな?」
「言いましたけど、食べられないわけじゃないんですよね?卵もサラダも今日食べ切らないと傷んじゃうから」
食べて、と言わんばかりにフォークを渡す。不機嫌フェイスをさらに色濃くしながらもフォークを受け取ると、彼はサラダに手を伸ばした。彼が咀嚼するのを確かめて、私もトーストに噛り付いた。いつもと同じ朝食だけど、人と(人じゃないけど)一緒に食卓を囲むのは久しぶりだ。得体の知れない相手なのに、どこかホッとしてしまう。
彼は無言で食べ続け、ミルクティーに口を付けたところで話し始めた。
「昨夜の続き」
「はい」
「オレはジジイの怒りが冷めるまでは帰れねぇ。だが、それがいつになるのかは不明だ」
「不明って…誰に何したんですか」
訝しげに見つめると、勝己さんはもはや聞き慣れてきた舌打ちを一つ打ってこれまでで一番小さな声で「神」と言った。え?神?神様ってこと?「ちょっと焦げたくらいでキレやがって…」ブツブツと文句と言っているが、何だか物騒な響きだ。深くは聞かないでおきたい。
「つまり、神様に叱られてお仕置きされてるってことですね?」
「…」
だからその人を殺すような目付きは止めて欲しい。そもそも私は何ひとつ悪くない。無言の圧がすごいけれど、言い返さないと言うことはそう言うことなのだろう。神様にとってはこの天使も数多いる子どもの一人ってところなんだろうか。
「ごめんなさいって謝って済んだりしないんですか?」
「アァ?馬鹿にすんのも大概にしろよテメェ」
「だって、絶対謝ってませんよね勝己さん。謝る間も無く落とされたって感じだったし」
「うるせーよ。何でオレが謝んなきゃなんねえんだ」
どうやらこの天使様は山のように高いプライドをお持ちらしい。素直にごめんなさいが言えないタイプと見た。ぶすくれた顔で神様への文句を垂れている姿は何だか先程までの堂々とした姿とは打って変わって小さな子供のようだった。
「まあ理由はわかりました。それで守ってくれるっていうのは?」
「…帰るまでの間、お前の守護天使をやってやる。ボディガードみたいなもんだと思えや」
天使がボディガードって贅沢すぎない?それに私、そんな大層なものがつくほど危ない生活してないんですけど。
「断れねえからな」
「うっ…」
またしても考えを見透かされて先手を食らう。どうしようもないな、これ。
「わかりました。じゃぁいつまでになるかわかりませんけど、宜しくお願いします」
よし、と何故か満足気な彼の返事を軽く下げた頭越しに聞く。顔を上げると先ほどまで正面に座っていた彼の姿はなく、首をぐるりと回したところで覆い被さるように影が降りてくる。何だ、と体を引こうとしたがいつの間か後頭部に回された腕が彼の腕が許してくれない。
そのまま彼の顔はどんどん近づいて来て、
「…え?」
額に感じる熱。前髪をかき分けた彼の右手の温かさとは違う柔らかな感触。
だんだんと彼が離れていきその輪郭が確かになると、自分の身に起きたことを理解した。
ひ、額にキスされた…!
何だか唇にキスをされるよりも特別なことのような気がして一気に体中に熱が走る。思わずその場所に当てた掌すら熱い。
彼はといえば恐らく真っ赤になっているだろう私を見て愉快そうに笑った。
「契約完了。これから宜しくな、なまえチャン」
契約完了