泣きじゃくる彼女をあやしながらも、客だった女性に目線をやる。ヒプノシスマイクの効果に耐えきれなかったのか、彼女は涙を流しながら気を失っていた。幸か不幸か…とにかく早く紫陽花だけでも別の場所に移動させなければまた同じことの繰り返しだ。
「僕が警察に連絡するから君はもう中王区に…それは…」
「あ…多分彼女のナイフが擦って…」
「どうして早く言わないんだ!」
ビクッと肩を震わせた紫陽花の腕をとって一二三は顔を歪ませた。ヒプノシスマイクを持ってなかった左腕には綺麗な赤い線が入っていて、そこから血が垂れている。出血量はそこまでじゃないにしてもいつからこうなっていたんだ。しかも一二三の服を汚さないように自分の服で血を拭っていたなんて。彼女の腹部には真っ赤な染みがこれでもかというほどついている。
バカなことを。いや、バカなのは自分だ。助けてもらいながらアフターフォローもせずに、何をしていたんだろうか。こうなることは予想できていたはずなのに、滅多にシンジュクに来ないからと安心していた。ここにいる頻度なんて関係なかったのに。
「早く血を…!」
「脱いじゃダメ!貴方の服は汚させない…!」
「…っ、でも!」
「スーツ着てないと話すことも出来ないでしょう?」
彼女の言葉に心底自分の女性恐怖症を呪った。
ジャケットを脱いで血を拭うことすら出来ない。泣きたくないのに、情けない顔を晒したくないのに。そもそも泣いてる彼女の前で自分まで泣くなんて、男としてどうなんだと思いながらも涙は勝手に溢れてくる。情けない、情けない、情けない。二人でぐちゃぐちゃになりながらお互いを強く抱き締める。
「…早く、中王区に帰るんだ。」
「嫌です…だって私はあの人を…」
「僕はこういうことに慣れてるから。ね?」
「でも、」
「こんなところで何をしているんですか?」
今日は後悔してばかりだ。
一二三が恐る恐る振り返ると、眼鏡をかけたスーツの男性がコツコツと一二三たちに向かって歩いてきていた。
「これは…」
彼は一二三と紫陽花、気を失っている女性、そして転がっているヒプノシスマイクを見て眉間にシワを寄せる。
「お話、聞かせて頂けますね?」
男性は警察手帳を二人に見せるとにっこりと笑ってそう言った。一二三は紫陽花を抱き締める力を強くし、さりげなく警官からは紫陽花の顔が見えないように抱き締めなおす。
「…それは、」
「おっと。お話の前に一つ忠告です。面倒なので庇うとかはせずに本当のことだけ話してくださいね。」
「……」
「なるほど…そこに倒れている女性はホストである貴方の客、といったところでしょうか。」
「客に彼女を襲われ、違法のヒプノシスマイクで応戦した…正当防衛ですね、ええ。」
「全く…ホストという職業につきながら彼女一人守る手立てもたてないとは…」
全てが合っているとは言わない。だけど、警官の言うことはほぼほぼ当たっている。呆れたような警官に一二三は何も言い返すことが出来ない。
黙りこくる一二三に警官はわざとらしくため息をついた。紫陽花が一二三を見上げると、視線に気づいた一二三はにっこりと笑って大丈夫と小さく言った。大丈夫ではない、このままでは一二三が違法のヒプノシスマイクを使ったことになってしまう。紫陽花はいまだに力を弱めない一二三を腕をポンポンと叩いて合図をすると、一二三の腕から抜け出して警官の前に出た。
「違います、彼は悪くありません。」
「彼氏を庇いたい気持ちはわかりますが、現に貴女は怪我をして…」
「…何か…?」
「どうして貴女がここに…」
警官は紫陽花の顔を見るととんでもないものを見たような顔をした。みるみるうちに顔が青ざめていく。
そんなはずはない。
ヒプノシスマイクの実験台になった囚人がこんなところを出歩けるわけはないし、それ以外の男性なんて数えるほどしか会ったことがない。会ったとしたら忘れるわけがない。
「どこかでお会いしたことが…?」
「いえ。一方的にですが、貴女の実験を見学したことがあります。紫陽花さん。 」
それなら殊更まずいことになった。
紫陽花は基本的に研究所を出てはいけない人間だ。雨の日や月に一度の晴れの日の外出も、知っているのは政府の中でもごくわずか。政府の人間でも、紫陽花の研究所のことは知っていても、外出については知らない人間も多い。たまたま見学しただけの公務員なんてなおさら…
「私はヨコハマ署の入間と申します。」
「ヨコハマ…ヨコハマ署…MTCの…?」
「はい。だから貴女のことも知っています。私は一般の公務員ですが、貴女のことについては警視総監から。」
「無花果様から…!あの、私は…!」
「貴女と、この怪我に免じて今回は私が揉み消します。」
「入間さん、」
「早く中王区へ。貴女がいないことがバレれば只じゃ済まないでしょう。」
「あの…」
「彼と一緒にここから離れてください。」
「どうして…」
「貴女は国家にとっても重要な人物ですから、と言いたいのは山々ですが。貴女の友人に頼まれましてね。もし見かけたら助けてくれと。」
「友人?」
「ええ、随分とお転婆なご友人をお持ちで。投票委員会の人間でなければ無視しているところです。」
「菜花ちゃん…!」
「さあ、早く。他の人間に見つかる前に行って下さい。」
にっこりと笑う入間からヒプノシスマイクを受けとり、申し訳なさそうにお辞儀をして紫陽花は一二三に駆け寄る。一二三も入間に会釈をすると、二人はしっかりと手を繋ぎながらその場を後にした。
「…たまにはこんな日もいいですね。貸しもつくれたことですし。」