天泣



「あっ…」
「あ。」


よく晴れたの日の昼だった。

また、よくこんな偶然があるものだと紫陽花は呆れた。隣にいる人は友人だろうか。ホストの友達にしては随分と地味だ。

ホストじゃない一二三の反応も大分慣れてきた。それでも、あんなに馴れ馴れしく話しかけてきたくせに、そんなに怯えられたら…腹が立ってしまうじゃないか。

ぎゅっと眉間にシワを寄せる紫陽花とカタカタ震える一二三を交互に見る一二三の友人。何かあったのだろうかと様子を窺うが、二人は黙りこくったまま特に会話をするわけではない。まあ、一二三が女性と会話なんて出来るわけないのだけれど。


「一二三…?」
「本名だったんだ…」
「ぁ…あのっ…う…」
「……」
「おい、一二三…」
「これは独り言ですが…」


一二三の様子を見て何を思ったのか紫陽花は一二三をじっと見つめながら"独り言"を呟く。


「何度か顔を合わせただけで無理に話そうとしてくださらなくても大丈夫ですよ。」
「ち…ち…が……」
「…!」


ぎゅっと傘を握った一二三を見て友人はやっと状況を理解した。彼女が一二三が言っていた傘を貸してくれた優しい人なのだと。雨の日に出会って、傘を返しそびれている人。優しい人だというわりには彼女の一二三に対する態度は冷たすぎる気もするが、気持ちはわからなくもない。ホストの一二三には自分も少し手を焼いている。もちろん、普段の一二三にもだが。

それじゃあ、と言って通りすぎようとする彼女に思わずお待ち下さい!なんて大きな声を出したことに後悔した。周りは数秒自分達を見たあとに興味をなくしたのか元通りシンジュクの風景に還っていく。だけれども呼び止められた本人は明らかに不機嫌そうな表情になっている。一二三と会ったときよりも。また、一二三のせいで面倒ごとに巻き込まれてしまった。一二三の友人はいつだってそうだったと頭の中で恨み辛みの言葉を延々と再生する。いや、そんなことをしている場合じゃない。自分を睨み付ける彼女に恐る恐る一二三が持っていた傘を奪って差し出す。


「あの、こいつにこの傘を貸してくれた方ですか?」
「…ええ、確かに私のものですが。その傘は返さなくていいと何度も言ったはずです。」
「どっぽ…」
「はぁ…あの、こいつずっと貴方を探してて…晴れの日も出掛けるときはずっと傘を持ち歩いてるくらいで…」
「…ずるい人。お友達の方にそんなことを言われたら断れないじゃないですか。」
「ひっ…ご……ご、ごご…め……さ……」

「はぁ…そんなに怯えなくても。」
「っ〜〜!!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「あっ、ごめ…」
「ってぇ!一二三、マジで痛いから離せ!」
「独歩ぉ〜…」


ぐっと食い込んだ指を無理矢理引き剥がすと独歩はまだジンジンする二の腕を押さえる。やっぱりろくなことがない。はぁ、とため息をつくと目の前から笑いを堪えるような声が聞こえた。音の発生源を見ると、さっきまで不機嫌の塊だった彼女が口元を押さえてクスクス笑っていた。今日初めて紫陽花に会った独歩だが、そんな顔も出来るんだとぼんやり思った。


「…ふふっ…あははっ…!」
「あ…」
「そんなに怯えるなら声かけなければよかったのに…くくっ…律儀な人ですね。」
「っ…すみません…!こいつ女性が苦手で…」
「ええ、ええ。存じております。でも、私もホストだと思って意地悪しすぎましたね。ごめんなさい。」


紫陽花は独歩の持っている傘をつかむと、にっこりと笑う。独歩はゆっくりと傘から手を離すと紫陽花は傘をしっかり持って独歩に向かって頭を下げた。


「確かに、受けとりました。何度も返しに来てくれてありがとうございます。」


本当はお気に入りだったんです。

そう笑った紫陽花に独歩は一二三が拘る理由が何となくわかった気がした。超お人好しな一二三のことだから、今みたいな少し悲しそうな表情を見たらもう放っておけなくなってしまうんだろう。

笑ってるはずなのに、さっきのとは違うどこか無理しているような笑顔。傘のせいなのか、あるいは別の理由があるのか。それでも…それももう終わりだ。


「それじゃあ、今度こそ失礼します。」
「あ、はい…この度は一二三がご迷惑を…スーツ着てるときと着てないときじかなり態度が違ったと思いますが、」
「…今の一二三さんの方がお話しがしやすいです。まあ、そちらは違うようですが。」
「あっ…」
「さようなら、律儀なホストさん。」


二人を繋ぐ傘がなくなってしまったら、もう二度と会うこともないのだから。


***


「…天気雨か?」
「独歩…マジありがとう〜!!!」
「…これも貸しだからな。」
「マジか!!」
「(こんな晴れた日に雨が降るわけないよな…)」


「あ…天泣…?」


さようなら、二度と会わないかもしれない人。