細雨
この公園は、紫陽花以外利用する人間がいないのかというくらいにいつも人がいない。でも、それが紫陽花にとっては好都合だった。
雨の音を聞きながら、お気に入りのコーヒーを飲みながら、誰の視線も気にせずに過ごせるこの時間。空を見ると当分やみそうにない分厚い雲が見える。横に置いていたコーヒーを口に運ぶ。甘くない、でもまろやかで優しい味。
「今日も雨だね。」
「…っ…はあっ!?」
自分でもびっくりするくらいの大声だった。
わりと強く降ってる雨だ。
傘を挿さずに外を歩くなんてあり得ない。そんなレベルの。
「君に会える方法がやっとわかったよ。」
「ちょっ…何で傘…!」
「レインコート、レインブーツ。お気に入りの傘。」
「風邪引いちゃ…」
「雨、好きなんだね。」
その言葉に、紫陽花の手がピタッと止まる。
バッグの中から出した少し大きめのタオルハンカチは、ずぶ濡れの一二三を拭くには小さかったけれど、それでも無いよりはと差し出そうとした。
その手が、止まった。
「好きだけど…」
「…そっか。」
「…いいから拭いてください。傘、貸しますから早くお店にでも、」
「うん。もう少ししたら行くよ。」
水も滴る良い男。
喋らなければ、ホストでなければ素直にそう思えたんだろう。やっぱりこの状態の一二三は少し苦手だった。自分を怖がってる一二三の方が幾分か話しやすいのだけど、向こうはそうではない。皮肉なものだ。
きっとホストに対する偏見なんだろう。あれもこれもそれも全部嘘な気がするのだ。本当のことなんてない、優しい言葉も、笑顔も何もかも。そうだと思ってないと…きっと悲しい思いをするのは自分なんだと。そういう自己防衛と、偏見。
「いくら声かけられても、貴方のお店には行きませんけど。」
「そんなこと考えてないよ。」
「じゃあどうして私なんかと話す必要が?時間の無駄じゃないですか。」
「君は…少しだけ、独歩君に似てるね。」
「お友達の?」
「利益があるかどうかって聞かれたらあるのかもしれないな。」
「ないでしょう。客でもないのに。」
「君と話してると元気になるから。」
「こんなに態度が悪いのにですか?」
「どうしてだろうね?」
「知りませんよ。」
「でも、あっちの僕にはいつも笑ってくれるから。」
「…笑ってましたか?」
「気づいてなかったのかい?傘を貸してくれたときも、迂回した方がいいって言ったときも…別れ際はいつも微笑んでくれてたよ。」
「…知りませんでした。」
「君とはお客様とホストにはなりたくないからね。お店に来いなんて言わないよ。」
「…」
「君をお客様にしてしまったら、仕事になってしまう。君とは友人としてー」
「…すみません。そこまで言われても、まだ貴方を信用できないようです。」
「仕方ないね。僕の職業柄、そう言われることが多いから。」
「…帰ります。」
「あ、待って!」
また、会えるかな。
苦笑いでそんなこと言う一二三に少しだけ同情した。"友人として"、なんて彼が言いかけた言葉のせいで紫陽花は少し警戒心が薄れてしまった。
「…それじゃあ、また。」
「……またね、子猫ちゃん。」
「前言撤回します。一生さようなら。」
「あ…あー……」
せっかく距離が縮まったと思ったのに。
一二三は深いため息をついて、空を見上げる。
先程よりかは幾分マシになった雨は走ればずぶ濡れにはならなさそうだ。
「…あ。」
やっぱり彼女は口ではあんなに厳しいことをいっているけれど、どこまでも優しいらしい。
ベンチにポツンと立て掛けてある見覚えのある傘を開いて、一二三はゆっくりと店に向かった。