「真田!」
「徳川殿、お元気そうで何よりでござる」

名前殿は違う部屋に隠れていてもらえぬか、と頼まれた私は、見つからないようそっと隣の部屋に忍び込んだ。
違う部屋に隠れろと言われた通りのことはしているのでなんら問題はない…はず。
そして、こっそり聞き耳を立て話を聞いた。

「此度の戦、我が真田の勝利は間違いない」
「この兵力差で、か?面白いじゃないか」

きっと幸村様は、いつも私に見せる顔とは違う顔をされているのだろうな、と想像する。
熱く、ギラギラとした獣のような瞳をなさっている気がする。一度伊達政宗と話している時にそのような顔をされており、ゾクリとさせられたのは記憶に新しい。

「貴殿も、名前殿を好いておるのだろう」

突然私の話になり、思わずびくりと肩が跳ねてしまう。物音を立ててしまえば見つかってしまう。慎重にせねば。
しかし、心臓の鼓動はなかなか静かになってはくれなかった。

「例え万が一にも真田が負けることがあったとしても、名前殿は貴殿には絶対に渡さぬ」
「ははは、名前はワシと共にあるべきだ、必ず返してもらう」
「手放したのは貴殿の方であろう。俺は名前殿と離縁することは決してない」

幸村様にも、家康にも、熱が入っているように感じる。
きっと昔のままだったら、私は今の家康の発言に涙を流し喜んでいたことだろう。
しかし、一言一句に心が踊るのは幸村様の言葉のみとなっていた。
私のことを好いてくださっているのは重々分かっていたつもりだったが、ここまで愛されていたとは思っておらず、なんだかとても気恥ずかしくなり、じわりじわりと顔に熱が集まっていくのを実感した。
そうこうしている間に、幸村様と家康の話し合いは終わり、忠勝に乗って家康は帰っていった。

それから少しして、突然部屋の襖が開いた。隣の部屋で放心状態になっていた私を、幸村様は呆れ顔で見つめられている。

「…名前殿、隣の部屋で某の話を聞いていたのは分かっているでござる」

盗み聞きは最初から気付かれていたようだった。
怒られる前に謝ろうとした瞬間、幸村様は私をいつもより力の入っていない腕で掻き抱いた。

「名前殿は、絶対に渡さぬ」

先程までの覇気はどこにいったのか、というくらい弱々しい声で呟かれた。

「私は真田家の、幸村様の嫁です。他の殿方のところへは行きませんよ」

もしかしたら幸村様が今欲しい言葉は、こんな言葉ではないかもしれない。が、何も言わないよりはマシかと思い、素直な気持ちを口にした。

「名前、」

薄い唇から、私の名が紡がれる。
名を紡いだ口は、そのまま私と、繋がった。

「ずっと不安でたまらなかったのだ、許せ」

許さないなんて言わせないような強い語調とは裏腹に、眉を下げ今にも泣き出してしまいそうな不安定な表情をした幸村様がそこには居た。

「不安にさせてごめんなさい」
「良いのだ、これからは少しずつでかまわぬ、俺のことを好いてくれる努力をしてくれるか」

今まで一度も私に何かを求めることがなかった幸村様が、とうとう我慢の限界を迎えたようだった。
私は、意地悪だろうか。
とっくに気持ちは幸村様の方にしか向いていないというのに、勇気が足りずまだ想いを告げていなかったのだ。

「もうとっくに、お慕い申しております」


私達は、やっと夫婦になれたような気がした。


その頃徳川は。

「楽しくなってきたな、忠勝」
「……!」
「上田を攻めるのは後回しだ、名前に怪我はさせられない。三成のところへ行くぞ、天下分け目の大戦を終わらせよう」

…愛を語り合うにはまだ時間が足りぬというのに、この時代は終焉を迎えようとしていた。