愛憎は表裏一体


「五条先生、お話があります」
 普段の様子からは想像が出来ないほど勢い良く開かれた教室の扉。珍しく怒気を孕ませた瞳を向ける彼女──真玉千寿は、それでも生徒の目の前だと気付き慌てて感情を抑えた声で静かにそう告げた。
「えー、何なに?千寿から話なんて珍しいね。じゃあ皆ちょっと適当に自習しててよ」
 ひらひらとそう言いながら教室を後にすれば、人気の少ない方へと自然と歩き出していく。
「そういえば、補助監督に移動して結構経ったっけ、調子は?」
「忙しいですけど、だいぶ慣れて落ち着いてきました。最近久々に家族と話もして……」
「千寿の所は仲良いんだっけ、元気そうだった?」
 なんて事無いようにいつもと変わらない世間話を続けようとする五条にぴたりと歩みを止める。不思議そうに此方を見つめる彼に千寿は静かに本題を告げた。
「……私の親、何故か『五条さんって婚約者が出来たんでしょう』と話し始めたんです。何か知ってますか」
「……なんだ、随分気付くのが遅かったね」
 さらりとそう答える五条に、千寿は途端に訳が分からなくなる。
「な、んで。そんなこと……」
「たまにはさ、外にも目を向けた方が良いよ。資料室で篭ってるからこういう事になる」
 一歩、五条が千寿に近付けばその手はするりと白髪の部分へと伸びていく。
「ここ、怪我した時の事覚えてる?」
「え……覚えて、ますけど」
「あの時、千寿なんて言ったか覚えてる?僕が怪我させて責任取るよって言った時。──気の迷いだって、人の付き合いに慣れてないから思い込んでるって、千寿、そうやって言って断ったんだよ」
 髪を撫でる手はいつの間にか頬に添えられた。淡々と告げられた言葉に思わず視線を逸らそうとすれば、拒むように力が入る。
「逃げるなよ」
「で、でも、実際そうじゃないですか、五条先輩ならいくらだってもっといい人居ますよ……婚約なんて、取り消して、ください」
「絶対取り消しなんかしない。あんな事言われてさ……そうかもしれないって、ずっと試してたんだよ。色んな女と付き合って、千寿の他に好きになる人が出来るかもって」
 いつの間にか下ろされた目隠しの下の、透き通るような瞳と視線がぶつかる。突然の告白にも、五条がずっと覚えていた怪我の事にも、全く理解が追い付かなかった。
「千寿のことばっかり考えてた。そのうち千寿に似てる子探すようになって、千寿に重ねて見てて……やっぱり全然違うから気分悪くてさ。ねえ、可哀想だと思わない?千寿があんな事言わなかったら、僕も彼女達もこんな嫌な気持ちで時間を無駄にしなかったんだよ」
 何故か自分が責められている状況に、思わず怖くなって言葉が続かなかった。あの日から今日に至るまで、五条が何気なく口にした言葉にこんなにも縛られていたなんて、微塵も思わなかった自分に千寿は酷く後悔した。
「……す、すみません……でも、だからって、こんな勝手に婚約したことにされても……」
「ここまでしなきゃ鈍いオマエは分からないでしょ、また冗談なんて言われたら次こそ何するか分からないよ」
「……今すぐ、は……」
「……はあ、分かってる。でも次は真面目に考えて答えてね。冗談とかふざけた事言い出したら勝手に籍入れるから」
 わかった?と確認されれば、ひとまず何度も頷いて見せるだけで精一杯だった。
「じゃ、そろそろ戻らないと僕が怒られちゃうから」
 ぽんと優しく頭に乗せられた手は普段のそれと何ら変わりは無く。けれど直前の会話で千寿が意識するに十分すぎる行為だった。

 五条との会話から一日空いた早朝。こんな出来事があっても補助監督の仕事で顔を合わせなくてはならない事に重いため息を吐きながら、ずるずると支度をする。
「おっはよー千寿、眠そうだね?居眠り運転とか勘弁してよねー?」
「え、あ、はい、おはようございます五条先輩……」
 いつもと違い時間通りにやって来た五条は、揶揄うような言葉をつらつらと吐いていく。そんな彼にぽかんとしながら、慌てて挨拶を返して車へ乗り込んだ。
 昨日のは、もしかしなくても彼の度が過ぎる冗談だったんじゃないか。
 学生の頃からの付き合いで悪ふざけが過ぎることは何度も経験済みだった。なら昨日のあの話も、彼の気が済めば直ぐに解決するのではないか。
 段々とそんな事を考えながら目的地に辿り着く。五条を下ろして任務が終わるまで待機していようと気を抜いていれば、そうだと彼は声を掛ける。
「昨日の話、夢でも冗談でもないからね。待つのはもう誰かさんのせいで慣れちゃったけど、ちゃーんと考えて答えてよ」
「……は、はい」
 か細い返事に満足した五条は、上機嫌で任務へと向かって行った。



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