戻るといいね


「わんっ」
「……ええと、これは」
 夏油は混乱した。風邪をひいたと聞いた彼女のお見舞いに部屋を訪れてみれば、部屋の主は何処にも居らずかわりにころんと丸い犬が嬉しそうに尻尾を振ってまとわり付いて来たからだ。
「あの子、いつの間に犬なんて隠れて飼ってたんだ……?ちょっと、あんまり暴れると危ないから」
「くぅん」
 ぴょんぴょんと周りを歩き回る元気な犬を落ち着かせようとそっと手を伸ばせば、待っていましたとばかりに犬は頭を夏油の掌へ押し付けた。
「ポメラニアン、だったかな……?君の飼い主、どこか知ってるかい」
「わんっ」
 聞いた所で分かるわけがないと思いつつ、つい大人しく撫でられている犬に話しかけていく。
「随分人懐こいな……あの子にさぞ可愛がられているんだろうね、よしよし」
 ぺろぺろと手や頬を舐めたりと、構ってほしそうに夏油から離れない犬に気を良くしていけば当の目的そっちのけでわしゃわしゃと撫でくりまわしていく。
 ──ぽん、と軽く周りが煙に包まれたかと思えば、部屋の主である彼女が突如目の前に現れた。
「……え?」
「……あ、あの、夏油、くん」

 後に硝子から聞かされたのは、ストレスや疲れから犬に姿が変わってしまうという症状だった。
 そんな馬鹿な話がと笑い飛ばせたら良かったものの、夏油はこの目で確かに見てしまっている。
 部屋にいなかった彼女のかわりにそこに居た犬と、構っていたその犬が消え目の前に彼女が現れた事はどう考えても他に説明がつかなかった。
「ご、ごめんね、迷惑かけて」
「仕方ないよ、それにあの犬が君だと思うと余計可愛く見えてしまうね。役得かな」
「も、もう!こっちは気にしてるのに!」
「はは、ごめんごめん」
 恥ずかしそうにそう頬を膨らませる彼女に笑いながら、夏油は先程の事を思い返す。
 硝子曰く、犬になった場合は構ってやったり遊んでやることで元に戻っていくらしい。
 ──では、原因が解消されなかったら?

「夏油君、今日も任務なの……?」
「ごめんね、折角出かけようって約束していたのに」
「ううん、いいの。気にしないで」
「必ず埋め合わせ、するからね」
 あれから彼女の様子を見ながら、夏油は少しずつ距離を置いている。
 任務を理由に離れたり、わざと時間をずらして会える時間を減らしてみたり。
 寂しそうにする彼女には申し訳ないとは思いつつ、それでも行為を止めることはしなかった。
 今日もデートの約束をしていたものの急遽任務が入ったと予定を変更して補助監督の運転する車へ乗り込んでいく。
 任務そのものは直ぐに終わらせて、残りの時間を適当に潰していく。夜も更ける頃に高専へと戻れば、彼女の部屋へ立ち寄った。
「ただいま、遅くなっちゃってごめんね。顔だけでも見たいと思って来たんだけど……」
 薄暗い部屋の中へ声をかけても返事は無い。
 ゆっくりと中へ入り電気を付ければ、ベッドの上にはふわふわと柔らかな塊が見えた。
「わんっ」
「……ただいま」
 いつかと同じその犬の姿を見れば、夏油は顔を綻ばせて近付いていく。
 嬉しそうに尻尾を左右に振る犬──彼女を抱えれば、ぎゅっと潰さないように顔を埋めた。
「嗚呼、やっぱりこの姿も可愛いね。ずっと考えていたんだ、この姿の君なら、誰にも盗られないんじゃないかって」
 ごそごそとポケットの中へずっと忍ばせていたそれを取り出せば、カチリと彼女の小さくなったその首へ通していく。
「ちゃんと面倒見てあげるからね」
 つぶらな瞳を覗き込めば、ぺろりと頬を舐められた。



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