幼い頃から私の世界は何も無かった。
色も、形も、何もかも私には「見えない」世界だった。肌や音、匂いで想像するしか出来なかった。
そんな日々をこれからも過ごしていくと思われたある日、父が嬉しそうに私にこう言ってきた。
「お前の目を治す手術ができるんだ」
家族みんなで喜んだ。やっとみんなと同じ世界が見れるのだと思うと、私も舞い上がった。
美しい世界をこの目に映せると思っていた。
──現実は、そう甘くはなかったけれど。
角膜手術を終えて退院した日、美しいと思っていた世界は、随分と恐ろしいものだったという現実を突きつけられた。
形容し難い生き物があちらこちらで蠢いている。何を言っているのか分からない言葉を放つそれは酷くおぞましくて、しかも家族や周りの人には見えていないと知って更に絶望した。
あんなに焦がれていた外にも出れずに部屋でじっとしている私を家族は心配していたけれど、外であの妙な生き物を見ているとストレスのせいか直ぐに疲れてしまった。
そんな地獄のような日々をこれから送るのかと思っていると、突然見知らぬ男がやって来た。
「こんにちは。君のその目のことで色々話があるんだけど」
家に上がり込んできたその男の人は、五条悟と名乗った。どこかで聞いたような声の主、五条さんは私の見ているもの、呪霊について教えてくれた。
「ちょっと失礼」
「え、あの」
大きな手が伸びてきて、私の顔をそっと包んだ。サングラス越しの蒼い瞳にどきりとしていれば、五条さんは成程と呟いて離れていく。
「良く見えてるみたいだね、見てるだけでだいぶ疲れてるんじゃない?」
「……はい」
「怖かったでしょ、災難だね、君も。目が見えるようになったと思ったら呪霊まで見えちゃうなんて」
「怖か、った、です」
「よしよし、これから僕が色々と教えてあげるから、もう大丈夫だよ」
ぽろぽろと堪らず涙を零せば、また大きな手が涙を拭っていく。この綺麗な目が、私の初めて見た美しいものだった。
「すみません、ここが何処か知りたいんですが」
そう声をかけてきた女性を見れば、白い杖を片手に変な方向を向いていた。
「僕はこっちだよ」
「あ、すみません」
「今ちょうど暇だから、良ければ案内しようか」
「いいんですか?」
ほんの気まぐれで道案内を提案して、当たり障りの無い会話を少しだけした。
恋に落ちるには、それで十分だったらしい。
案内を終えて別れた後の行動は早かった。彼女の家族や症状をあれこれと調べて、素知らぬ顔で彼女の父親に吹き込んだ。
「知り合いに腕の立つ医師がいるから」と。
硝子の腕前と自身の反転術式の甲斐あって、彼女に自分の角膜を移植出来た。家の人間は多分、こんなことを知ったら大騒ぎしそうだけど。
案の定、視力を手にした彼女にははっきりと呪霊が見えるようになっていた。
何もかも予定調和。にやけそうな顔を必死に抑えて、僕と同じ瞳の彼女に優しく笑みを向ける。
少し色褪せては見えるけれど、僕と同じ綺麗なお揃いの瞳。
「これからは、僕が君と一緒に居て色々してあげるからね」
だって、君が映す綺麗なものは僕だけで十分だから。