児戯の悋気


※ユウコハ要素有り

「お?なまえか、何しとんねん」
「そらアタシの家でもあるからな?ユウくん先輩間ぁ悪いなあ、いま小春ちゃん図書館行ったから家におらんよ」
「あぁ!?ホンマかそれぇ!?」

 チャイムの音に呼ばれてインターホンをのぞけば、そこにいたのは部活の先輩だった。一氏ユウジという人は部活の先輩で、兄のダブルスパートナーで。何というか私にとっては少し説明に困る立ち位置の人だ。今もインターホン越しに頭を抱えている彼の姿を見つめては、上手い説明を考え続けているけれど答えはきっと出ない。

 何しに来たの、は聞かなくても分かる。漫才ライブが近いと兄も漏らしていたし、大方ネタあわせでもするつもりだったのだろう。資料のためにと出かけていった兄とは悲しいすれ違いだけれど。

「多分小春ちゃん帰ってくるまでそんな時間もかからんと思うし、家上がったらええんとちゃうの」
「せやな、今日のところはお言葉に甘えさしてもらうわ」
「ハイハイ、ユウくん先輩おひとりさまお上がりになられまーす」 

 茶化し混じりでリビングに案内すれば、迷いなくソファの右側に座る。左側はいつも、兄が座る場所だからだ。戸棚から取り出して麦茶を入れたグラスも、いつの間にか用意されていたこの人専用のものだ。ツリ目がちなペンギンはどことなく彼に似ている。柄の上をツイと結露が滑り落ちていった。

「どうぞ、粗茶ですが」
「客の分際で高級茶なんて要求できんわ」
「実はそれ、今日の朝に小春ちゃんが沸かしたヤツなんよ」
「と、とんでもない高級麦茶やんけ……大事に飲まな……」

 勿体ない勿体ないと舐めるように麦茶を飲みだした姿は、色恋にどっぷり狂わされた男という他なくて面白い。こんな人でも校内では『クールで面白い一氏先輩』として名を馳せているのだから、人間って一面だけでは測れない。

 クスクスと笑う私を、チラリと見上げてくる。おっと、笑いすぎてしまっただろうか。気を悪くさせたいわけではないので謝ろうかと考えたとき、あちら側から声をかけられた。

「んで?どういう風の吹き回しや」
「何て、家の前で困っとる先輩おったら助けんのが普通やろ、それにユウくん先輩ともお話したいしな」
「やってお前、俺のこと嫌いやろ」

 そんなことない、と返そうとした言葉は呼吸になって喉から漏れた。愛想笑いだけを貼り付けても、口から漏れ出てくるのはヒュウヒュウとした呼気ばかりだ。
 数分ほどそれを繰り返して、取り繕うことを諦めた。首を数回横に振って、表情をフッと消えさせる。

「……いつから気付いてたん?」
「お前俺が小春とおるとジイっと見るやろ、最初の方に気付いたわ」
「ユウくん先輩が知っとったんなら、他の先輩もかあ」
「いや俺だけやろうなあ、俺は小春の事人一倍見てたから」
「なんや惚気か」

 へへ、と鼻でも擦りそうな態度に毒気を抜かれそうになる。ピリピリとした話題からは想像もつかない表情だ。ああでも、だからこそなんだろう。この人のこんなところに、兄はきっと。

「昔はな、お兄ちゃんて呼んでたんよ」


 年子の兄妹だからと、親はまるで2つでワンセットのように2人を扱う事が多かった。長姉は少し年も離れていたし、順当だとは思う。実際仲も良かったし、幼いながら聡明な兄はいつも妹の知らないことを教えてくれた。そんな兄が大好きで、いつまでも遊んでいたかった。

 兄は可愛らしいものが好きで、ごっこ遊びではよく2人でお姫様になった。ピンク色のスカート、花の冠、キラキラとしたアクセサリー。姉のタンスから引っ張り出してきては2人で怒られて、また繰り返して。日々は今でも鮮明だ。

「小三あたりやったかなあ、学校のクソガキ共がな、小春ちゃんの事からかうねん」
「紛れもないクソガキ共やな」
「せやろ、棒でしばき倒しまくってアタシは親呼び出しになったわ」

 自分たちはそれまでと変わらなかった。世間体なんて基準を持ち出して責め立てたのはアッチの方。今でもその考えは変わらないけれど。木の棒を握りしめてささくれた私の手を握って、兄が悲しそうな顔をしたから。あの時は自分の非とやらを認めたようなフリをしたのだ。

 それでも、幼い頭ながらに振り絞って考えた。お兄ちゃんが可愛いものを好きだって良いはずだ。認めてもらうにはどうしたらいいんだろう。お兄ちゃんなんてレッテル張りではなく、金色小春を見てもらうには、どうしたら。
 小さな事だけれど、そんな考えから呼び方をかえた。それがいつの間にか染み付いて、ここまで来た。それだけだ。

「せやのになあユウくん先輩ズルいわあ、小春ちゃんのこと簡単に笑わせてまう、ほんまズルくてすごいわあ」

 中学に入った兄は、少しだけ変わった。優しい口調で家族に色んな事を話してくれるのは相変わらず。ただ、ある時を境にその口から知らない名前が出てくるようになった。『ユウくん』のことを話している兄は、楽しそうだった。

 兄を追いかけるようにしてマネージャーとして男子テニス部に入ったもの、きっと何割かは『ユウくん』への対抗心。まあそのユウくんの隣で楽しそうに笑う兄を見て。そんなちっぽけないきがった心は粉々になってしまったのだけれど。

「小春かて、なまえのこと大事やろ」
「知ってるわ家族やもん、けどな、家族じゃユウくん先輩みたいには小春ちゃんを笑わしてやれんの」
「俺からすれば、なまえみたいには小春のこと笑わしてやれんけどな」
「無いもんねだりやなあ、ウチら」
「せやなあ」

 少し気まずそうに手を伸ばしたグラスには、もう麦茶が少ない。ポットを持って注いでやれば小さく礼の言葉が返ってくる。こっちから喧嘩売ったみたいな物なのに、礼なんか言われては心がますます惨めになるだけだった。

「そのうちな、小春ちゃんはこの家から出てく、そしたら隣にはユウくん先輩がおるんやろ」
「将来の事は分からんけども、そうなりたいわな」
「そんなありえへん心配するだけ無駄や、ちゃうねん、言いたいのはな、せやから……もう少しだけは、小春ちゃんをアタシのお兄ちゃんでいさせてよ」

 子供じみたワガママだ。何を言ってるのかも自分でも理解している。私の好きな子をとらないで!なんて今日び幼稚園児でも言うかどうか。だというのに、目の前の彼は真剣に何かを考えてくれている。
 切れ長の目で思案する様子が素敵なんよ、恥ずかしいから言ってやらんけどもね。いつの日にか兄が言っていたのをふと思い出した。

 しばらくの逡巡のあとに、重苦しく口が開かれる。やけに真剣な表情で向き合われて、こちらも背をそれとなく正した。

「確かにな、小春と俺は一心同体やから離れられへんけども、逆にな?」
「うん」
「お兄ちゃん2人になってお得やと思うんやけど、それでどうや?」

 思わず目玉が飛び出そうになる。けれども、至って真面目に言うんだからこれは心からの言葉なんだろう。ならこちらも、茶化して答えるわけにはいくまい。目を瞑って必死に考えて、考えて。それでようやっと言葉を返す。

「結婚式に、ブライズメイドさせてくれんのならええよ」
「おお任せとけ、金色家全員分の晴れ着は俺が作ったる!」

 正直苦し紛れに吐いた言葉であることは否めないけれど。今はまだ納得できなくても、少しずつ。

 家の前に自転車の停まる音がする。どうやら兄が帰ってきたようだ。白いレースにサテンのリボンなんて、如何にも兄が好きそうな話題だ。

 もうひとり分のグラスを用意するために、台所の戸棚を開けた。