ぱしんと、久々知くんの指が弾かれた。わたしも久々知くんも呆然としている。

「えっ…なに…?」
「…これは…」

静電気?にしてはやけに強かった気がするけど…夏だし。当惑してるわたしに対して久々知くんは弾かれた手を見つめふと口元を緩めた。

「厄介な呪いだな」
「え……呪い…?」
「さすが三郎…か」
「…!」

三郎?久々知くんのその一言で、ぴんと糸が一本に繋がった感覚がした。

「久々知、くん」
「なに?」
「あの、変なこと、言うかもだけど」
「うん」
「…に、にんげんじゃ、ないの?」

半ば確信を持って聞いたその質問に、対する久々知くんは無表情で。微妙な空気が流れて、慌てて訂正しようとしたその時。久々知くんが体ごとこっちを向いた。そのまま何も答えず近づいてくるものだから、わたしも思わず後ずさる、けど、気づけば壁が背後に。え、なに?なんなのこの圧は…。はっと前を見れば久々知くんが、相変わらずの無表情で、

「…人間じゃないって、おれが?」

耳元で優しく囁く。ぞっと背筋に何かが走って、優しい声なのに体が強張って動かない。

「あ、え…」
「人間じゃないなら、なんなのかな?」
「く、く、ち…くん」
「うん、そう。おれは久々知兵助だけど?」

首元に伸ばされた手にびくりと体がすくむ。そこでようやく久々知くんがちょっとだけ笑った。

「怖がらなくていいよ。確認するだけ」
「か…かく、にん?」

でもちょっと相好崩れたくらいで、状況についていけないのは変わりない。久々知くんの手はシャツのボタンをぷちぷちと簡単に外してしまって、普段ならぎゃーって叫ぶところが、なぜか声が出ない、ぼーっと見ているしかできない。あれ、なにこれデシャヴ。
久々知くんの手が首元に触れて、ひやりと冷たさが広がって、でもやっぱり抵抗する気は起きない。ぼんやりする頭のどこかは絶対危ないって警鐘を鳴らす。背中に嫌な汗が流れた。
あれよあれよと言う間にわたしの胸元を寛げた久々知くんは、じっとそこを見つめてからふっと息を吹きかけた。その吐息の冷たさにぶるっと震えると、久々知くんが「ごめん、冷たかったか」と謝ってくる。いやどうか考えても謝るところ違うんじゃないか?
ひんやり冷えた肌を手がかざされると、久々知くんは無表情のまま呟いた。

「…やっぱり稲荷との誓約か」

するりと胸元に滑った指先にまた体が震える。これはまた…とか、複雑だな、とか、何やらぶつぶつ呟く久々知くん、何を見てるんだ?何を言ってるんだ?朦朧とする意識の中でなんとか踏ん張っていると、不意に久々知くんがわたしに声をかけてきた。

「日向さん、この誓約解いてあげようか」
「……え…?」
「拗れてるし時間もかかりそうだけど…俺の加護を上から被せれば何とかなるんじゃないかな。ねえ、俺に任せてみない?」
「解く…って……」
「つながりをなくすんだよ」

つながり?だれとの?さっき稲荷との誓約って言ってたよね?稲荷ってことは、三郎?三郎とのつながりを、なくすってこと?

「ここ、君の真ん中。ここに稲荷神との誓約の印があるんだ。これがある限りは君はずっと稲荷神からは逃れられない」

指で押された鎖骨と胸の真ん中らへん。印なんて見えないけど、そこに制約の証があるらしい。

「強い呪いだ。本来なら誓約は当事者にしか解除できないけど…誓約を受け継ぐことならできるかもしれない。…ねえ、稲荷神よりも俺は優しいよ」

優しいって…うん、たしかに久々知くんはいつも優しくて頼れてかっこいい優等生だよね。わたしの友達もみんな憧れてるよ。かっこいい、すてきって。でも、あれ、だからこそ久々知くんには気をつけろって言われて…あれ?だれに言われたんだっけ?
いつも隣にいたはずの、誰かが思い出せない。おかしいな、さっきまで覚えてたはずなのに。記憶を辿ろうとしても靄がかかってはっきりしない。動かない頭をなんとか働かせるけど、霧の中を歩いてるみたいに何もわからない。わたし、だれといつも一緒にいたの?

「日向さん」

名前を呼ばれてそちらを見ると、くろくてつやつやした瞳がこっちを見ていた。…ああ、この目だ。いつも一緒にいたのは、うん、そう、久々知くん。いつも優しくて、格好良くて…わたしの隣にいたのは、つやつやの黒い瞳の、久々知くんなんだ。

「ね、日向さん。俺と誓約交わしてくれる?」

ゆるゆると頭を下げた久々知くんが、わたしの胸元のあたりでしゃべっている。普段なら恥ずかしさのあまり久々知くんの頭をひっつかんでぶん投げてそうだけど、やっぱりぼーっとしてしまう。胸元に冷たい吐息があたるたび、ぜんぶがどうでもよくなってしまう。久々知くんの問いかけにこくりと頷くと、彼はにこりと笑ってみせた。

「いい子」

いい子、だなんて褒められちゃった。いつもは絶対ほめてくれないのに。わたしが料理上手になったって、勉強頑張ったって、祝詞を暗唱できるようになったって、褒めてくれなかった。のに、あれ、なんで?なんで、久々知くんは褒めてくれるの?こんな簡単なことで、いつもは褒めてくれないのに、?

なにか、わたし、おかしい?

胸元に唇を押し当てられて、冷たいそれにびくりと体が跳ねるのと、ぱきんとなにかが割れるような音がしたのはほぼ同時だった。

「…本当にいい性格してるよ、三郎は」

久々知くんのつやつやの黒い目、それと同じくらい綺麗な髪が、一瞬真っ白に染まった気がして、その眩しさに思わず目を瞑る。

「…っ!」

恐る恐る目を開けると、わたしはなにかふかふかしたものに体を包まれていた。あったかくて、やわらかい。これ、覚えてる。

「…邪魔するな、三郎」
「邪魔はどっちだよ」

頭のすぐ上で声がする。顔を上げれば、やっぱり見知った顔。このあたたかな、金毛の尻尾の持ち主。

「人のモノに手を出すなんて兵助らしくもないな」

口調は軽いが相当怒気が籠っている。ざわざわ動く尻尾と肌を刺激する怒りの気配がわたしの意識まではっきりさせる。わたし、久々知くんになにされてたんだろう。

「日向、あいつに何された」
「え…」
「ちょっと呪いをかけただけだ」

あっけからんと言い放つ久々知を射殺さんばかりに睨んだ鉢屋はぐいとわたしの胸元を拡げる。

「ッギャーーーー!!変態!変態!!」
「うるさい静かにしろ」

久々知くんの時とは違って体が動く、ばかすかと鉢屋を叩くもどこ吹く風、久々知くんのように胸元を凝視してから大きくため息をつく。

「兵助、貸しにしてやる。消えろ」

三郎のその一言で久々知くんは驚くほどあっさりと部屋を出て行った。去り際ちらりとこっちを見た久々知くん、またねとでも言いたげにひらりと手を振って。
取り残されたわたしと鉢屋の間に微妙な沈黙が流れる…前にぱこーんと一発、鉢屋の頭にお見舞いしてやった。

「いって…!何すんだ」
「最低、セクハラ、変態狐!!」
「守ってもらっておいてその言い様か」
「うるさい!人のむ、むむむ胸ガン見して何が守っただ!」

ぐいっとシャツを引き合わせると、それを見て鉢屋はまたはあとため息をついた。溜息吐きたいのはこっちだよ!

「兵助には気をつけろっていったろ」
「は…?」
「もう少しで記憶消されるところだったんだぞ」

記憶?どういうことなのかわかるように言ってください。

「あいつも俺と同じ。人間じゃない」
「は、え、…え?」
「お前が美味そうだから狙ってたんだろう。私の加護が無ければ今頃喰われてたぞ」

ぞぞーっと鳥肌。なにそれ、てことはやっぱり、久々知くんも…。って、待ってよ、食うって、わたしを?ボリボリと?そんなサイコ妖怪野郎今すぐ通報した方がいいのでは?

「見せつけたからな、もう手出しはしないだろ」
「ええ…」

なんだそれ、いいのか野放しで…。いろいろ訳がわからなくて、思わず体の力が抜ける。その場に座り込んだ私に、おい大丈夫かと鉢屋が覗き込んでくるけど、何故だろう、どっと疲れた。
彼らは、人間じゃ、ない。鉢屋だけでもかなりの衝撃なのに、まさか2人目がいるなんて。まさか、まさかとはおもうけど、もうさすがにいないよね。



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