あんこうみたいなおばあさん
海に行こうと思ったのは単なる思いつきだった。家から徒歩圏内なのに、就職してからはめっきり足を運ばなくなって、たまの休みにちょっと昔を懐かしむ気持ちになって足を向けた。
この道も懐かしいなーなんて思いながら海岸に続く道を歩いていたとき、ふと重そうな荷物を背負ったおばあさんが目に入った。よろよろした足取りで、相当荷物が重いのか腰が直角くらいに曲がっている。かなり大変そうだ。
「おばあさん、大丈夫ですか?」
「ええ、ええ、大丈夫ですよ」
そうは言いつつも足取りがおぼつかない。咄嗟に口から「お荷物お持ちしますよ」と出れば、おばあさんは急にこっちを向いてにーっと笑った。びっくりしたのはその動きの機敏さだけではなく、おばあさんの顔が魚介っぽい、というか、とても失礼だが、その、アンコウに似ていたのだ。思わず目をぱちくりさせていればお言葉に甘えようかね、とおばあさんが荷物をおろした。
「じゃあ、失礼しますね…、…!?」
が、持ち上がらない。重い。重すぎ。なんですかこれは。背負うどころか地面から浮かせることもできない。呆然としているわたしをおいておばあさんはまたにーっと笑った。
「どうだい、もてるかい?」
「も…もてます」
ぐぐぐっと歯を食いしばって荷物を持ち上げる。お、おもい。腰痛めそう。だが、持ちますっていったからには頑張らねば、女に二言はないぞ。
まさに牛歩。一歩一歩踏みしめつつなんとか荷物を運ぶ。おばあさんが運んでたときの方がよっぽど速かったな…。なんとか海岸に下る坂まで来ると、おばあさんはにこにこしている。
「はあ、はあ…ここで、大丈夫ですか?」
「ええ、ええ、ありがとうねえ」
「いえ、なんの、これしき…ごほっ」
「ふふふ、あんた根性あるねえ」
「は、はは…」
笑顔を作るのも一苦労。いやしんどかった。
「さあさああたしも若いもんには負けないよ」
ひょいっと背負い直したおばあさん。思わず目が点になる。あまりに軽々とした動作、さっきのよろよろはなんだったんだろうか。
「おばあさんすごくお元気ですね」
「ふっふっふ、鍛え方が違うよ」
じゃあねとまた歩き出したおばあさん、やっぱり足取りはしっかりしている。よろよろは演技だったのか?不思議なおばあさんだなあ、なんてその後ろ姿を見送っていると、不意にこつんと何かが爪先に当たった。拾い上げてみるとまるっこくてちいさくて、手乗りサイズのお地蔵さんだった。かわいい。おばあさんが荷物置いたとき落としたんだろうか。なら急いで届けないと。
「おばあさん忘れも…」
はっと顔を上げるとおばあさんの姿はどこにもなかった。
「困ったなあ…」
ざっぱーんと砕ける波を尻目に、テトラポットの上でお地蔵さんを見つめる。近くを探したけれどおばあさんは見つからなかった。これがおばあさんの大切なものだったら困るだろうに。警察にでも預けた方が良いだろうか。いやその前にもうすこし周りを探してみようかな。とりあえず行こう、そう思って立ち上がったとき、
「わっ」
ずるりと濡れた足場に右足が滑って、しまったと思った時には手から放たれたお地蔵さんが宙を舞って波の中に、
ーーぽちゃっ
ーーーし、しまった。
慌ててお地蔵さんが落ちたあたりの海を覗き込むものの、影も形もなし。ゆらめく波間しか見えない。ど、どうしよう。潜るべき?いやでも夏はとっくに過ぎてる、流石に寒いし着替えもないし、見つかるなんて保証はない、でもおばあさんの大切なものだったら最後まで責任持って届ける義務が、ああどうしよう。なんて狼狽えていると不意に強い風が吹いて、今度は左足が滑った。
「あっ」
ーーどぼん!!
こうしてわたしは気付いた時には海の中にいた。想像通りの水の冷たさと想像以上の波の強さに翻弄される。泳ぎはそれなりに自信もあるけどこれはちょっとやばい、不意打ちだったこともあって息が続かない。必死に水面を目指すけれどなんでかうまくいかない。まずい、このままだと溺れるーー。
そのとき、目にキラリと光りが飛び込んできた。はっとそちらをみるとそこにはさっき落としたお地蔵さん、この流れの中どうしてか水中にぴたりと留まっていて、キラキラと光っている。反射的に手を伸ばして、しっかりと握りしめる。ぐっと上を向いて大きく手をかく。今度はうまくいった。近くなった水面にもう一度手をかいて、
「ーぷはあっ!」
今度こそ海から顔を出した。そのままざぶざぶと砂浜まで泳ぎ、波打ち際で四つん這いのまま荒く息をつく。ぜーぜーいいながらもそっと手を開くところりと転がるお地蔵さん。もう光っていない。さっきのは一体なんだったんだろう。
一頻り呼吸が落ち着いたところで改めて息を吐き、立ち上がる。もちろん服もなにもかもびしょ濡れだ。一回家に帰ろう、このままじゃ風邪を引いてしまう。そうして顔を上げた時、思わずえっ?と声が漏れた。
広い広い何もない砂浜。さっきまであったはずの堤防はない、さらに言えば堤防の向こうに見える街々の風景も。振り返ればさっきまで座っていたはずのテトラポットも一つもない。車が走る音も、さっきまで同じく海にいた人々の騒ぐ声も何も聞こえない、ただ静かな海。
…なにこれ、どうなってるの。
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