闇の足音
「…あら、こんにちは」
前回と変わらない様子でにこりと笑いかける女。部屋に入ってきたのが闇の魔法使いだとはまるで思わせないような、ごく自然な態度だ。お茶でも飲みますか?と尋ねられ、長居はしないと首を振ると女は気にする風でもなく、一度止めた手を再び動かし始めた。
「今日はどういうご用件ですか?」
「いつもと同じさ」
「何度もお断りしてるのに」
女ー日向は困ったように笑った。剪定鋏でざくりと一枝切ると、葉を丁寧に摘み取って行く。一体今回は何の薬を作るやら、自分ですら見たことのない組み合わせだ。構わず続ける。
「君の力が必要だ。より大きい善のために」
「わたしはわたしのために生きるので精一杯なんです」
「その君の幸せのためでもある。日向、どうか一度私のところに来て、ゆっくり話を」
「グリンデルバルドさん」
ふと言葉が止まる。彼女ほど優しく自分の名前を呼ぶ人間は他にいない。大抵は憎しみか、恐れか、崇拝、尊敬。どれも不愉快ではないが、何も感じない。当然のことだ。だが彼女は違う。闇の魔法使いと知っていながら、恐れも怯みも媚もせずに、初めてあった時と同じように私の名前を呼ぶ。
「ごめんなさい、訂正します」
「何だ?」
「この子達と、生きていくので精一杯なんです」
「…魔法動物か」
「彼から預かっている子達もいるの。離れるわけにはいかないから」
彼女の足元にはころころと転がる魔法動物の子どもかいた。猫のような外見をしている、中国の伝説に登場するやつだったか。以前説明されたが、興味がないので忘れてしまった。覚えているつもりは元からなかったが。
じっとりと動物を見つめる私の視線に、日向は苦笑いしながら忠告する。
「わかっていると思いますけど、この子達や彼に何かしたら、わたしは絶対にあなたを許しません」
「…君はあの動物学者によく似ているな」
そうですか?と首を傾げながら、日向が出来上がった薬を持って近づいてきた。腕を、と言われて大人しく彼女の眼前に差し出す。躊躇いなく日向が裾を捲り上げると、先程闇祓いに負わされた爪痕が深く残っている。どうして気づいたのかなど、日向には愚問だ。わかるからわかると、この女に言わせればそういうことらしい。
丁寧に手を拭われ、それから薬が垂らされる。痛みはほとんどなかった。瞬く間に傷は塞がり、跡も無くなっていく。日向はそれを見届けると、静かに袖を戻した。
「…重犯罪だぞ」
「今更ですよ」
そう思っているなら、怪我をしないでくださいとまた笑う。たぶん日向もわかっているが、これはわざとだ。避けられるはずの攻撃を防ぎ切らないのも、怪我を隠してここにやってくるのも。日向は私が自分を傷つけたり壊したりするつもりがないことを知っている。勿論私が魔法省から追われる身ということも知っている。けれど、怪我をしていれば助ける、それは彼女にとって当たり前のことだった。だからこそ初めてあった時から、彼女はわたしに手を差し伸べたのだ。
「君の大好きなスキャマンダー」
「ニュートが?」
ぴくりと日向が反応する。彼女が興味を持つのは魔法動物と愛する男だけだ。だからこそ、これから自分が告げる真実に彼女がどんな反応をするのか、楽しみで仕方がない。
「結婚するらしいな」
「…リタ?彼女はテセウスと」
「いいや。闇祓いの女性だ」
はっと日向が顔を上げる。その瞳は驚きと困惑に揺れている。日向のこんな表情を見るのは初めてだ。
「名前はティナ・ゴールドスタイン」
新聞の切り抜きを日向に渡す。闇祓いに任命された女が、照れ臭そうに、だが誇らしげにこちらを見つめている写真付きだ。
だからこそ、心を壊すのは簡単だ。
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