椿時雨


1


あの時のわたしは、自分で言うのもなんだけどかなりバトルがうまかった。
イッシュ地方の街でなんとかって地下鉄で働いていた父の手解きを受けて数年、10歳の頃にはそこいらのトレーナーに負けることはまずなかった。彼に出会ったのはまさにその絶頂期だった。その証拠に彼とバトルした際にはわたしの手持ちは捕まえたばかりの野良だった。当然彼も頭角を現し始め、そこらのトレーナーとは一線を画しているのは感じたけれど、おこがましいようだがわたしは本当に強かったのだ。たまたま捕まえたポケモンが強い子だったというのもあるけれど、采配がばっちり決まってわたしは彼を下した。そのバトルの楽しいことと言ったら!試合をしながら、若干10何才にして、わたしはこれが生涯一番楽しいバトルなんだろうな、と感じたのだった。それは彼も同じだったようで、バトルが終わるなりわたしに駆け寄り、「どうしてそんなに強いのか教えてくれ!」と頼まれたのだった。
わたしは父に彼を紹介した。こういう弟子入りはよくあることだったし、別に父もそれを断ったりすることはなかった。ただ誤算だったのは、彼がかなりのバトル狂だったということ。父のバトルの手解きは的確なものだったけれど、それは同時にかなりの厳しさを伴っていた。毎日のように指導を受けていたわたしですら、いや実の娘だからこそ父も手加減しなかったのかもしれないけれど、とにかくもう嫌だと泣き言を溢したくなるほどに、いろいろなことを叩き込まれたのだ。個体値、性格、技構成、育成論。まだ子どものわたしにとってそれらを理解して、実践して、使いこなすのはかなりの苦労だった。けれど父が教えてくれるのだからかんばろうという子どもながらに涙ぐましい努力をした。当然育成論など学んだことのないダンデならすぐ音を上げるだろうと思っていたのだ。けれど違った。彼はそれらを学べることを心から楽しんでいたのだ。父に教えを乞うてから数週間後、性格と努力値の関係について嬉々として父と談話する彼を見てある種の恐怖を感じて引いたのは今でもよく覚えている。父も呑み込みの良いダンデにバトルのことを教えるのはとても楽しいらしく、そんな姿に僅かな嫉妬心を抱いていたのも今では懐かしい、ちょっと恥ずかしい思い出でもある。それでも、歳が近いこともあり私たちの仲はそれなりにいいものだったと思う。父と3人で食卓を囲んだり、時には2人でキャンプもした。バトルばかりしていたわたしにとって、ダンデのような友達は貴重な存在だったのだ。
転機は、彼がもう一度わたしにバトルを挑んできた時だった。しっかりと父の手ほどきをうけ、一からポケモン達を鍛え直した彼は自信に満ちていた。もちろんただの過信ではなく、実力の伴ったものだった。だがわたしも父に厳しく仕込まれてきたという自負がある。簡単には負けてやるものかと今度は自分自身がしっかりと育てたポケモンで戦った。ポケモンも、トレーナーである私たちも、文字通り身を削る戦いだった。結果は、辛勝。なんとか勝利をもぎ取ったわたしが、ポケモンを労っていたとき、偶然にもそれを目にしてしまったのだ。
小麦色の瞳が、獲物を狙うかのようにこちらを見定めてぎらりと輝くのを。
勝ったはずなのに、品定めされて捕食されるような気分。思わず体を固くすると、彼ははっと我に帰っていつも通りの人懐っこい笑みで駆け寄ってきた。悔しいぜ、だけど次は絶対負けない。瞳の奥に確かに悔しさと負けず嫌いな炎を燃やして、先ほどまでの執着にも似た獰猛な光はそこにはまるで見当たらなかった。どうしようもなく怖くなったわたしは曖昧に貴方も強かったよと返してすぐ父の元へ向かった。
それからさらに数ヶ月、父の元を去った少年がガラルのチャンピオンとなったことを知って、ああやはり彼はなるべくしてなった、と思った。はっきり言って、彼との二度目の勝負は運だったと思う。次に戦えば負けるだろうな、とも思っていた。だからこそ逃げたのかもしれない。あれ以来、わたしはバトルからは遠ざかっていった。彼がチャンピオンになってすぐ、仕事でライモンシティに戻った父にそちらへ呼ばれることもあったが、わたしは大好きなガラルの地で、その隅っこで細々とポケモンと暮らし続けることを望んだ。チャンピオンになってから10年もの間、無敗の王になるなどとは流石に想像していなかったが、結果的にわたしは未来の最強の王者を二度下したかなり貴重な存在になってしまったのだった。それを誰にも悟られることのないように、ひっそりと、目立たぬように生きてきたというのに。見つかってしまった、しかも一番見つかりたくない相手に。
逃げ切れるかどうかなんて考えなかった。ただ10年前から変わらないあの目が怖くて、捕まりたくなくて、本能的に逃げ出しただけ。それが彼の地雷を踏むことになるなんて、そんなことその瞬間にわかるはずがない。ポケモンがいればまだなんとかなったのだろうか。伸びてきた腕に捕まって、男と女、圧倒的な力の差になす術もなく。

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