「マスター、テラ、アクア! 早く早く!」

 フィリアはヴェントゥスと共に山道を駆け上っていた。その後ろをエラクゥスとテラとアクアがゆっくりと歩いて二人を追う。

「俺たちはゆっくり行くよ」
「暗い故、足元には気をつけろ」
「転ばないようにね」
「はぁい!」

 返事は返すが足の速度は緩めない。通いなれた道だから暗くても平気だった。
 しばらくして、いつも魔法の練習を行っている、蓮の花がたくさん咲いている場所に到着した。

「うわぁー!」
「たくさん咲いてる!」

 その光景を見た瞬間ヴェントゥスと一緒に感嘆をあげる。夜空に咲く蓮の花びらは純白で、まるで光を放っているようだった。

「フィリアが言っていたとおり、すごく綺麗だ」
「うん。ねぇ、もっと近くに行こう!」
「ああ!」

 二人で小さな橋の上まで走った。足元にはさらさらと冷たい小川が流れている。澄んだ水が水鏡となって、覗き込む自分とヴェントゥスの顔を映していた。

「フィリア。この花の名前ってなんだっけ?」
「忘れちゃったの? 蓮だよ」
「蓮かぁ……」
「おお、今年も見事だ」

 ヴェントゥスと話しているとエラクゥスの声がした。三人が着いたようで蓮を見て嬉しそうに微笑んでいる。
 テラとアクアがそのままフィリアたちの方へ歩いてきた。

「ヴェンはこの花を見るのは始めて?」
「うん」
「花の名前ちゃんと言えるか?」
「言えるよ。蓮だろ?」
「ついさっきまで、忘れていたの」
「わっ、フィリア、それは言っちゃだめだってば!」

 じゃれあいながら四人は蓮の花を観賞する。しばらくして、蓮を見つめながらヴェントゥスが呟いた。

「確か、この花を見れるのは三日間だけだっけ?」
「うん。もっと咲けばいいのにね……」

 長い間待ち望んだこの美しい景色は、今週中に夢のように終わってしまう。

「確かに、花の命は短いが」

 いつの間にか後ろにエラクゥスが立っていた。その瞳は自分たちを越えて、月下に輝く蓮を見ている。

「この世界が守られている限り、この地に芽吹く花もまたいつまでも、何度でも咲き続けるのだ」
「はい、マスター」

 テラとアクアがエラクゥスに頷いた。
 フィリアはその言葉を頭の中で繰り返しながら、美しい蓮を振り向いた。










 秋。山からの落ち葉が風に運ばれ中庭の隅に溜まっていた。周りのものが少しずつ冬へ向かって変わってゆく。
 大広間では剣術の修行が行われていた。キーブレードを使えないフィリアには剣術の修行は不必要。しかし、ひとりで別の修行をするのは寂しいものだ。なので剣術の修行の間は邪魔にならないよう隅に座り、余った布を縫っていた。
 休憩の時間になって、側にやってきたヴェントゥスが繕ったばかりのものを複雑な表情で見つめていた。

「なぁ、フィリア」

 ヴェントゥスが指差すのは一枚の布きれ。先程フィリアが繕った、裂けた手ぬぐい……だったもの。

「これ、元の大きさの半分だぞ」
「だって……あっ、いた!」

 この地は人里から孤立している。簡単に何でも手に入る場所ではないため、破れた衣類は自分で繕う決まりだった……なのに、どうやら自分は特別に裁縫の才能がないようで、針を通せば指を突き、縫い足したはずが小さくなった。練習はしているが、テラやヴェントゥスが適当に繕ったものよりも不出来なので余計悔しい。
 今は古いタオルをぞうきんへと縫い変えていた。垂直に針を通した途端、左の指を刺してしまって血が小さな珠を作りだす。

「うぅ……どうしてこんなに下手なんだろう?」
「うーん……元気だせって! 最初から何でも上手くできる者はいないってマスターが言ってたろ?」
「……うん」

 泣きべそを浮かべながらフィリアは指に絆創膏を巻いてゆく。これで左手に4枚目だ。
 絆創膏を巻き終えたとき、それをじっと見ていたヴェントゥスが、珍しくとても真面目な顔で言った。

「あのさ、フィリア……俺、ここに来る前のこと覚えてないんだ」
「……!」
「最近、なんとなく気になって……テラとアクアは知らないって言ってたんだけど、フィリアは何か知らないか?」
「…………」

 心臓の鼓動が早くなる。ヴェントゥスがあのような状態になってしまったヴェントゥスの過去。それは誰もが自然と避けていた話題だった。

「……ううん。私も何も知らないよ」
「そっか……」

 ため息をつきながらヴェントゥスが両腕を頭の後ろに回した。おそるおそるフィリアはヴェントゥスの方を見る。

「……覚えていること、ひとつもないの?」
「うん、何にも。自分のことなのに変だよな」

 はは、とヴェントゥスが乾いた笑いを漏らす。
 せっかくヴェントゥスがここまで元気になったのに、もし過去を思い出してあのときのような状態に戻ってしまったら……。

「フィリア、ヴェントゥス、何の話をしている?」
「ひゃあっ!?」
「あ、マスター」

 いつの間にかエラクゥスが側にやってきていた。難しい表情の眉間に、縦皺が二、いや、三本。どうやら少し機嫌が悪いようだ。

「マスターは俺がここに来る前のこと何か知ってる?」
「……いや。おまえがこの地に来る以前のことは私も知らぬ」
「マスターも知らないのか……」

 エラクゥスの答えを聞き、ヴェントゥスががっかりしたように俯いた。

「ヴェン……」

 どんな言葉をかけていいのかわからずにいると、パッとヴェントゥスが顔を上げた。その表情はいつもの笑顔だ。

「わからないならしょうがないよな。気にしないことにするよ」
「…………」

 できれば思い出してほしくない。しかしそれは自分の勝手な願いであり、ヴェントゥスのために本当に正しいことなのかはわからなかった。

「ヴェントゥス」

 エラクゥスが静かな声でヴェントゥスを呼ぶ。

「この地での生活は好きか?」
「うん」
「皆のことが好きか?」
「当たり前だよ!」
「……そうか」

 ヴェントゥスが大きく頷くと、エラクゥスが柔和に笑んだ。

「休憩は終わりだ。剣術の修行を再開する」
「えっ、もう? じゃあフィリア、裁縫の練習がんばれよ!」
「あっ、うん。ヴェンもがんばってね」

 二人が剣の修行に戻ってゆく。フィリアも再び針を布に通し始めた。
 ──過去。ここに存在する理由。以前、自分もエラクゥスに訊ねたが答えは未だ得ていない。

「…………ここが好き。みんなが好き……」

 自分もここが大好きで、エラクゥスたちが大好きだ。ならば……別に、ここにいる理由なんて知らなくても──。

「あっ、いた!」

 そう思ったとき、また針が指を刺した。





★ ★ ★





 ヴァニタスはブリザガで作った氷柱に映る自分の姿を見つめていた。
 顔の作りこそ似ているが、ヴェントゥスと全く似つかぬ髪形、髪色、瞳の色。ヴェントゥスから開放され“ヴァニタス”として得た自分の姿だと思っていた。
 ──本当にそうだろうか? 生まれたとき、自分はこの姿ではなかったはずだ。
 ずっと前に否定して、片隅に追いやっていた思考がジワジワと膨らんでくる気配。
 ヴェントゥスはもう過去は気にしないと宣言した。もしゼアノートがいたら観察には好都合と言っただろう。しかし、自分の過去はヴェントゥスで、ヴェントゥスの過去は自分なのだ。

「抜け殻のくせに」

 ヴァニタスはキーブレードを握り上段の構えをとると、衝動のままに氷柱を叩きつけた。大きな音をたてながら分厚い氷に鋭い亀裂がいくつも走り、映っていたヴァニタスの姿も同じく割れる。
 耳を貫くようなその音はまるで悲鳴のようだった。

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