一章[10]
広い部屋――おそらく森の主との謁見用なのだろうそこは、内装こそ廊下やこれまで見えていた部屋とそう変わらないものの流れる雰囲気がやはりどこか違っていた。
僕たちの目の前には今、大きな木製の椅子に悠然と腰を下ろした一人の青年精霊が居る。見た目は僕と同じか、もう少し年上ぐらいだろう。人間でいえば十代後半から二十代の造形だ。しかし纏う空気は重く、ずっと年長のようだった。
「――ようこそ、ノヴァヤの森へ。お客人」
僕たちが部屋に入り終えるとその精霊は静かに口を開き、そして笑んだ。あれ、意外と友好的なのか?と拍子抜けする。
これなら話し合いもまだ十分可能かもしれない、と思いかけたその時それをぶち壊したのはやっぱりマリッサだった。
「ねえラシア、向こうに明らかに不味そうな奴が居るのだけど」
「人を食い物として見んなよ!!」
つい三秒前までの威厳あるボス感どこかへかなぐり捨て、代表が叫んだ。怒りのあまり椅子から身を乗り出している。……いや、まあこれは仕方ない。
慌てて肘で彼女を小突いて、小声で呼びかける。
「マリッサ、目的覚えてる……?」
「ええ、もちろん。代表をぶん殴ることよ」
「違うでしょ!?」
今の「ぶん殴る」の部分が代表に聞こえていないかとひやりとしたけれど、彼の方は体裁を取り繕うほうに意識がいっているらしく気付いていないように見えた。内心ほっとする。これが聞こえていたら本当の本当に交渉どころじゃないからね……!
「……あー、ゴホン、改めまして、我がノヴァヤの森へようこそ。その口調、強い炎の気配、赤毛に赤い瞳といい、貴女はマリッサ様とお見受けいたしますが……横のお二人は契約者の方でしょうか?」
「契約者と、あとおまけよ。それより……、私を知ってるのね」
「ええ、まあ」
仕切り直した代表はどこか目をそらしながら確認してくる。……というか、顔見知りなのだろうか?いや、マリッサは知らないようだからそうなると――
「えっ、マリッサ、そんなに有名人なの?」
「暴れすぎて顔知れ渡ってんじゃね――うわぁやめろ俺様の髪が燃える!」
「ぶっ飛ばすわよ」
一瞬僕も思ったがさすがに口に出さなかったことをストレートに口にした筋肉がマリッサの炎を帯びたパンチの餌食になりかける。さすが無駄に運動神経があるだけあって紙一重で避けたようだが、毛先はどうも燃えたらしい。
「マリッサ様はフレア族の代表、『鍵の精霊』ですからね。昔代表会議でお会いしたことがあるだけですよ」
「え、貴方居たかしら……」
「まったく覚えてないと!そうですか!!」
ヤケ気味に代表が声を大きくする。この人、多分突っ込み属性だ。気が合うかもしれない。最近周りに突っ込みを入れることが多かっただけにこういう常識的な人は貴重な癒しだ――なんて考えていてうっかり流しそうになったが、そこでふと思考がひっかかる。
「……マリッサ、君も『鍵の精霊』だったの……!?」
「あら、何、言ってなかったかしら?」
「全然聞いてないよ!?」
驚く僕に、マリッサはけろっとそんなことを言ってのける。今に限らず、彼女はよく肝心なことを教えるのを忘れる気がする。これは僕が定期的に言い忘れはないか確認していくべきか……いや、普通は確認せずとも伝えてくれるべきなのではないだろうか……。
「ま、『鍵』としての役目を果たせるくらい力があるのは保証するけれど。けれど……代表をやっていたのはもうずっと昔の話よ。もうやめたわ」
だからツテとかほとんど無いわよ、とマリッサは続ける。なるほど、彼女はずっと僕の村に伝わる宝玉の中で眠っていたわけだから当然か。――そういえば、何故彼女は宝玉の中に居たのだろう。いつか彼女から聞けるときがくるのかな。
「で、貴方誰だっけ?」
「マリッサ君直球すぎだよさっきから!」
やっぱり平然とそういう問いを投げてしまうあたりが彼女である。もう大分彼女のキャラが分かってきたぞ。昔村でおとぎ話や何やらを聞いて想像していた優雅な精霊のイメージとかもうどこにもないぞ。
「はは、お気遣いありがとうございます、契約者さん。すっかり申し遅れましたが、私はバッシュと申します。今は私がこの森の責任者です」
「あ、僕はラシア・ティーイングと言います。それからこっちのどうしようもないのがボドゴリッツァ・リータです」
「おい、なんだその紹介は」
「話すと長くなるのであまり気にしないでください」
「おい!」
筋肉は不服そうだが今はお前の自己紹介に時間を取っていられない。できることなら早く本題に入りたいのだ。
「それで、今日は……観光目的と言うわけではなさそうですが」
「そう!私は貴方に言いたいことが――」
「ま、待って待って、マリッサ。それは一回置いておいて。本題は別にあるでしょ?」
今すぐ飛び出して行きかねなかったマリッサの手首をつかむ。あ、やっちゃった、投げられるかもなあ、なんて思ったけれど、彼女はそれではっとしたのか動きを止めた。
「……そうだったわ。バッシュだったかしら?貴方、今の異常事態には気づいているわよね?」
「昨日からの異常気象と、不自然な地鳴りについてでしょうか」
「ええ、それよ。単刀直入に言えば――例の封印が緩んだわ」
「!」
封印、という単語を聞いただけで代表――バッシュの顔つきが真剣なものになる。精霊の間ではこの封印の重大性は広く知れているものなのだろう。そして、事実として信じられている。
「それは、どちらの?」
「私の見立てではどちらも解けきってはいないわ。強いて言うならレオノーラ様の方がより綻んでいるかしら」
レオノーラ様、というのは二柱の女神の妹の名前だ。ちなみに姉はエミリーシェ様という名前なのだけれど、人間の間ではまず呼ばれない。教本に書かれている程度で、何よりその名を口に出すことは畏れ多いとして神官様たちでさえ「姉神様」「妹神様」と呼ぶ。それをなんのためらいもなく口にするところは、女神様たちに近いとされる精霊だからか。
「なるほど……それで、力を持つ精霊が必要というわけですね」
話を聞いて少しも考え込むことをせず、バッシュはその結論にすんなりたどり着いたようだった。
「あら、分かっているのなら話が早いわね。そうよ」
マリッサも満足げにうなずく。頭の切れる精霊のようだし、これならまずは一人仲間が得られるかと、僕は安堵した。――次に彼が言った言葉を聞くまでは。
「――残念ですが、私には決めかねます」
彼がそう言った時、おそらくその場の全員の目が丸くなったと思う。
次に叫んだのはマリッサだった。
「――はあ!?あんたが責任者でしょ、何言ってるの!?」
「っ、そう言われますが……」
「森の統治は一度誰かに任せてもいいでしょう!?今はまず世界をどうにかしないとじゃない……!」
マリッサはやっぱり殴る、と今にも飛びかかりそうな勢いだ。けれど一方のバッシュは、ひどく苦々し気な顔をしていた。
「何か事情があるんですか?」
マリッサを諫めつつ、訊いてみる。突然押し掛けたのはこちら側だ。彼にもさまざまな理由があるのかもしれない。
僕の問いかけに、バッシュはやがて眉を下げた。うろうろと視線をさまよわせ、やがて――意を決したように、こう言った。
「私は、確かに『鍵の精霊』ですが――……今は代理の、責任者なんだ」
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