(四) 夜も更けた頃、今夜も英は、『clam's bar』に現れた。 本来ならば、恋人が自分に会いに来たのだ。喜んでもいいものなのに、しかし有はそうではなかった。 なにせ有は、これから英との別れを切り出さなければならないのだ。 英の姿を見ただけで、胸が引き裂かれるように痛み出す。 どんなに移り気が早くても、どんなに自分勝手でも、自分はまだ、こんなにも英が好きなのだということを思い知らされる。 有は、痛む胸を無視して、口を開いた。 「お前の言い分はもう分かっている。俺に飽きたんだろう? さようなら」 有は、英に背を向け、バーカウンターから離れた。 「な……んでっ、昨日だって、今朝だってっ! 有は僕を抱いたじゃないかっ!! 好きなんだ。ずっと傍にいてよぉおおおっ!!」 英は泣きながら、自分から去っていく有に向かって大声で叫ぶ。 有は大泣きする英の告白に、驚きを隠せない。彼のそんな姿を見るのは初めてだった。 しかし、動揺しているのは何も有一人だけではない。諒陽(あさひ)、ただひとりを除いたすべての人々は何事かと、大泣きしている英と有に好奇の目を向けていた。 「今日はもういいから、あの子を連れて帰りなさい」 騒ぎに駆けつけたのか、オーナーの紫季(しき)は有の肩に手を乗せ、優しく告げた。 本来ならば、職場に私情を持ち込むことはあってはならない禁止事項だ。 それなのに、紫季は場の空気を乱した自分たちを怒らない。 ここのオーナーは、相変わらず懐が広い。 もしかすると、紫季も同性に恋をした経験があるのかと、ついついそんなことを勘ぐってしまう。 有は紫季に一礼すると、英の手を引き、慌てて店を飛び出した。 向かった先は、三階建てのワンルームマンション。有の部屋だ。 「うえっ、っくっ」 部屋で二人きりになった今も、英は有から離れようとせず、ずっと袖を掴んでいる。 泣きじゃくる英を落ち着かせるため、ベッドに座った有は、静かに口を開いた。 「もう、俺との恋は終わったのかと思った……」 「ちがう、終わらない。有以外、何もいらない。こんなの、はじめてなんだ。何をしても、何処にいても、有の姿が頭から離れないんだ。 お願い、ずっと傍にいて。別れるなんて、言わないで……っふぇっ」 目から溢れ出した涙は大粒で、彼のデニムパンツに染みを作り、鼻水やら唾液やらで、可愛らしい顔が濡れていく……。 こうやってなりふり構わず泣きじゃくる英も可愛くて、有はクスリと微笑んだ。 「英、俺もお前と別れたくない」 「有、大好き。うぇえええっ!!」 その日の夜、英は有の腕の中で嗚咽を漏らしながら、大いに泣いた。 有は、英の中に、こんな意外な可愛らしい一面もあるのかと、ますます慕情が深まったのは言うまでもない。 有は英の額にそっと、薄い唇を乗せた。 *END*