(二) 「いやっ、離せよっ!! 僕は用があるんだからっ!!」 「まあ、そう言うなって、可愛がってやるからさ」 有が無事に仕事を終えた、午後三時。 『calm's bar』の裏側にある、従業員用の玄関にいた有は、先輩の神 諒陽(かなえ あさひ)と共に店内のセキュリティーをセットしていると、何やら外から既視感にも似たセリフが聞こえてきた。 夜も更けきった頃だというのに、外が騒がしい。 毎度英とのことで茶化してくる諒陽に、肘を突かれる。 常に弧を描く口元は、いつも以上に口角が上がっている。 微笑みを絶やさない諒陽は、軽薄なように見えて、実は勘が鋭い。状況を誰よりもいち早く理解し、対処できる、とても頼りになる先輩でもあった。 しかし、せめて英といる時だけは、そうあってほしくない。 何か良からぬ事を考えているのではないかと勘ぐってしまう。 眉間に皺が寄るのは仕方のないことだ。 有は諒陽に促されるまま、足を向けた。言い合っている人物のひとりは間違いようもない、英だ。 近づいていくと、見たことのない青年が英に話しかけている。 「ちょっとでもいいじゃん、付き合えよ。あんただって、こんな時間帯に出歩くってことは、こういうことを意識してんだろ?」 「冗談! 人を待っているだけだっ!」 年は二十七、八だろうか、金色に染めた髪に、鼻ピアスをした、見るからに派手やかなその不良男は、英の細い腕を引っ張り、何処かへ連れて行こうとしていた。 「こんな夜更けに? だったら、待ってる間だけでもさ」 何を勘違いしたのか、男はにやついた顔をいっそう緩ませた。 「いいじゃん、減るモンじゃなし、相手を待ってるってことは、ちょっとくらいは経験あるんだろ?」 「はなせっ、いやだっ!!」 目いっぱい拒絶をしても、尚も言い寄る不良男。 これだから、英にはすぐ家に帰るよう、言ったのに……。 有は、たとえ同性であっても、英の容姿を理解していた。彼は常に異性として見られる。ましてや、こんな夜更けに外をほっつき歩くこと自体、そういう目的だと思われるのは必至だ。 だから有は英に早く帰宅するよう、言い聞かせていた。しかし彼は毎度のこと、有の言葉を聞き入れない。 有は、大きなため息をつくと、諒陽に一礼をして、英に言い寄っている男まで、大股で移動した。 「何をしている?」 「あっ、有!!」 有の姿に安堵したのか、英は男から手を抜き取ると、直ぐさま、有の背後に隠れた。 「……んだよ、他に男がいるんじゃねぇか」 有を見た不良男は、自分が不利だと悟ったらしく、何やらぶつぶつと呟きながら、去っていった。 自分がいないその間に、華奢な身体が他の男に奪われる。 考えただけでも、憤(いきどお)りを隠せそうにない。 それだけ、有は英に惹かれているのだと、あらためて認識させられた。 英が危険な目に遭うのなら……。 有は大きくため息をつくと、英に向き直り、「いいよ、付き合おう」と、静かに告げた。 「本当? やったあっ!! あ、ね、有はもうお仕事終わりでしょう? 有の家に行きたいな〜」 有の気持ちを知らない英は手放しで喜び、細い腕を首に巻き付け、強請る。 じゃれてくるその様子は、子犬のように可愛らしい。 これだから、有は英に恋をした。 自分にはない、可愛い部分を持ち得ている彼を、気がつけば飽きもせずに眺めていることが多いのだ。 「……断っても、付いてくるんだろう?」 「当然! 恋人の特権だよねっ」 英に対する自分の深い感情を知られないため、もう一度、故意に大きなため息を漏らし、それでも自分は言い寄ってくる英の気持ちに妥協したのだと、彼に態度であらわす。 それでもきっと、彼は別れを告げるだろう。 移り気の多い英は、付き合った相手と一ヶ月も続かないと聞く。 ましてや自分は何の面白みもない性格をしているのだ、飽きられるのも、もはや時間の問題だ。 ――恋人……。英との関係は、いったい、いつまで続くのだろうか。 今夜か、はたまた明日か。何にせよ、彼は近々自分との恋に冷めてしまうことは確実だ。 有は、いずれやって来る英との別れを意識する。 その日、有は両想いになった英を自宅のワンルームマンションに招き入れた。 案の定、英はすぐに身体の関係を求め、そうして空が白(しら)む頃まで、二人は情を交わした。