chapter:prologue 一歩踏み出した足が泥濘(ぬかるみ)に取られる。 その日は朝方からずっと、霧のような雨が降り続いていた。 見上げれば広がっている筈のどんよりとした曇り空を、深い緑の葉が生い茂っている木の枝枝が交差し、覆っている。 夏も終わるというのに、周囲は静まりかえっており、虫の音は聞こえない。 時折、紗のような霧雨が、葉に――あるいは大地に落ちる音と交ざり、獣の遠吠えが聞こえてくる。 なんとも不気味な森だろうか。 彼は口内に溜まった唾を喉の奥に押し込み、じっとりと汗ばむ額を手の甲で拭うと、泥濘に足を取られながらも、おぼつかない足取りで進み行く。 ――緑が鬱蒼(うっそう)と生い茂ったこの森に入ってから、どれほどの時間を歩いただろう。差ほど時間は経っていないように思うし、一年も二年も歩き続けているような錯覚を受ける。 暑さと高い湿度で朦朧(もうろう)とする意識の中、果たして彼が見たものは、何世紀も前からあるような巨大な城だった。 彼の行く手を阻んでいるのは蔓が巻き付いた大門だ。格子の隙間から中を覗けば、長い間放置されているのか、城の敷地内であるにも関わらず、森の延長線上であるかのように植物が勢いよく生い茂っている。 ここは本当に自分が知っている街外れの森だろうか。この荒れ果てた城は悪魔が住む巣窟のようだ。 外部からの侵入を拒む大門に手を伸ばせば、耳を劈(つんざ)く軋んだ音が鳴る。 この先で自分を待っているのは生か、死か。 彼は恐怖に震えながらも呪われた禁断の地に足を踏み入れた。 ―prologue・完― |