transend darkness-

第三章





chapter:心とは裏腹な身体X




 X



 季節はもう秋だというのに湿気を含んだじっとりとした生ぬるい風が象牙色の肌を撫でる。


 彼、イジドア・ダルグリッシュは、夜の闇に溶け込むような漆黒のコートに身を包み、ひっそりとしたもの悲しい深い森の中をただひとり、歩いていた。


 頭上にはあるはずの藍色のベールに包まれた夜を、交差する枝枝に生い茂った緑が覆っている。

 その隙間から時折姿を現す月は満ち、木々の根が自由気ままに張り巡っている大地をほんのりと照らしている。

 緑が生い茂ったこの森では拝めないが、真っ青な空の中で力強く輝く太陽が消え、躍動的な光景とは打って変わる深夜――。

 いったいいつから太陽を拝んでいないだろう。

 静寂の闇に包まれた世界で生き続けるイジドアの頭に、ふと、他愛のない疑問が過ぎった。それはヴァンパイアの自分とはおそろしく不似合いな人間が彼の屋敷に二人も住み着いているからだ。


 ――今から約九百年前。気が遠くなるような遙か昔。

 イジドアにも人間だった頃がたしかにあった。

 イジドアは伯爵の地位を持つ裕福な家庭の次男として生まれた。

 とても気難しく、威厳がある父ジークフリードと、美しく、常に煌びやかに着飾っていた母メリッサ。十歳離れた兄のドミニク。そして数え切れないほどの使用人たち。

 彼の家庭は実業家として優れた腕前を持つ父親のおかげで金に困ることはなかった。だから当時、まだ子供だったイジドアは自分の相手をしてくれない父親を責めることはなく、それどころか使用人たちがたくさんいるこの家をたった一人で立派に切り盛りしているジークフリードを尊敬さえしていた。



『自分もいつか父のような立派な人間に――』


 イジドアは子供ながらに将来を夢見て過ごしていた。

 しかし幼くして抱いていた彼の夢は永遠に叶うことがなかった。


 穏やかな生活は、愚かな妻メリッサによって踏みにじられる。

 イジドアの母メリッサは最悪だった。

 彼女はとにかく派手なものが好きで、自分が腹を痛めた実の息子二人の面倒を見るよりも自分を着飾ることに大忙しだった。その甲斐もあって、彼女はとても美しかった。

 それだけといえばそれだけだが、しかし彼女は異性から特別扱いされることが何よりも嬉しかった。

 そして彼女は夫のジークフリードが病で亡くなると、とうとう本性をあらわしはじめた。


 彼女はこともあろうに、夫がたっぷりと稼いできた財産を、自分を着飾るためばかりに使い、それだけでは飽きたらず、『永遠に続く美貌』を欲した。

 そしてついには、ただそれだけのために、悪魔と契約を果たし、自らの魂を売った。

 代わりに手にしたのは、彼女が欲していた、永遠の命と美貌。


 それが、ヴァンパイアとしての生活だった。


『永遠に続く美貌』

 彼女が欲した、たったそれだけのために、二人の息子も彼女の進む道に付き合わされる羽目になる。


 斯くして我欲に埋もれたメリッサは悪魔の仲間入りを果たし、欲望のままに生きていた。

 しかし、彼女の人生は突如として足下を掬われる。

 強欲なメリッサを恐れた村人たちはダルグリッシュ家の屋敷に火を放った。

 その頃、イジドアと兄ドミニクはというと、好き勝手に振る舞う母親にうんざりしていた。

 有り難いことに父、ジークフリードは自分の財産をそれぞれに振り分けてくれていた。だから彼はメリッサと同じ空間にいることを拒絶することも、屋敷から離れることもできた。そして兄ドミニクは愚かな母によって化け物に変えられても、持ち前の明るい性格は変わらなかった。彼はバーを経営し、楽しく暮らしていた。

 そういうこともあって、彼ら兄弟は村人たちがメリッサに牙を剥くその時もまた、屋敷を離れていた。

 そうして彼らが最も嫌う彼女がいる屋敷に戻る頃、すべてが灰と化し、崩れ落ちた屋敷の残骸ばかりだった。

 無造作に広がった煤だらけの瓦礫。その中から出てきたのは、女性と思われる小柄な焼死体ただひとつ。

 愚かな女性がこの世を去り、しがらみから逃れることに成功したイジドアとドミニクは、けれど自由になることはなかった。

 特にイジドアは、兄のドミニクのように気さくでもなければ誰に対しても気軽に打ち解けるという特技も持ち合わせていなかった。だから恋人もいなければ親友と呼べる相手もいなかった。

 不老不死で生きるということは困難を極める。限りある命の中、老いることなく永遠に生き続ける。

 太陽が弱点になった彼は日中、外出することすらままならない。

 人間の枠組みから外れてしまった自分たちは人びとに怪しまれる。

 彼は人びとの目をかいくぐり、居場所を転転とした。

 おかげでたった一人の肉親、ドミニクともいつしか音信不通になってしまった。

 孤独を知ったイジドアが取った次の行動は、本来ならば天敵のエクソシストと契約を果たすことだった。彼は人間の生き血を吸わないことを条件に、深い森の奥でひっそりと屋敷を構え、彼らの仕事を手伝うことだった。



 そしてイジドアは今まさに、悪魔祓いとして現場に向かっている最中でもあった。


 虫たちの羽音さえも聞こえない。しんと静まりかえった闇の中は異様な静寂に包まれていた。

 イジドアが歩を進めば進めるほどに、張り詰めた空気が増していく……。


 全身の毛が逆立つ。これより先は危険だと、五感が知らせてくる。

 遠く離れた距離のわずかな音でも聞き逃さない聴覚。真夜中であっても昼間のように遙か遠くまで見渡すことができる、夜行性動物並みの視覚。微量な匂いでも嗅ぎ分けることができる嗅覚。中でもヴァンパイアとしての研ぎ澄まされた感覚は鋭い。運動神経も超人的だった。

 運動神経や五感のどれもが人間だった頃よりもずっと発達していた。



 ――近いか。

 イジドアは目と鼻の先に標的を察知し、進む速度を速めた。

 ブーツの底で地面を打ち付けるたびに冷たい音が響く。

 いくらか進んだ先には赤褐色の土も剥き出しの木の根もない。そこは色褪せたタイルに敷き詰められた硬い地面だった。

 ところどころに配置された街路を灯すための街灯は、けっして役割を果たしているとはいえない。ひっきりなしに点滅を繰り返していた。

 どうやらここは人通りが極端に少ない場所らしい。


 漆黒の目を細め、薄闇色に染まったその先を見た彼は、そう確信した。


 果たしてイジドアが見たものとは、ベージュの色をした膝丈のスカートに紺と緑のチェック柄のシャツを着た、白骨化した遺体だった。


 この遺体はずいぶん前に亡くなったのだろう。白骨化するには時間がかかる。だから通常ならばそう考えるところであるが、しかし遺体が身に着けている衣服は目立った汚れがなく、真新しい。

 それなのに、遺体は水分という水分をすべて抜き取られ、干涸らびた状態だった。


 まただ。

 イジドアは眉をひそめた。

 彼の胸の中に虚無が広がる。

 それというのも、ここ最近、頻繁にこのような奇妙な遺体を目にしていたからだ。

 被害に遭うのは決まって二十代の女性だった。


 そしてサイモンの一人娘、クラリッサもまた、今回の遺体のように身体中の血液を奪われ、干涸らびて亡くなったひとりでもあった。


 イジドアは遺体をこのような状態にできる存在を知っている。


 ヴァンパイアだ。

 奴らはことごとく、サイモンたち人間の足下を脅かす。

 いや、彼だけではない。おそらくノアもヴァンパイアの犠牲者だろう。彼は過去、何らかの形でヴァンパイアと遭遇し、傷つけられたに違いない。イジドアがそう思う理由は、ヴァンパイアに対しての異様な執着心と、イジドアを見る時の目付きが尋常ではないからだ。



 彼は周囲に目を配り、意識を集中して闇の中で動くものがないか気配を探る。

 しかしそこには何もなく、ただ闇が広がるばかりだった。


 どうやら彼女を襲った者はすでにここから退散したようだ。


 イジドアは血液をことごとく抜き取られた哀れな女性へとふたたび目を向けた。


 彼女を死に至らしめたヴァンパイアはかなり獰猛な奴に違いない。

 彼女の身体に巡っている血液を一滴も残さず吸い尽くすなど、ほんの少しでも理性が邪魔すれば到底できる芸当ではない。


 ヴァンパイアの彼もしくは彼女は、彼女の血を吸い尽くす時に恐怖と快楽も貪った筈だ。そして今、アドレナリンが分泌し、興奮状態になっているに違いない。


 ――ヴァンパイアは血液を抜き取る時、性的興奮を感じる。そして吸血される者もまた、同じ快楽を感じる。

 だから吸血される者は血液を抜かれることに気づかない。

 しかし、今回の件は別だ。吸血された彼女は身体に巡るすべての血液を奪われている。神経が麻痺し、身体が冷たくなっていくのをまざまざと知らされた筈だ。彼女は死に向かう自分を少なからずともこの先の行為に垣間見ただろう。

 現に、イジドアがこうして彼女の傍らにいるだけでも、ヴァンパイアと遭遇した時の当初の感情を知らせてくる。

 悲しみと恐怖。そして得体の知れない快楽――。


 生前、彼女がこの世を去る間際に感じたそれらすべてをイジドアに伝えてくる。

 イジドアは眉間に深い皺を刻み、不快に思いながら、それでも彼は苦痛を叫ぶ彼女から視線を逸(そ)らさなかった。


 これは自分への戒めだ。

 理性を失えば、自分は彼女を襲ったヴァンパイアのように血も涙もない本物の化け物と化す。だからけっして、こうあってはならない。イジドアは自分にそう言い聞かせていた。


 ヴァンパイアとは、そもそも高等な悪魔が作り出した異物だ。理性を失い、欲望に埋もれれば最後。悪魔となってこの世を徘徊する。だからこそ、イジドアは人の身体から直接生き血を摂取することを極端に拒んだ。

 肌を貫く時の悦。生あたたかな血液。それを当たり前のように摂取してしまえば最後。欲望に支配され、瞬く間に心まで化け物へと化してしまう。

 彼は何よりもそれを恐れていた。

 イジドアはしばらく横たわる彼女の傍らに佇んでいると、彼女から映像が流れてくるのを感じた。

 イジドアは神経を研ぎ澄まし、彼女から与えられるメッセージを読み取っていく。


 周囲に広がった闇は深い。今から三時間前ほどだろう。仕事を終え、帰宅する道すがら、彼女はこの道を通ったらしい。背後から彼女は突然呼び止められ、振り向けば、そこには二人の男女の姿があった。薄暗くて顔は見えないが、男の体型はしっかりしていて、背はとても高い。女の方も一般の女性と比べるとやや背は高めで、細身の体型をしていた。

 彼女が何事かと二人に訊(たず)ねると、男は無言で彼女の身体を掴んだ。彼女の身動きが取れなくなったところで、女は口の両端にある鋭い牙を剥き出しにして、彼女の首筋を貫いた。

 牙で皮膚を破られ、全身が引き裂かれるような強烈な痛みを感じながら、身体は冷たく凍えていく……。

 悲鳴を上げても誰にも聞こえない、この路地で、彼女は地獄を味わった。

 やがて身体はぐったりと垂れ下がったところで、彼女の意識は途絶えている。


「――――」

 ――男女二人組。人生を奪われた彼女らがイジドアにメッセージを送ってくる光景に決まって現れる。

 その男の方には、実はイジドアの中で思い当たる人物がいた。

 兄のドミニクだ。

 たしか兄は自分と音信不通になる直前、生涯を共にする女性が現れたかもしれないと浮かれていた。もう片方の女はその女性ではないか。

 しかし、たとえヴァンパイアとなっても人間社会でバーを経営する兄が殺人を犯すだろうか。



 こうした変死体が頻繁に出はじめたのはここ一、二年ほどのごくごく最近だ。ドミニクの仕業だと決めつけるのはまだ早い。

 それに、事の発端でもありそうな、二十年前にあった、村に住む人びとをことごとく大量虐殺するという残虐な事件では、ドミニクとイジドアはまだ共にいた。

 あの残忍すぎる事件と最近、頻繁に起こっている残忍すぎる手口。これらは間違いなく同一犯による犯行だ。



『化け物はこの世界に生きるべきではない』

 それはどこかの聖職者が過去、イジドアに告げた言葉だ。

 まさにそのとおりだと思う。できることなら、自分も太陽に焼かれてこの世を去りたい。それでもイジドアをこの世に繋ぎ止めるのは、ほかでもない、この恐ろしい事件があるからだ。

 この残忍な事件の犯人がドミニクの仕業ではないことをたしかめるためまでは、自分はこの世を去ることはできない。


 イジドアは、今となっては唯一ただひとりのかけがえのない肉親をむざむざと放っておける筈がなかった。


 しかし、今はこのようなことを考えている場合ではない。なにせ倒れている女性の瘴気を感じ取った、『彼ら』が時期に姿を現す。ここは間もなく戦場と化す。

 現に今、この場所には不穏な空気がたしかに漂いはじめている。

 彼は懐に手を差し込み、コートの裏に仕込んである銀で作られたナイフの冷たい肌触りをたしかめた。

 じっとりとした空間の中から、生ぬるい風を感じ取る。

 目の端で、鋭く光る何かを捉える。

 イジドアは危険を察知すると後方へ飛ぶ。

 それとほぼ同時に、硬いものが砕け散るような鈍い音が寂々(じゃくじゃく)として物音ひとつしない空間に響(ひび)めいた。


 漆黒の瞳が見据えると、地面には刃の形をした硬い骨が突き刺さっていた。地面は今もなお、鋭い硬質な骨によって亀裂が広がっていく――。

 もし、イジドアが回避することなくその場にいれば、いくら悪魔との度重なる戦闘で鍛え抜かれた肉体とはいえ、簡単に砕け散っていたことだろう。

 イジドアは地面を貫く骨を辿り、敵を捉える。

 頭部はとても小さい。亀のような硬い甲羅をした身体と、両肩は地面を貫いている刃の骨で繋がっていた。

 目の前にいるこの存在はよく知っている。『悪魔』という種族だ。

 彼はイジドアが察したとおり、女性の白骨化した遺体に引き寄せられやって来た。


 しかし、この悪魔はこれまでにイジドアがことごとく滅ぼしてきた相手とはずいぶん容姿が違っていた。

 それというのも、彼と出会した悪魔はみな、生まれたばかりの人間の赤ん坊のような姿にカラスの羽を背にまとった者ばかりだったからだ。

 常とは違うこの形態。

 だが、この姿についてもイジドアは知っていた。これは低級のロウ・デーモンから進化した悪魔だ。

 そもそも悪魔とは、人間が持つ闇の部分を操作し、生きとし生ける者すべてに恐怖と混乱をもたらす生き物だ。
 彼らは人間が躍動的になる、太陽が昇る時間を嫌い、闇に染まるこの時を好む。

 彼らの食事は、人間の恐怖と憎悪。負の感情のすべてだ。だから悪魔はそれらの感情を引き出し、食すために異様な姿になって現れる。

 負の感情を食した悪魔は低級から中級、そしてさらなる恐怖へと進化を遂げる。

 人びとを恐怖に陥れる、おどろおどろしい赤ん坊の姿が第一形態とするならば、さしずめこれは第二形態だろう。

 名はダーク・キラー。

 恐怖を植え付けるばかりの形態とは明らかに違う。見た目どおり、殺戮を目的とした姿だ。

 これはエクソシストと劣らない力を持つ、強力な悪魔だ。

 とはいえ、これと出会すことは滅多にない。

 イジドアが長すぎる年月を生きてきて、ほんの数回出会すか出会さないかの形態だった。

 それが、今彼の目の前にいる。


 これは悪魔が食料としている、人間の負という感情がこの世界を支配しはじめていることを意味している。

 それもこれも、ことごとく生き血を啜り、人間を白骨化させるヴァンパイアのおかげだ。

 このまま残忍なヴァンパイアを放っておけば、悪魔は活発化し、やがて第三形態へと進むだろう。

 そうなればこの世は混沌の世界へと成り果てる。秩序や平和は一切を失うことは必定だ。

 そこまで考えたイジドアは舌打ちした。苛立ちをあらわにする。

 言いようのない嫌悪感が込み上げてくる。

 彼は鋭く光る銀のナイフを取り出し、目にも止まらぬ恐ろしい速さをもってダーク・キラーに投げつけた。


 銀のナイフは本来、邪悪な者を滅ぼすと言われている。だからイジドアが放ったナイフは『的』に命中し、即座に滅ぶ――筈、だった。

 だが、今回は違う。

 彼が放ったナイフはたしかに目の前のダーク・キラーに命中した。しかし、それは見た目どおり頑丈だった。

 ナイフはダーク・キラーを傷つけることなく、頑丈なボディーに触れた瞬間、弾け飛び、乾いた金属音を立てて地面に転がり落ちた。

 どうやら第二段階まで進化した悪魔は銀さえも効かなくなったらしい。


 ともすれば、あの鋼のような身体を貫く頑丈な武器がいる。

 イジドアは懐からダガーを取り出す。

 その間に生まれた隙を、悪魔は見逃さなかった。また別の悪魔が数体、闇から生まれた。

 新たな悪魔の出現で、イジドアは思い通りに戦闘が進まないことに苛立ちを募らせる。

 しかし、新たに出現した悪魔は、カラスの羽を持つ赤ん坊の姿をした第一形態だ。

 どうやら彼らはまだ本格的に強大な力を手にしたわけではなさそうだ。

 ダーク・キラーは目の前にいるものの、まだロウ・デーモンが主流だと判断したイジドアは、少なからずとも胸を撫で下ろした。

 とはいえ、一刻も早く残虐非道なヴァンパイアを見つけ出し、処罰せねば悪魔は進化し続ける。

 イジドアは新たな決意とともに、右の手に持つダガーを強く握りしめた。


 イジドアの敵意を察知したロウ・デーモンが動く。

 一斉に四方向から攻撃を仕掛けてきた。

 イジドアはまず、前方向からやって来る悪魔を手にしているダガーで貫き、次に左右からやって来る悪魔に狙いを定めた。

 奴らにはまだ銀のナイフは有効だ。


 瞬時に判断したイジドアは懐に忍ばせている銀製のナイフを取り出すと左右に素早く投げ放つ。

 次に背後を狙って仕掛けてきたロウ・デーモンを蹴り上げ、同時にかかとに仕込んでいたナイフで胴体を薙いだ。

 イジドアは怖じ気づくことなく、次々とロウ・デーモンを蹴散らしていく――。

 悪魔たちが次から次へと消滅していく中、ダーク・キラー三体が同時に動いた。

 ロウ・デーモンがイジドアの相手をしている隙を突き、すぐさま飛びかかってくる。


 それさえも察知したイジドアは、はじめにロウ・デーモンを貫いたダガーで三体の人骨の刃を受け止めた。

 拮抗する骨の刃とダガー。

 どんなに力をもってしても、一体でも貫けなかったイジドアの武器は、ダーク・キラーら三体の刃を貫くことはない。

 噛みしめた歯の隙間から、呻き声が漏れる。その必死なヴァンパイアの姿を目にしたダーク・キラーは勝ち誇り、にやりと笑みを浮かべた。

 しかし、イジドアは同じ失敗を繰り返さない。


 彼はダガーを引き、膝を曲げて体勢を低くした。

 あれほど強い力で拮抗したダガーが消えたことで、ダーク・キラー三体の身体は前に押し出され、前のめりになって倒れ込む。


 体勢が崩れたのを確認したイジドアは、後方からさらにやって来るロウ・デーモンへ、手にしていたダガーを投げつけ、滅ぼす。


 そうして彼は、懐から短剣を取り出した。

 彼が手にしているのはジャマダハル。

 それは短剣のような刃で、しかし柄の部分はない。その代わりにあるのは、二本の添え木だ。彼はそこに手を差し込み、まるで拳を当てるかのように動かして鋭く尖った刃を、体勢を崩している完璧なボディーへと突き刺した。

 それは硬い甲羅を貫いた瞬間でもあった。


 ダーク・キラー、一体は声にならない悲鳴を上げ、闇に散った。


 彼が手にしたジャマダハルは硬い鎧さえも打ち砕く、別名パンチングダガーとも呼ばれる強打性が強い短剣だ。

 そしてジャマダハルにイジドアの魔力を上乗せすれば、どんなに硬い甲羅でも簡単に打ち砕くことができる。

 イジドアはダーク・キラー、一体を滅ぼすと、続いて体勢を崩している二体も一体目同様、意図も容易く闇へと葬り去った。


 周囲はふたたび静けさが戻りつつある。

 ことごとく出現する悪魔をあらかた片付け終えたイジドアは、詰めていた息を吐いた。

 そして空気を吸った瞬間、ベルガモットの香りが一緒に鼻孔へと入ってきた。


 この香りは知っている。ノア・フィルスコットから漂う馨香(けいこう)だ。

 鼻孔から入ってきた香りはやがて全身へと行き渡り、イジドアに熱をもたらす。

 涙で潤んだアイスブルーの瞳。艶やかな喘ぎ声と、しっとりとした肌触り。麝香の香りがする、自分よりも少し小さめの陰茎。そして双丘の奥にある、赤い蕾――。

 それらを思い出せば、イジドアの欲望は膨れ上がり、息づきはじめた彼の陰茎が痛いほどジッパーに食い込む。

 イジドアの身体が彼を欲する。

 はじめ、イジドアがノアを抱いたのは、彼を危険な目に遭わせないという契約があったからだ。だから自分にまとわりついて来ないよう、そして同族たちから危険が及ばないよう、自分の物だという証を残すために彼を抱いた。

 ――同性に抱かれる屈辱。

 ノアはことごとく打ちのめされた筈だ。

 だからこれで彼は自分を嫌悪し、必要以上近づいて来ないと思った。

 しかし、彼は憎悪を向け、イジドアの寝込みを襲ってくる。イジドアが、一番無防備で欲望を抑えきれない時に、だ。

 イジドアは化け物と化してから、理性を保つため、必要以上に他人と関わりを持っていない。もちろんヴァンパイアになってからは身体を交えたこともない。

 おかげで欲望を募らせたイジドアはノアを抱き、互いに身体を貪り合う。

 しかも、イジドアはノアと過ごすその時間を気に入っていた。

 
 これでは何の為にノアを抱いたのか、わからなくなる。


 イジドアは甲斐性のない自分自身に苛立ちを込めて舌打ちした。





- 11 -

拍手

[*前] | [次#]
ページ:

しおりを挟む | しおり一覧
表紙へ

contents

lotus bloom