transend darkness-

第三章





chapter:心とは裏腹な身体Y




 Y



 イジドア・ダルグリッシュは強かった。次から次へと襲い来る悪魔たちを――しかも、第二形態までに進化したダーク・キラーを、ことごとく討ち滅ぼしていく……。

 彼はノアが今まで目にしたこともない扱いづらそうな短剣を、見事に使いこなしていた。


 彼の戦闘を一部始終見ていたノアは、口内に溜まっていた唾を飲み込んだ。

 それにしても、彼の戦闘センスはいったいどれほどのものなのか。

 自分たちエクソシストでさえも苦戦する、ダーク・キラーを掠り傷ひとつさえ付けることなく戦場で優位に立ち、戦っている。それどころか、戦っている姿さえ美しいだなんて……。

 イジドアにすっかり魅了されたノアは、戦場にいる彼を瞬きする間もなく見つめ続ける。


 短剣を振るう彼は、まるで舞っているようだ。これまで幾度となく悪魔と刃を交え、計り知れない死を見てきた彼の洗練された肉体は汗ひとつかいていない。依然として冷ややかな表情を保っていた。

 悪魔の攻撃を迎撃する彼に合わて漆黒の髪がたなびき、彼が動くたび、ぴったりと張り付いている薄いシャツやスキニーパンツが引き締まった肉体美をシルエットが写し出している。


 彼は美しい姿で人間を惑わし、闇へと誘う堕天使さながらだった。


 その彼に、自分は抱かれている。あのたくましい腕に抱かれ、骨張った長い指と薄い唇がノアの柔肌を蹂躙する。

 そして長い足の間にある彼の男根は彼が手にしている短剣と同じくらい大きく、そして熱い。それがノアの双丘に隠された秘部を暴き、蕾を貫かれると、さらなる官能を呼び起こす。

 イジドアの熱い吐息を感じながら、中にある彼が息づくのを感じて激しい抽挿を繰り返すそのたびに、彼を受け入れる肉壁が擦られ、凝りからは痺れるような強烈な甘い疼きを生み出す。

 今、こうしてイジドアとの行為を考えただけでも、彼を受け入れるノアの後孔は開閉を繰り返す。彼が欲しいと、下肢が熱を持つ。

 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。

 しかも、イジドアは両親を自分から奪った獰猛な殺戮者と同じヴァンパイアという生き物だ。

 たしかに、彼はヴァンパイアではあるまじき理性を保ち続けることは認める。しかし、いくら理性を持ち得たとしても、ヴァンパイアであることには変わりはない。

 今はいい。だが、いつかは必ず理性は消え去り、欲望のままに生きる化け物と化す筈だ。

 それなのに……いくら美しいとはいえ、彼に惑わされ、情交するなんて……。


 イジドアに魅了されていたノアは我に返り、真紅の唇を固く引き結んだ。


「そんなところで何をしている」

 ノアが頭打ちをするのとほぼ同時――思わぬ方向から声を掛けられ、ノアは顔を上げた。

 そこには、射貫くような漆黒の瞳がノアに向けられていた。


 どうやらイジドアは悪魔を一掃したらしい。

 おどろおどろしい悪魔の姿は消え、周囲は静寂を取り戻していた。

 何十体という悪魔をものの数分で消滅させたイジドアはやはり恐ろしい相手だ。

 ノアは下唇を噛みしめた。


「俺を心配して来てくれたのか?」


 イジドアは薄い唇の端をつり上げ、どこか小馬鹿にするように笑った。

「そんなことあるはずがないだろう! あんたがちゃんと悪魔退治をしているのかを見届けに来ただけだ!」

 ――とは言い返すものの、それは図星だった。

 いくら彼の身を案じていないと自分に言い聞かせたところで、心は誤魔化せない。

 ノアはまさしくイジドアが言ったとおり、エクソシストとしての任務を果たすため、そして認めたくはないが、ほんの少し、ごくごく微々たる気持ちで彼を心配し、ここまでやって来たのだ。

 しかし、ごくごく微々たるものであっても、それを認めるのはノアにとって屈辱以外の何者でもない。

 ノアはたしかに、どうしようもないほどヴァンパイアに憤(いきどお)りを抱いている。それでもイジドアとヴァンパイアを切り離して考えはじめている自分がどこかにいるのだ。

 それもこれも、ふとした瞬間に見せるイジドアの思いやりとも取れる仕草のせいだ。


 自分を女性のように組み敷いたイジドアへの怒りと苦痛。今までに感じたことがない、言い知れない何か違うものが込み上げてくるような気持ち。自分でも理解できない感情たちが渦巻く。


 ノアはイジドアに何か言い返そうにも言い返すことができず、ただ唇を噛みしめるばかりだ。

 だから彼は、正真正銘、歴とした理由を口にする。


「あんたにどうにもできないことがあるだろう?」

 ヴァンパイアではできないことだが、エクソシストの自分ならできる。

 ノアはその場に充満している瘴気のことを、顎を上げて示した。

 そして発生源の、塀の片隅で横たわる彼女へと歩み寄った。

 瘴気は悪魔にとって、人間の負という感情よりもずっと豪華な馳走だ。

 もし、このまま何も手を付けず、彼女を放っておけば、この場に充満している瘴気は拡大し、第二形態はおろか、第三形態の悪魔が出没するだろう。そうなれば、人間の負という感情を食い散らかす悪魔はさらに強力な力を得て、この世を混沌の闇へと誘う。


 それを阻止すべく、ノアは横たわっている白骨化した彼女に手を翳し、彼が持ち得る霊力を伝わせる。

 するとノアの霊力は白く輝く光となり、彼女を包み込んだ。

 狂気じみていた白骨化した遺体は消えた。その代わりに横たわっているのは、魂はもうすでにこの世にあhなく、生気はないものの、頬にそばかすが乗っている赤毛の可愛らしい女性だ。

 年の頃なら二十代前後の、まだ幼さを感じさせるその姿こそ、おそらくは生前の彼女だろう。

 間もなくして、彼女から生まれた瘴気は消え、穏やかな場所へと変化した。




 目の前で起きている出来事の一部始終を余すところなくすべて見届けたイジドアは、相変わらず無表情ではあるものの、内心ではノアの見事な技に感心していた。

 それというのも、瘴気を浄化し、彼女を安らかに眠らせるという技能は、ノアたちエクソシストにしかできないものだったからだ。こればかりは強力な魔力と力を持ち得ているイジドアであっても、悪魔の僕としてつくられた自分たちでは到底実行不可能なことだった。

 とはいえ、ここまで瘴気を完全に消し去るのは、エクソシストであってもそうそうできる芸当ではない。

 これができるのは、並外れた霊力を持つノアだからこそだった。

 そして彼は類い希なる霊力のおかげで生あるかぎり永遠に悪魔や心ないヴァンパイアたちに命を狙われ続けるのだ。


 だからモンタギュー・マーコリーは四年前、エクソシストと同盟を組んだイジドアにある条件を突きつけた。

 ヴァンパイアのイジドアにとって必要不可欠な人間の血液を渡す代わりの条件を――。

 ――ノア・フィルスコットの命を狙う者たちから守るという契約を……。



「僕は瘴気をどうにかしようとしてここに来ただけだ。勘違いするなよ!」

 これで遺体の身元が判明し、彼女を慕う人びとの手によって亡骸は手厚く葬られることだろう。

 自分のすべきことを終えたノアは得意気にそう言いながら、振り返った。

 しかし、そこにいるであろう筈のイジドアはノアの視界にはいなかった。

 そして少し先のところに、背を向けた彼がいた。

 イジドアは無視を決め込んで屋敷に帰ろうとしているではないか。


「おい、人の話を聞けよ!」

 人にものを訊(たず)ねておきながら答えを聞かないとはどういう了見だ。

 ノアは方を怒らせ、歩き去るイジドアの背を追う。



 静寂が広がる秋の夜。静けさを打ち破る、不似合いな大声が広がっていた。





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