◆ 遊郭――江戸幕府からも公認された遊郭は、吉原遊郭をはじめ、様々な名称があり、安土桃山時代から長きにわたって、現在も存在しているそれは、色事を求めてやまない、庶民のささやかな楽しみとして、設けられた場所で、周囲は塀や堀などで囲われていました。 女を好む人間もいれば、男を好む人間もございます。 春を売る者を、娼妓(しょうぎ)――または色子と呼びます。 男も女も、その中で働く者のほとんどが、幼くして両親に先立たれ、独り身になった者や、あるいは、借金の取立てで売られてやって来た者たちばかりで、貧しい生活を強いられておりました。 この地へやって来た彼――もしくは彼女らは皆、年の頃なら十歳前後で、まだ年端もいかぬ者たちばかりでございます。 ――というのも、狭い廓で芸を仕込まれ、女なら十六歳。男なら十二歳で、初めてお客を取るからです。 これを、水揚げといいます。 娼妓が水揚げする前は、禿(かぶろ)と呼ばれ、新造(しんぞう)――つまり、娼妓見習いとなって、水揚げをした後の色子の世話をしたり、色子の複数の客が登楼している場合は、待たせるお客の話相手をするのも、その仕事の一部でございました。 そんな遊郭の中でも、花街(はなまち)という廓(くるわ)に、ひとりの色子がおりました。 名は春菊。 見目美しい彼は、色白で細身。流れるような艶やかな黒髪は腰まであり、紅をささずとも赤くふっくらとした唇と大きな二重の目が印象的な、一見すれば女のように見えるほどの、愛らしい姿をしておりました。 彼の歳は十五。 もうとっくに春を売ってもいい年頃ではありますが、けれど彼は、水揚げもまだ済ませていない、新造でございました。 それというのも、彼はこの花街にやって来た当初に、栄養失調で身体をこわし、倒れてしまったからでございます。 それから少しずつではございますが、体調回復の兆しはあるものの、けれどまだ、彼の体力は完全には回復しておりません。 寝たきりのまま、彼が郭に居続けたとしても、ただの厄介者にすぎません。 とはいえ、彼の容姿は美しく、楼主としては彼を手放すわけにもいきませんでした。 そして、楼主から下されたものは、無理矢理水揚げをしてしまおうという、春菊にとって、もっとも残酷なものでございました。 これは、そんな過酷な運命の下に生まれた、病弱な娼妓のお話でございます。