◆ 「何を言っているんです!? 彼にはまだ無理です!! 無茶をさせればまた倒れますよ!?」 「俺は楼主(ろうしゅ)。つまりはこの遊郭のオーナーだ。いくら医者といえども、お前に指図を受けるいわれはない」 ――楼主の部屋の前。 言い争う二人の内一人はもちろん雇い主で、説得しているのは春菊を診てくれている、医師の匡也である。 二人に御茶を汲みにやって来た春菊は麩(ふすま)を開けようか開けまいかと迷っていた。 「アレをどうしようが俺に主導権がある!」 「しかし!!」 「そこまで言うなら、お前がアレを身請けするか? 今までお前に渡した診察料と身請け代を上乗せして支払ってくれるか? できもしないのに軽口を叩くな、部外者風情が!!」 いつもなら、それで終わる言い合い。だから春菊は、「失礼します」と一言添えて麩を開けた。 そこに居たのは、煙管(きせる)をふかしている恰幅のいい中年男性と、長身で肩幅が広いすらりとした粋(いき)な青年だった。 その青年こそが春菊を診てくれている医者で、実は彼の想い人でもある。 涼やかな双眸(そうぼう)と高い鼻梁(びりょう)、そして肩までかかっている黒髪が白の衣服と調和している。 年は三十前後で、年上の彼に思うのもなんだが、微笑めば口角の下にある笑窪(えくぼ)が現れる。 普段、とても真面目な彼はとても凛々しいが、時折見せてくれる微笑みは、とても愛らしい。 その表情の違いと、そして色事を生業にしている春菊を自分と同じように扱ってくれる彼に、気がつけば心を奪われていた。 だが、所詮(しょせん)自分は春を売る者で、目の前の彼は医師。 娼妓の自分とでは身分が違いすぎる。 春菊は小さく首を振り、恋心を追い出すと、二人の会話を何も聞かなかったように文机に汲んできた御茶をそれぞれの前に置いた。 その時だ。ふいに匡也と目が合い、揺るぎない意思を持った漆黒の瞳に射抜かれた。 「ええ、そうしましょう」 「……は?」 頷き、静かに告げた匡也の前に座っていた楼主は目を瞬かせ、口をあんぐりと開けている。 春菊も匡也の言った意味が分からず、時が止まってしまったかのように動かない。 「春菊を身請けします、これで文句はありませんね。金子(きんす)は明日、春菊を迎えに来た時にお渡しします!」 告げると、匡也は春菊の華奢な肩に手を乗せ、彼が大好きな微笑みを見せた。 「いいね? 春菊」 匡也の言葉に春菊は何も考える間もなく、柔らかな笑みを向けてくる匡也に見惚れ、ただコクンと首を上下に動かす。 「それでは明日迎えに来ます」 匡也を見送るため、大門の前までやって来た彼にそう言われて、再びコクンと頷くのだった。 夕日が広い背中を照らし、とても神々しい。 その姿に見惚(みと)れ、何時までも立ち続けていた。