◆ その人の名前は雅。 四歳年上の大学生。 漆黒の髪に、一重の鋭い目。 涼やかな相貌をした、オレよりも頭一つ分高い背。 見た目怖そうなんだけど、大きな手や長い指は、オレの頭を優しく撫でてくれることを、オレは知っている……。 小さい頃、よく泣いていたオレを、彼はそうやってなぐさめてくれていたんだ。 ――オレが泣き虫だった理由。 『サクラ』というそれはオレの名前。 今はもう皆、名前について馬鹿にすることはないし、オレもそれだけのことで泣いたりはしないけれど、幼稚園時代なんかは、女みたいな名前だって、よくからかわれた。 それで、自分の名前が大嫌いで泣いていたのを覚えてる。 泣きじゃくるオレを見た雅さんは、『サクラ』をいい名前だと言ってくれた。 寒い冬を超えた後に咲く桜は、春を知らせてくれる陽だまりのような花だと――。 オレに似合っているとそう言って、よくなぐさめてくれていたっけ……。 だから、女みたいな名前でもほんの少しだけ、誇らしく思えた。 そんなオレの容姿は、可愛らしい名前と少しも合ってない。 黒い髪は、雅さんほど艷やかじゃないし、目はタレ目。 桜の花のように優雅でも華やかでもない。 いわゆるどこにでもある顔だった。 オレを慰めてくれる優しい手や仕草からだと思う。 気がつけば、雅さんに恋心を抱いていた。 ずっと小さい頃から積み重ねてきたものだから、その気持ちには、なかなか気づかなかった。 彼への恋心を知ったのは、実は最近だったりする。 きっかけは、親父の転勤から持ち出された引越し。 引越し先は、ここから車で三時間。この都会から少し離れた場所だ。 両親から引っ越しを告げられた時、イヤでイヤで、どうしようもなかった。それで真っ先に思い浮かんだのが、隣に住む雅さんの顔だった。 どうしてなのかと、自問自答を繰り返して、気がついた恋心。だけど、この恋心は言えない。 だって、オレと雅さんは同性で、しかも、相手は彼女持ち。 ――それは偶然だった。 昼下がりの街中。友達とゲームセンターに向かう道すがら、女の人と一緒に歩いている姿を見かけたことがある。 オレの頭を撫でる時の優しい微笑みを、その女性にも向けていた。 オレよりも背の低い女性は、ショートカットで活発そうな人。 長い腕に細い腕を絡ませて歩いていれば、誰だってひと目見れば恋人同士だとわかる。 だからこの恋は絶望的。 そう思って諦めようとすればするほど、恋心は日に日に大きく膨らんでいく。だったら……。 少し、勇気を出してみようと決意した。 少女趣味だけれど、自分にまじないをかけてみる。 もし、今年、滅多に降らないこの街で、初雪が降ったその時、雅さんと会えたなら、彼に告白しよう。 そして雅さんはオレを振るだろう。 告白しても、無駄なことは知っている。 それでも、膨らみ続ける恋心を、抑えることはできない。 このまま告白もせず、次の街に行ったとしても、苦しむのはわかっている。 どうせ、この街にいるのもあと数ヶ月――。 桜が舞うよりも少し早い季節。中学を卒業したと同時にこの街とはおさらばするんだ。 だったら、いつの間にか芽生えていたこの恋心を告げても、問題ないだろう。 きっと、雅さんも、近所に住んでいたオレのことなんか、すぐに忘れるだろうし……。 そう考えると悲しいけれど、でも、彼への想いを吹っ切る方法はそれが一番いいと思うから……。