足りてない痛み

起きたら隣には誰もいなかった。当然か、とっくに夕方になってるもん。
夕焼けが眩しくて目をつむる。ぐちゃぐちゃになったベッドのうえで、思い返すのはもちろん退くんのこと。

あんなに乱暴にされたのは初めてだった。
こうなったのも僕が退くん以外の人と関わったからだ。だから退くんは僕だけを見てくれない。あの人のことを忘れてくれない。
少しずつ痛み出したお腹だって、現実を突きつけられたみたい。
いつもなら僕が先に落ちた時は、中に出したのでお腹が痛くなっちゃったら嫌だからって片付けてくれてたのにな。今まで甘えててごめんね。

悲鳴を上げる体に鞭を打って、ベッドから降りた途端、どろりと漏れ出した精液に力が抜けてその場に座り込んだ。
身体の中から出ていったもの、それは僕が唯一愛してもらえた証拠だと思ったら、この痛みすら捨てられないと思ってしまった。
これだけは僕のものなのに。痛ければ痛いほど愛してるって、愛されてるって感じられるのかな。
どろどろとした自分の体を抱きしめながら、自己暗示のように「大丈夫」と繰り返し呟きながら俯く。
身体につけられた無数の真っ赤な痕、それだけは肯定してくれるようだった。
身体だけはまだ繋がっていられるから大丈夫だよって。
だからいつされてもいいように綺麗にしなきゃ。使えないって思われたらそれこそだめだもんね。

なんとか気持ちの整理をつけて、お風呂へ向かおうとすると、床に何かが落ちていることに気づいた。
夕焼けの色が映えて眩しく光るそれは、合鍵だった。




それから、僕は外に出れなくなった。

床に落ちた鍵を見つけたとき、頭がまっしろになった。
もしかしたらうっかり落としちゃったのかもしれない。そう思えたのは3日目までだった。
わざと落としたという選択肢が顔を出し始めた頃、それを見つめることがあまりにも怖くて、玄関で1日を過ごすことが増えてきた。
日を追う事に玄関にいる時間が長くなって、タオルケットと退くんの写真1枚を握って、ずっと座ったまま彼のことで頭をいっぱいにする。
だって僕のなかでだけは笑ってくれているから。


その不安定な幸せでごまかしていたのは1週間経った頃まで。
それでもここに来ないということは、やっぱり僕のことが嫌いになってしまったのかもしれない。

外に出てみればどうしてるかなんて、すぐわかることなのにどうしてもできなかった。
外に出て退くんと会えたとして、またあの冷たい目線を向けられたら?今度こそ立ち直れなくなる。
もし仮に、少し長いお仕事だとしても、それを知るためだけに他の人と関われば浮気になってしまう。もう疑われるようなことはしたくない。
どちらにせよ僕は膝を抱えて、ここで待つことしかできないんだ。

「合鍵と一緒に、僕も捨てられちゃったのかな」

思わず口にしてしまった言葉が、自分自身でとどめを刺すようだった。
あの日ちゃんと気持ち良いって顔して退くんが喜んでくれるようにしなきゃいけなかったのに、僕がやめてって何度も言ったから嫌になっちゃったんだ。
身体だけはまだ、繋がってもらえるって思ってたのに。

どんなに待っても開かない扉は重くて、まっくろな色で僕を包み込んだ。


***


「おい、今すぐ帰ってこい。3秒で帰ってこい」

その言葉を聞かされたのは、なまえくんを散々虐めた後だった。
急に鳴った携帯に慌てて出れば、今度は俺が鬼に虐められる状況となって苦笑い。

隣には虫の息となっているなまえくんがいる。
何度も噛み付いて身体にうっすら血が滲む。それをやりすぎたと後悔するのは遅すぎる、でもそれだけの事をしたんだとこの行為を正当化する自分もいた。
いっそこのまま閉じ込めてしまいたい。こんなこと考えるなんて、らしくないよな。

冷静になろう、今はまだ頭に血が上っているんだ。
このタイミングで仕事に呼ばれるということは、きっと距離をおけと言うお告げだ。そうだ、それがいい。
勝手に一人で納得して、急いで仕事に向かった。



とはいえ精根尽き果てて、特有のだるさを持ったまま。
こんな時に限って双眼鏡で向かいの監視とか皮肉かよと悪態をつきながら、大量のあんぱんと牛乳のせいでさらにダメージを喰らう。
なんてついてないんだ。今日は結野アナの占いが最下位だったんだろうか。ひとつため息をつけば、隣の副長にどつかれた。

「すいません。ちゃんと切り替えます」
「お前がそんな風になんの珍しいな」
「あー…実はなまえくんに浮気されてたみたいで。流石に堪えましたよ」

ははっと乾いた笑いを死んだ目ですれば、副長はばつが悪そうに「まぁ元気出せよ」と言う。
あんたが隣でマヨネーズ啜ってなきゃ、もう少し元気出るような気もしますけどね。

俺もまさか、浮気されるとは思ってなかった。
マジで絶対ウルトラスーパー命をかけてもいいくらいこれだけは無いと思ってたのに。
よりによって沖田隊長とだなんて、そんなの勝ち目がなさすぎて破滅への輪舞曲まっしぐら。スマッシュ決められまくって心はボッコボコに吹っ飛んでる。
しかもいつの間にか合鍵もなくなってた。もしかしたらもうだめなのかもなぁ。

「……一本、吸うか?」
「お気遣いありがとうございま……って普通ここは煙草渡すだろ!なんでマヨネーズ渡したァ!」
「こっちの方が元気出るだろうが!いいから遠慮せず吸えェエエ!」

無理やり押し付けられたマヨネーズに殺されそうになりながらも、副長なりの優しさはありがたい。でもやっぱりマヨネーズがなきゃ、俺はもう少し元気だと思うんですけどね。

あーあ、今頃なにしてんだろな。

 
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はじめ