嘘でも夢でも


終兄さんのところを飛び出てまっさきに自分の部屋に戻った。
情けなさや恥ずかしさからずるずるとその場に座り込むと、色の変わった着流しが目に入り先程までのことを思い出してしまう。
あの息遣いだって耳に残って離れない。なんでこんなことになっちゃったんだろう。ただ兄さんを元気づけたかっただけなのにあんな…。
僕の頭のなかは後悔と混乱ばかりがしめていき涙があふれてた同時に「なまえくん」とふすま越しに名前を呼ばれて我に返る。
廊下を走る様子を誰かに見られていたなんてまったく気づいていなかった。
返事もできずに口を閉ざしていると問いかける声が聞こえてくる。

「廊下走ってるの見えたけどなにかあった?心配だから入るね」
「ま、待って…今あけちゃだめ…っ!」
「えっごめん、開けちゃった…、ってその恰好どうしたの」

返事をする前にふすまを開けてしまったのは山崎さんだった。
はだけたままの着流しじゃうまい言い訳が見つからなくって、目を泳がせる僕の前に座られてしまう。
そのまま目元に手をそえられてしまい、顔すらそむけることができない。

「泣いてるじゃないか。なにかあった?」
「こ、れは…っ」
「ここ汚れてるし、太ももにもつい、て…」

この沈黙は何があったかわかってしまった証拠だろう。
ますます言い訳ができなくなってしまった僕は下をむいて、着流しをぎゅうっとにぎりながら前を隠す。
ここまで見られてしまったら今更遅いけど。

「ごめん、無神経だった。こんなこと言いにくいよな」
「変な姿見せて、すみません」
「とりあえず体きれいにしよう。こんな時間だし風呂よりタオルで拭いた方がいいか、俺すぐ持ってくるよ」

驚くくらいてきぱきとした様子で、すぐに部屋から出ていってしまった。
恥ずかしくってうまく答えられずにいる僕に優しくしてくれるのは有難いけれど、同時に恥ずかしくってしょうがない気持ちも大きい。
すぐに戻ってきた山崎さんに、寒くないよう新しい着流しを肩にかけてもらい、やさしい手つきで体を拭われていく。
さすがにそこまでさせるつもりはなかったから困ってしまって、自分でできると言ってもタオルを渡してくれなかった。
少し気まずい空気のなか、先に口を開いたのは山崎さんだった。

「誰かに無理やり、されたんだよね…痛いとこない?救急箱も持ってきたけど」
「えっ、いや…そこまではされてない、です」
「そうなの?!俺てっきり…ごめん。体とか痛いんじゃないかと思ってたんだけど余計だった」
「いえ、恥ずかしいところ見せちゃいましたけど、助かりました」
「そういってもらえるとこっちも助かるよ」

もう退散するね、と立ち上がる山崎さんの裾をつかんだ。
反射的だったようにも思う。このまま有難うを伝えてこの件は忘れて終わり、普通ならそれが一番良かったはず。

「…もうちょっとだけ、ここにいてほしいです」
「えっ、俺はかまわないけど…いいの?」
「このまま、僕の話きいてもらえませんか」

山崎さんはすこし考えたあと、また僕の前に座って目線を合わせてくれる。
あんなことを言ってしまったものの、話し出すのを躊躇ってしまって、自分からきいてほしいとお願いしているのに情けなくなる。
三角の形に座り直して足を抱いたまま、どう切り出そうか悩んでじっと山崎さんを見つめると、困ったように笑いながら頭を撫でられる。

「無理して話さなくてもいいんだよ」
「無理なんて、してないです…僕が山崎さんにきいてほしいんです」
「そう?ならいいけど。そういえばさっきまで部屋にいなかったよね。どこか行ってたの」
「えっと、終兄さんのところです。柱さんの件があったから元気づけたいねって総悟くんと話してて」
「もしかしてそれで性的に元気づけてきた、とか?」
「ち、ちがいます!これは僕がいたずらしたから多分怒らせちゃったみたいで」
「あの人にそこまでされるなんて何したの」
「寝てるすきにくすぐったりしたら、流石に兄さんの声きけるかと思ったんですけど…だめでした」
「あー…たしかに声聞いた事ないもんね。それはやりたくなっちゃうかも」
「でもだからってこれはひどくないですか!僕こういうの経験なかったのに初めてが兄さんって」
「へぇ、なまえくん初めてだったんだ…そう…童貞なのになぁ、ふぅん」
「ちょっと触られただけですってば!いじわる言わないでください」

茶化しながら話してくれる山崎さんに、僕はいつの間にかすらすらと言葉に出していた。
どうやって話したらいいか悩んでいたけれどさすが年上なだけあるなぁ。
もちろん結局気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちもあるけど、ひとつひとつ聞いてもらって納得するたびに安心感が増していく。

「でもやっぱり複雑、というかどうしてって気持ちが強くって」
「ちょっといじわるしてみたくなったんじゃない?俺みたいにさ」
「えぇ、そんな…でも、そっか…いじわるか」
「いやそこは否定するとこでしょ」
「えへへ、んー…なんだか山崎さんに話したら安心してねむくなっちゃいました」
「それならよかった。俺も安心したよ、もう遅いし休もっか」
「あ、布団…終兄さんのとこに置きっぱだ、どうしよう…」
「じゃあさ、俺のとこで寝なよ」
「でも山崎さんに迷惑かけちゃいますし、最悪布団なしでも…」
「そんなの風邪ひいちゃうだろ。ここまできたら最後まで面倒見てやるから今日は俺んとこおいで」

そこまで言ってもらえるなら、甘えさせてもらってもいいのかな。
たしかにここまできたら今更なところはあるかもしれないし、疲れた体に布団を使わせてもらえるならとても助かるというのが本音だった。

「一緒の布団になっちゃうけど、手出さないから安心してね」

先ほどのことを思い出してちょっとだけ怖くなってしまった僕を見透かすような冗談に、笑いながら手を引かれて山崎さんの部屋に入ると、もうお布団が敷かれていた。
もしかして僕が廊下を走ったから起こしちゃったのかな。本当今日は迷惑しかかけてないや。

「こーら、何考えてんの。たまたま起きてただけで迷惑じゃないから」
「なんでわかったんですか」
「そんな顔してたらわかるよ。ほら、もう今日は休もう」

おんなじお布団にはいって、ふたりだからすぐになかはぬくぬくとあたたまって眠くなってしまった。
さすがにもう夜も遅いし、あんなことがあったあとだ。
体はけだるくってお酒も飲んでいるわけだし、それは眠くなる要素なんて十分あるにきまってる。
うとうとしていると背中に回された手がまるで子供を寝かしつけるようにぽんぽんと心地よいリズムでたたいてくれる。
こんな時まで僕のことなんていいのに、山崎さんってほんとやさしいなぁ。
その手のきもちよさを感じながら、ねむりについたのだった。

 

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はじめ