前書

 「彼岸花」は能楽師であったという鬼の物語を、竈門元隊士より承り、能の演目として書き下ろしたものである。この度、その大部分を口語訳し、演技指示等は最小限に抑え、また新たに書き加えることで、読書家諸氏に戯曲として楽しんでいただけるよう編纂した。
 竈門氏には初演時はもとより、この度も多大なるご尽力をいただいたこと、深く感謝申し上げる。本作の再編にあたり、氏の記録を提供していただいだき、新たな戯曲へと生まれ変わらせることができた。
 この物語の多くは氏が実際に見聞きしたものである。能の形式に合わせて多少の脚色は避けられないものの、影月や鬼舞辻のやりとりに関しては凡そ氏の体験に則している。奇妙なこともあるものだが、この作品によって歴史の闇に隠れていたものが弔われることを祈るばかりである。

昭和X年十月某日、浅草能楽堂にて 著者(能楽師)



分類:三番物
場面:関東、清流の名所
季節:彼岸花が満開の頃、秋
小書:観月供養

登場人物
 シテ:女、夜畢
 シテツレ:男、無惨
 ワキ:旅人、炭治郎
 アイ:老僧



元鬼殺隊士、名を竈門炭治郎というものが、東北巡りを終えて東京へ戻る。
その途中、彼岸花の群生を見つける。


旅人  私は、東京より来た旅人でございます。竈門炭治郎と申します。鬼が消えたこの国で、弔われずにいるものたちに花をたむけ、祈って回っているのです。元来、私は刀を持って鬼の首を取り、人々を助ける鬼殺隊士でありましたが、それも何年と前のこと。鬼の頭を討ち倒した私は、今やこうしてお坊さんのように諸国を巡っております。

北の国々を訪れた後、一度は妻が待つ東京へと戻ろうと急いで参りましたところ、近くにお寺があるとの話を聞きました。もう東京はすぐ近くですが、あまりに急いできてしまい、しばらく床でゆっくりと眠れていないので、今晩はそこを宿にして休ませてもらおうと思います。

そうして歩いて参りますと、良い香りにつられて清らかなる川のほとりにつきました。この清流のあたりには、彼岸花がちょうど満開になっています。せっかくですので少し腰を休めて、眺めていきましょう。

本当に見事な彼岸花だなあ。春から始めた旅もいつの間にか夏を過ぎ、美しい夕暮れのように燃える赤い花々が見られる良い時期になった。曼珠沙華という別の名があったかな。その名前が示す通り、見るひとの心を穏やかにするようだ……

日傘をさした若い女が道を通りかかり、川辺で座っていた旅人に声をかける。
炭治郎は、人の気配がしなかったので驚いて振り返る。

女   あらあら、そこのお方、小川の近くで休んでいてはお体が冷えますよ。

旅人  わあ、びっくりした。ご心配ありがとうございます。
丈夫な体なので、これくらいのことで冷えたりしませんよ。今はお日様もここを照らしていることですし、まだあたたかいです。

女   そうでしたか。お元気なのね。私は日に当たれない病気のために、こうして日傘をさしていなければならないのですが、この美しい彼岸花を観るために、つい毎日のように通ってしまうのです。

旅人  あなたも花を見にいらしたのですね。そのように大変なご病気なのに、足繁く通っていらっしゃるとは、何か特別な理由でもあるのですか。

女   ええ。さみしい女ひとりですので、同情すると思って少し話を聞いてくれますか。

旅人  通りすがりの旅人でよろしければ。さあ、どうぞ語ってお聞かせください。

女   昔がたりを許してくださいね。
あの日はちょうどこのように彼岸花が満開の時期でした。親に見捨てられた私を、たいそう見目麗しいお方が拾ってくださって、大事に育ててくださいました。まるで紫式部が描いた、光源氏がその方で、その寵愛を受けた紫の上が私のようでありました。

彼は私を何より大切にしてくださいました。私は様々なことを学び、舞台に立つことで身を立てるようになりました。その後に私は自分で屋敷を持って、それもまた彼と出会った時と同じような時期でしたので、曼珠沙華が満ちる庭を拵えたのです。

この花は、光のようなお方と私との大切な物でありますので、宵にはともに屋敷の縁側へ並んで月花を観ながら過ごしたものです。

旅人  なるほど、物語のような素敵な方と出会ったのですね。光る君との出会いの花ゆえに想いが深いということでしょうか。

女   いいえ、それだけではございません。私が彼岸花を庭に植えていたのは、稀に咲くという白い花弁と、より珍しいという、青い花弁を手に入れるためでもありました。それが、兼ねてより私たちの望みだったのです。

旅人  青い花弁の彼岸花といえば、珍しい病気の薬に使われるという物ですよね。

女   左様にございます。私も彼も、同じ病を患っておりまして、そのために青い彼岸花が使われる薬が必要だったのです。しかし、その青い花弁を手に入れようという、ほんの少し前に、彼と私は離れ離れになってしまったのです。

旅人  光る君はどこか遠くへ行かれたのですか。

女   はい。旅立ったのは確かです。
あなや、その先この世にあらず。光る君は命無く、我は手に花、置き去られ。

旅人  もしや、あなたが語っている

女   光る君とは

旅人  辻斬りのように現れ、人を喰う

女   鬼の主上が無惨なり

<中の舞>

無惨様は私を夜畢と名付けて、影月と、上限下限の鬼たちよりも遥に上の位に据えました。気を操って愛し君、主上を護っておりました。一つと気配がなき私はどんなものにでもなる。異なる人の気を纏い、匂い消しては音を消し、居ることすらも知られぬ、空を掴むが如き鬼。十年、百年、幾星霜、ただ我を知るは十二の鬼と主上のみ。

彼は私を花めける役者と幼きころより認めてくださり、そのように成った私は深いご寵愛を賜ったのです。一夜で枯れる可憐な花や、破れ車のあおい草花を恨むもの、長寿の松も、清姫に牛若、神鬼男女、物の怪、精霊、全て舞い、演じてみせました。

花札のような耳飾りの少年に、我が光が朽ちてしまっても、私は舞をやめず、咲いた青の花守として諸国を巡っておりました。次第におまえへの恨みも、我が君亡くした寂しさに変わり、暁に落としたかたみと、愛し君のあてなる姿を探して彷徨ってきた。
ああ、どれだけの時を私ひとりにされるというのだろうか。

そう語り終えると、女は日傘を落として、夕暮れの中へ姿をくらました。




 炭治郎が寺のものにこの話をすると、それは何年も前にここを訪れて死んだとある鬼の霊だろうと答えた。その鬼はこの辺りの誰一人襲わずに、花を見ながら朝日に焼かれたそうだ。鬼の名前は影月夜畢といい、これまで鬼殺隊にも全く知られていないものであり、炭治郎は大変に驚いた。
 雲が晴れて月がよく見える宵だから、行って弔ってやると良いと言う。寺のものは年寄りで、寺に一人だったので炭治郎について行くことは出来なかった。代わりに、役に立つだろうと赤褐色の数珠と、古い扇を手渡した。


旅人  お寺の方に預かったこの古めかしい扇を、彼岸花が咲く清流のほとりに供え、私は木陰に隠れて数珠をもって祈っておりましょう。もし何かあると危ないので、こうして小刀も懐にひとまず忍ばせております。しかし話を聞く限り、死んでいるということですから、私を襲うなどという危険は無いと思うのですが。

おや、来たようです。今は何やら袴を穿いて、男のような出で立ちだ。やはり不思議なことだ。幽霊だからだろうか、匂いもなければ気配もない。

夜畢  ああ、なんと綺麗な月夜だこと。赤い花弁に囲まれてあの方の瞳のように、血のように、私を燃やす。愛し方がいらっしゃれば私が舞って楽しませて差し上げたのに。彼はどこへ行ったのか知らん。

そこに見えるのは私の古き扇ではないか。どうしてこんな所に置かれているのだろう。懐かしい。どこで落としたのかとずっと探していたのだ。青の曼珠沙華が大きく咲いたこの扇。裏には輝く金の細き線で縁取った月。私に彼がくれた初めての贈り物だったな。これでひとつ、舞ってみよう。どこかであの人がご覧になっているかもしれぬ。

〈破の舞〉

己が胸に、さしてまつのは今なほ青き、前栽のうちに咲ける曼珠沙華。
我が宵の光る君を思ひては、むげんにいてこし彼岸に此岸。

天上のものと見紛うほどの謡と舞に引き寄せられるかのように、夜畢がいる沢の向こう岸に、男の影がぼうっと浮かび上がる。男は夜畢に声をかけた。

男   其方が舞、ように見せてはくれまいか。

夜畢  愛しき我が君の、お声に似ていらっしゃるお方だこと。どうぞご覧になってくださいませ。

男   いみじう清げなる足の運び、いとやさしう謡ふ姿やな。
我が目にこそうつくしき人のつゆ違うことなけれ。

夜畢  なんてこと。そちらにいらっしゃいますのは、私の

男   名を与えた主上であるよ。

夜畢  ああ、あなた。お名前を、貴きあなたのお名前を、そのお口からお聞かせてくださいませ。そうして私を、お呼びになってくださいませ。

男   我が名は無惨。夜畢や、お前を探していた。

夜畢  私もお探し申しておりました。

無惨  そちらへゆこう。お前の声に呼ばれたのだ。

夜畢が川縁に膝をつき腕を伸ばしているところへ、無惨はふわりと宙を流れるように川を飛び越える。二人は抱きしめあって再会をよろこぶ。

夜畢  嬉しゅうございます。無惨さま、痛いところはございませんか。私の舞をもっとご覧になりませんか。

無惨  夜畢、私の宝よ。私が暗闇の孤独な罰の旅路の中で惑う間も、お前は辛抱強く待っていたのだな。それなのにひとつも変わらないのは不思議だ。

夜畢  あなたがお亡くなりになったことを知ってもなお、あなたと思ってこの花を大事に守っておりましたから。そしてあなたの腕でこうしてまた

無惨  お前の姿をこうしてまた

共に  想いあうことのよろこびよ

<序の舞>

夜畢は無惨を楽しませようと非常にゆったりとした舞をやって見せ、懐に差していた青い彼岸花を扇の上に乗せて差し出す。

夜畢  私たちの庭で見つけし青き曼珠沙華

無惨  私たちの庭に咲きける青き曼珠沙華

夜畢  光添えたる蒼天のひがんの花よ

無惨  かたみの扇と重なりて

青い彼岸花は白露をつけると、東雲のように次第に若紫に色を変え、雪の白さの肌の上にこぼれ落ちた。真紅の花々の海の中に、月が沈んで見えなくなると、もう二度とひとりにしないと誓い合って抱きしめる姿は、赤い数珠玉のような太陽の光の中に溶けて消えていった。



【註】 「」内は能の演目、および原典の作品名を示す

可憐な花……「夕顔」「半蔀」

破れ車の 〜……車争いを受けて葵上を殺す六条御息所の生霊「葵上」

清姫……「道成寺」

牛若……「船弁慶」など

おまえ……旅人に向けて

まつのは……待つのは、松の葉。青は松と華にかかる

むげん……夢幻、無限

いみじう 〜 ……たいそう上品に舞う足の運びに、とても美しくうたう姿であることよ。私の目が愛おしい人の姿を見間違えることなどあるはずがない。

光添えたる 〜 ……夕顔が源氏に贈った句「心あてに其れかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花」を受けて

ひがん……彼岸、悲願


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