あの夜とは良い意味で変わってしまった。能舞台は野晒にされず、建物の中に出来たものも幾らかある。お陰で昼にも舞台に立つことが出来る。
 鬼になり力を得たが、不自由なく舞台に立てるだけで己の基礎的な体力の大きな変化はなかった。しかし元来の役者たる性質などが影響し、気配や美目は思うまま自在に変化でき、普通の人間に擬態し、周りの認識をも歪ませることで、何事もなく能舞台に上がれるのだ。
 無闇矢鱈に人は襲わぬという事だけを守れば、私と無惨さまの安寧秩序は保たれる。
 日の上がらぬ間に、浅草の能楽堂へ行く。夜に開かれるとはいえ、事前に準備は山ほどあるのだ。
「夜彦先生、お知り合いの方が先生にお花を下さいましたよ」
 他の役者に挨拶も終えて、楽屋で諸々の確認をしている時にお手伝いの方が来た。祝い花として綺麗に活けられた赤を基調とした花束を手にしている。
「生徒さんかな。お名前は?」
「月彦からだと言えばわかる、と仰いましたけど……あ、白いお帽子を被っていらして、奥様とお嬢さまをお連れでした。先生によくお声が似てらしたのでご兄弟かと」
「ああ、ありがとうございます。彼は従兄ですよ。いつも良くしてくれるんです」
 そうでしたか、と言ってその人は花を私の近くに置くと、部屋を出ていった。
 月彦は観月家の分家の子として育てられ、夜彦は本家の養子として育ってきた。これまでは別の家でいたが、無惨さまの思いつきで勤める本家での生は、おおよそ百年振りと言って良いだろう。
 大抵こうして誰かを連れて、無惨さまは私の舞台を見に来るのだ。今日の公演が終われば、私は「麗」という「月彦」の妻の役をする事となる。この女の家を使い続けるのを危惧したらしく、わからぬように始末してくれとも無惨さまから伝えられている。娘がいるようでその名前はなんと言うのか、短い役とはいえ気になるが、結局その子も母同様に私の栄養となるので何でも良い。
 そろそろ幕が上がる。初めに私が夕顔の仕舞をし、その後に別の役者の仕舞が二つ、狂言をひとつ。それから今回の目玉、葵上である。
 殺された夕顔と殺した六条御息所、相反する役を同じ演者が同日に舞うなど狂っている、と言われようと、私にとっては造作もないことだ。さあ、今日も無惨さまを愉しませよう。

 ☽

 終演後、般若の面を取り、他の能楽師らに挨拶を終えて一息ついているところ、無惨さまが少女の手を引いて上品そうな服をきた女性と共に舞台裏の控室に来た。
「夜彦、今日もとても良かったよ」
「ありがとうございます。月彦兄さん、それに、奥さんとお嬢さんも」
 少女は先程まで鬼だった私に脅えてか、無惨さまの後ろに隠れてしまう。
「おやおや」
「すみません、この子恥ずかしがり屋で。葵上、とても面白かったですわ。扇もとても綺麗で」
 女が私ににこやかに言うので、鏡台に置いていた扇を手に取る。そうすると無惨さまは少女を抱き上げて苦笑を浮かべた。
「この子が少し退屈なようだから外へ連れて行ってきます。貴女は夜彦に見せてもらいなさい」
 そう言って少女を連れて彼は出ていった。
 私は女に向き直る。なるほど容姿は悪くない。何処ぞの令嬢だろうと服装や化粧から判断する。無惨さま、いや月彦に似た相貌と声の私に対して少々頬を赤らめている。
「どうぞ、じっくりご覧下さい。扇も演目に合わせて変えているんです」
 私は近づいて女に囁くように言う。手元で開いた扇を傾けて光を反射するように角度を変え動かした。
「そうなんですの? この朱が美しいですわ。白の牡丹も地の色に映えて……」
 女が私の手元を覗き見る。顕になった首元へそうと己の手を伸ばす。袖に隠し持った扇を血気術で短刀に変え、静かに突き刺す。
「麗しいでしょう。愛する人を取られる憎しみの炎に沸く血のようで。ちょうど、貴女のこの肌を巡るような……尤も、貴女には聞こえてないでしょうが」
 つまらないその辺にいる女だ。
「彼の隣にいて鼻高くしているもんじゃない。馬鹿なひとだ」
 声を出させないように、少し血を得るなど容易い。付いてしまった鬼の気配も全て術で消し、後はその辺の川辺にでも放っておこうか。死因はそう、突然の眩暈により転倒し運悪く頭を強打。
 血鬼術、朱月序。
 握った手を掲げるように女の前へだし、不自然な血の匂いも、私の殺意も全て浅草の喧騒の中に紛れさせてしまおう。

 ☽

 賑やかな夜の浅草に出てしまえば、「夜彦先生」の姿がなくとも問題ない。
「おとうさん、鬼こわかった」
「そうだね。でも上手だから怖く見えるんだよ」
 建物の入り口で待っていた無惨さまの元へ駆け寄る。
「月彦さん、遅くなりました」
「おかあさん!」
 少女は顔を明るくさせて私を見た。母の真似をされているとも知らずに無邪気なものだ。子供連れの役など久々だ。
「麗さん。行きましょうか」
「ええ」
 傍から見れば仲睦まじい三人の家族。大通りに出て、歩いていく。
「お店に入りたいですけど、この人じゃあどこも混雑していそうですわね」
「そうですね……」
 無惨さまの相槌を聴いたかと思えば、声が遠ざかる。人に押されてしまい少し彼と離れてしまったのか、と思い後ろを振り返れば少年が彼の名前を呼ぶではないか。
「鬼舞辻無惨……!」
 何故彼の名を呼ぶのか、と少年を見れば帯刀していた。鬼殺隊士だと判断するやいなや、無惨さまの気配を十分消すことが出来ていなかったのだと気づく。急いで駆け寄り彼に術を重ねようとしたが、やんわりと制止された。少年は無惨さまが抱いている少女に気が付き驚いているようだった。恐らくはなぜ人間と居るのか、と言ったところだろうか。
「月彦さん? どうなさったの」
「さあ……」
 近づいて少年を見て気づいた、額の痣、花札のような耳飾り。あの男を彷彿とさせる。危険を感じたが、少年は私を人間だと思い込んでいるようだ。無惨さまは近くを通った男に傷をつけて鬼にした。私たちに向けられた周囲の視線をそちらへと向ける。男は一緒にいた女に牙を立てている。私は怯えたような風で無惨さまの腕に縋る。
「麗さん、ここは危険です。行きましょう」
 少年は私たちが立ち去るのに気が付いたようで、「待て!」とかなんだとか言っている。
「あの子、お知り合い?」
「いいえ。人違いじゃないでしょうか……」
 鬼殺隊の少年から離れながら、次第に彼にかける私の術を強める。叫び声などが聞こえなくなったあたり、車が停っている通りへ入る。
「大丈夫かしら、何だか怖いわ」
 無惨さまは私を見て、今は何もしなくていいと語りかける。
「物騒になりましたね」
 黒い車の前まで来ると、彼は抱いていた少女を私に譲る。
「私は少し仕事がありますので、先に帰っていてください」
「え! おとうさんあそんでくれないの」
「お父さんは働いてきてくれるのよ、お母さんとおうちで待っていましょうね。あなた、気をつけてくださいね」
「ええ。じゃあ、行ってください」
 運転手にそう告げると彼の姿は遠ざかる。去り際に小さな声で、「しばらくは宮で」と囁かれた。
 少女が窓の外を見ている。父君と離れ難いというような仕草だが、お前の本当の父ではないよ、と心中で可笑しくて笑う。
「ほら、お家に帰るまで少しお休みなさい。顔を出していたら、悪い人に可愛いお手手を持っていかれるわよ」
「こわいひとやだ! ……おかあさん」
「どうしたの?」
「おとうさん、はやくかえってくる?」
「ええ、お利口さんにしていたらすぐ帰ってきてくれるわ。だからね? 目を閉じているのよ。お家に着いたら起こしてあげるから」
「うん……」
 少女にかけられた無惨さまの術に、自分の術を絡めていく。永遠の深い眠りに落ちていく少女を膝に抱いて、私は彼の無事を祈った。

 ☽

 月花宮はいつでも静かであり、私と同じように、何一つ匂いを持たない。外に漏れ出ぬように香を立てて、ただ一人、常時彼岸花の茂る庭を見ながら、無惨さまが帰るのを待つ。
 濃厚な血の匂いがふわりと外の香りに交じって漂ってきた。
「これは」
 すぐさま立ち上がり庭を駆けて門までゆく。
「なんだ、出迎えに来てくれたのか?」
 門戸を閉めて私を抱きしめる腕は何も傷ついておらず、何も先程と変わらない様子だった。
「よかった……」
「私は何も変わらん。杞憂に頭を使うな」
「ええ、ええ……そうでございますとも」
 私の様子に薄く微笑むと、無惨さまは庭へと足を向ける。
「お前の屋敷はいつも綺麗だ。私たちの青い彼岸花がいつか咲くだろうか……」
 無惨さまは縁側からあがり私を手招く。そろりと私も彼と同じように腰を下ろす。
「もっと近くへ来んか」
 言われるがままに我が君のお傍へと近づけば、するりと組み敷かれ、畳の上へ寝転ぶ。
「……無惨さま。ご無理は決してなさいませんよう」
「努めよう」
「夜畢が願っているのですからね」
 きょとんとして丸くした目を私に返すと、幾分か機嫌良さげにからからと笑う。
「そうだな。夜畢がいうのだから、聞かぬわけにはいくまい」
「ご覧になりましたでしょう、あの少年」
 大真面目で私が続けるので、無惨さまも調子を変えた。
「お前も見えていたか。あの耳飾りが」
 それに頷いて答えると私を抱き起こして、互いの額を突き合わせるように座す。私以外に誰にも聞こえないというのに無惨さまは声を落とした。
「良いか、お前は警護を固めるのだ。無限城は月花宮より脆弱だ。ここを守ることが、私とお前自身を守ることになる」
「畏って候」
「あれは危険だ。感じているだろうが、あれが連れている小娘の鬼も厄介だ。十二鬼月どもは駒として動かそう。妙な動きをしているものがあればお前から喝を入れておいてくれるか? 私は他にもすることがあるから」
「勿論にございます。研究の支えをしっかりとさせていただきます故。ただ……」
「ただ?」
 眉間に少し力が入って見えた。私は愛しいお方を宥めるために、人の血で汚れたであろう手を清めるように撫でた。
「宮は影だけでは成りません。我が光がいらっしゃらなければ、寂しくって花も枯れてしまいましょう」
「私のうつくしい夜畢……。お前の望むままにしよう」
 花を愛でるような瞳が向けられて、心が通う。
「それに、言っただろう? しばらくはここに身を寄せると」
 無惨さまは子供に言い聞かせるように、揶揄うような笑みを浮かべて私の頬をつまんだ。


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