君はいつか僕の心を焼き尽くす

title by spiritus



「……あー」

 雨が降っている。黄瀬の身体にも漏れなく降りかかってくる。
 けれど今の黄瀬にとってそんなことは気にならない。
 何も考えないようにしながら街を歩く。

(この雨で、全部流してしまいたい)

 こんなに降っているのに傘も差さない黄瀬は変に見えるのだろう、向かいから歩いてくる人たちはみんな避けていく。
 でも黄瀬はそれも気にならなかった。

(全部……、忘れちゃえばいいのに)

 そう思いながらふっと顔を上げると、花屋が目に入った。
 駅前の、花屋。こんな所にあっただろうか?
 特に何か考えていたわけではなかったが、足の赴くまま、ふらりとそこに立ち寄った。

「いらっしゃいませ……って、すごい濡れてる!」

 店員が近づいてきたが、黄瀬のあまりの濡れように慌てて店の奥へ入っていく。
 少しするとタオルを手に戻ってきた。

「お客さん、大丈夫ですか? よかったらこれ」
「いや、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょう」

 もしかして傘ないんですか? と問われ、黄瀬は何も言わずにただ首を縦に振る。

「そっか、」

 店員は男だった。花屋に男の店員が居るのは珍しい気がした。
 彼はとりあえず黄瀬の頭にタオルを載せる。

「遠慮しないで拭いてください」
「でも、」
「それ新品のタオルだから安心してほしいんですけど、普段だったら、花を拭いたりするのに使ってるタオルですから」

 白い綺麗なタオルだ。これ以上その優しさを跳ね除ける元気は今の黄瀬にはない。
 ありがたく思いくしゃくしゃと髪の毛を拭く。
 その間に彼は再び店の奥に戻り、先程より長く引っ込んだ後、戻ってきた。

「これ、よかったら使ってください」
「え、でもそんな、」
「こんな雨の日に傘もなく歩いてる方が心配ですから」
「!」

 黄瀬は漸く彼の顔を捉えた、優しく微笑んでいるその表情に、心臓がどきりと鳴った。
 いや、違う、弱っているだけだ。そうだ。
 そう思いながら、彼の差し出す傘に手を伸ばす。

「ありがとうございます。……まだ何も買ってないのに」
「いいです。雨の日はなかなかお客さんも来てくれないから、来てくれるだけで嬉しいんですよ」

 彼の顔は結構幼く見える。勿論自分より年上だが、大学生くらいだろうか。

「もちろん、お花、買っていってくれたらもっと嬉しいですけど」
「……いないんです」
「え?」
「さっき、彼女にフラレて」

 気が付くと黄瀬はそんなことを話し始めていた。
 何を話しているのだろう、そう思ったが、止めることができない。

「そうだったんですね。だから雨の中、傘も差してなかったのか」

 じゃあこのまま帰ったらいいですよ、その傘もあげるから。

「そんな、でも」
「花なんて買う気分じゃないでしょう? 今度、彼女できたら買いに来てください」

 彼はそう笑って送り出してくれる。
 最後に黄瀬は、彼の名札に「澪士」と書いてあることを確認した。







『ごめん、別れよ』

 放課後、一緒に帰り、彼女の家の前まで送り届けた時。
 黄瀬に向かって彼女はそう言った。

『え? 別れるって、何で』
『あのね、本当にごめんなんだけど、黄瀬くんって、私の思ってた人と違ったみたい』
『え、』

 まだ付き合って1ヶ月。クラスメイト同士だったが知らないことも結構多かった。
 向こうからの告白で何となく付き合い始めてみて、それで。

『ごめんね。友達に戻ろうよ』

 そう言って彼女は、家に入っていった。






 数日後、黄瀬は再び、先日の花屋を目指していた。
 先日の彼が居なければ出直すつもりだったが、しかし。

「こんにちは、澪士さん」
「いらっしゃいませ……って」

 この間の、と彼は言う。覚えていてくれたのか、と黄瀬は少し嬉しくなる。

「傘、返しに来ました」
「え、わざわざ、そんないいのに」

 そう言って黄瀬は傘を差し出した。何の変哲もない、そこらのコンビニでいくらでも売っていそうなビニール傘だ。
 まさか返しに来ないだろうと思っていて彼も渡したのだろうということがその反応から分かる。

「わざわざありがとうございます」

 彼は黄瀬から傘を受け取ると一度店の奥に戻り、また出てきた。

「名乗ってなかったのに、よく知ってますね」
「名札見ました」
「そっか」

 大学生ですか、と問う。

「そう、大学生。ただのバイト」

 君は高校生? と聞かれるので頷いた。

「そうだ、今日は花、買いに来たんです」
「え? そうだったの。もう彼女できたの?」

 まあ君はイケメンだしすぐ出来そうだよねー、と笑う彼に黄瀬は首を横に振る。

「まさか、そんなわけないじゃないっすか。……俺、黄瀬涼太って言うんすよ」
「黄瀬涼太くん」
「うん。この道、帰り道だから、これからもたまに寄るかも」
「大歓迎です」

 黄瀬はそう言いながら花を眺めた。この間は上手く見れなかったけれど、今なら分かる。花屋は訪れるだけで気分が明るくなる。
 よかったら花、選んであげるよ、と澪士の明るい声が黄瀬を驚かせる。

「え?」
「俺、バイトだけど、ここの花屋のバイト、高校生からやってるから。長いよ。大抵のことならいいお花、選んであげられる」

 勿論君が花に詳しいなら全然いいんだけど、と言われるので、反射的に答える黄瀬。

「や、俺ほんとに、花分かんないんスよ。見てるのは綺麗だと思うんだけど。……だから、もし澪士さんに選んでもらえるなら、選んでほしい」
「そうなの? じゃあ素敵なお花選んじゃうよ」

 それと、と続ける。

「俺、「君」とかって呼ばれるの、あんまり好きじゃないんすよ」
「え? そうなの」
「だからせめて、「黄瀬くん」とかが嬉しいかな」
「せめてって」

 彼は苦笑した。いきなり求めすぎただろうか。
 それでもここまで言い出してしまった以上後には引けず、黄瀬は言葉を重ねる。

「じゃあ本当はどう呼ばれたいの?」
「涼太」
「わかったじゃあ涼太くんと呼んであげよう」
「やった」

 たかだか2回あっただけの、しかも店で出会っただけの関係で。
 黄瀬のことを下の名前で呼ぶことを了承してくれたのは、きっと黄瀬が高校生で、かつ彼が大学生だからだろう。
 きっと社会人ならこうはいかない。学生だからだ。

「で、花はどんな人に渡す予定なの?」
「友達が入院してるんだけど、今度退院することになったらしくて。そのお祝いとして」
「なるほどねー。退院祝いなら生花に限るもんね」

 退院のお祝いなら明るい花の色がいい。もちろんマナーもあるけれど、花は見るだけで気持ちを明るくさせる効果があるから。
 軽やかにそう言いながら手際よく花をピックアップしていく彼を見ながら、黄瀬は、その姿に惹かれていく気持ちを止められずにいた。

「どうかな。お花の種類は、こんなもので」
「! きれいっスね!」
「あとはこれを見栄え良く包むだけだから。少し待っていて」

 そう言いながら彼は店の隅にある木の台の上へ花々を持っていき、綺麗にまとめ始めた。
 黄瀬はちゃんと花屋に来るのが久しぶりだったので、花屋の隅から隅までじっくり回る。
 仕事柄花を貰うこともあったが知らない花も多い。
 花を贈ってくれる人に対しての感謝の気持ちを表すためにも、花についてもう少し知ろうかな、という前向きな気持ちになった。

「気になる花、あった?」

 隅の台から彼が言う。色々あるんスね、と答えるだけに留めておいた。
 それより気になるのは、この駅前にある花屋に、存外客が少ないことだ。
 今は平日の夕方の時間帯だが、今の所黄瀬がこの花屋を訪れてから来た客はいない。丁度ここにたどり着いた時にすれ違った客はいたが。
 ただそれは別に嫌だとか不安だということではない。こんな好立地なのだから、客が居る時は居るのだろう。
 今は彼と同じ空間を共有できるのが嬉しかった。

「お待たせしました」

 そう呼ばれ、黄瀬は財布を取り出しながらレジへ向かう。

「はい、これ」
「どもっす」

 綺麗に包まれた花はこの花屋の店名が書かれたビニール袋の中に収まっていた。
 存外花が綺麗で見とれていると、澪士は笑った。

「ふふ、綺麗でしょ」
「ほんとに」
「こうやって綺麗に包むの、結構コツがいるんだよ」

 どうやら花屋に長く勤めた賜物らしい。
 ぱちとレジを叩き、金額を読み上げる。

「2000円で」
「え? 安すぎないっスか」

 告げられた金額が想定よりかなり安く、黄瀬は面食らった。
 確かにそんなに大きい花束ではないが、花は綺麗で手間のかかる分、高いものだ。これくらいの大きさでも普通は3000円くらいするものだろう。
 そう思いながら尋ねると、おまけ、と言われた。

「あ、でも今回だけだから」
「え、でも」
「この間彼女にフラレたって言ってたでしょ。可哀想だから」
「……はい」

 言われるがままに2千円札を取り出す、彼はそれをレジの中にしまい、店の外まで送りますと言って花の袋を持った。
 外は綺麗な夕暮れ、今日は傘を持つ人は誰も居ない。

「また来てね、涼太くん」
「また来るっス」

 ありがとう、と言って袋を受け取る。彼は店員らしく頭を下げる。
 今日は彼の時間を独占したのか、と思うと何だか嬉しくて、少し足を弾ませながら、友達の病院へ急いだ。






 それからというもの、平日は毎日通る道なので、少しだけでも花屋に寄っていた。
 彼がよく入っているらしい曜日を見つけてからもその日だけにこだわることなく花屋に足を運ぶことで、ついに店長にも覚えられることとなる。
 花を贈ると大抵の人が喜んでくれる。黄瀬はそれを知ってしまったので、事あるごとに花を買い、色々な人に贈った。
 そんなある日。

「涼太くんさ」

 また今日も花屋を訪れていた。
 先程まで何人か他の客がいたが、今は2人だ。
 そのタイミングで澪士は黄瀬に声を掛ける。

「何スか」
「あれからほぼ毎日、来てくれてるよね」

 あの日――高校で初めて出来た彼女にフラレてから3ヶ月。
 考えてみれば殆ど毎日この花屋へ足を運んだ、もちろん急いで帰る日もあったけれど。
 それを彼に指摘され、黄瀬は言葉に詰まった。

「花、好きになってくれたみたいで、よかった」

 澪士はそう言う、違うとは言えない。まだ。
 本当は、本当に好きなのは花じゃなくて、そうじゃなくて。

「花は綺麗だし、誰にあげても喜んでくれるから」
「そうだよね。ここで花を買って行ってくれる人は、大抵の人が嬉しそうに買っていってくれる」

 勿論それだけではないだろう、病院へのお見舞いや仏花をここで買っていく人だっている筈だ。
 それでも嬉しそうな人たちばかり記憶に残る。その光景は確実に花屋で働く動機を裏付けてくれているから。

「そういえば、彼女は?」
「……まだっスね。好きな子はいるんスけど」
「え、そうなんだ」

 付き合えそうなの、と聞かれると、わからない、と。
 黄瀬は澪士を真っ直ぐ見ながら答える。

「そっか。付き合えるといいね」
「……うん」

 嗚呼、言ってしまおうか、自分が誰のことを好きなのか。
 でもそれはつまらないだろうか。今までずっと温め続けたのに。

「澪士さん」
「何?」
「俺、」

 唇を噛む。何を言うべきか、悩む。

「……あなたの隣に立てる人間になりたい」
「え?」
「だからもう少し、待っててほしいっス」

 それだけ告げて、花屋を後にする。
 当然明日も来るつもりだったが、こんなことを言ってしまってどうなるのだろう、と思った。








「花」オムニバスに入らなかった分