雫が流れる頬を私だけが見ていた

title by spiritus
※[#book=2:p=1#]の後日談
※マネージャー成り代わり




「あ、オシリス、おはよう」
「……おはよう、レイシ」

 オシリスが事務所に顔を出すとレイシと出会う。直接顔を合わせるのは3日ぶりくらいだろうか。
 しかしその瞬間、あのことを思い出した。いや、正確にはその瞬間だけではなく、この3日間ずっと脳裏にこびりついて離れなかったのだけれど。

「そうだ、どうだった、昨日のレッスンは」
「あ、ああ」

 丁度3日前のことだ。ソロパートが上手く歌えない、とレイシに相談したオシリス。別の先生にレッスンを受けてみたらいいのでは、とレイシは提案し、歌唱レッスンを予約してくれた。
 そのレッスンが昨日あり、レイシは顔を出せなかったものの気にかけてくれていたのだ。

「やはりいつもの練習とは勝手が違ったな。なかなかいい刺激になったよ。ありがとう」
「それはよかった。今日の練習も頑張って」
「ああ」

 オシリスはそれだけ答えると足早にレッスン室へ向かう。本当はレイシと出会うつもりはなかったのだ。
 何故なら3日前のあのことが、ずっと心に引っかかっているからだ。




「……オシリス」
「ん? どうした、トト」

 その日、いつものように練習を始める4人。ホルスは別の仕事で遅れて参加するそうだ。
 そうしてM.P.5の5人にもそれぞれ少しずつソロ活動が増えてきているが、まだまだ5人全員での仕事も多い。ここからどう力を付けていくか、が今後の大きな課題だった。
 オシリスの言葉で新作の歌の練習を始めるメンバーだったが、オシリスがソロパートを歌い終わった後、トトが声を掛ける。

「いつもと歌い方が違うよね。何かあった?」
「それは僕も思いました」

 メジェドも同意する。オシリスは困惑した。

「いや、そんなつもりはないが……」
「そう? じゃあ、心境の変化? かな」
「心境の変化……」

 トトがふっと吐き出した言葉に、思わず納得する断片が落ちている。
 しかしそれを拾い上げたのを逃さない。

「何か心境の変化でもあったんだ?」
「……いや……」

 くすりと笑う。半歩遅れて否定するが、もうそれが既に肯定になっていることは誰にでも分かる。

「じゃあもう一回歌ってみてよ」

 その言葉を拒否する理由はない。オシリスは息を吸い込んだ。



 何度かソロパートを歌い直すと、不意に後ろから唸るような声が聞こえて驚いて振り向く。

「うーん……」
「レイシ! いつからそこに?」
「えっ? 2回前くらいからいるけど」
「そ、そんなに前からいたのか……」

 いつの間にかレイシがレッスン室の隅の椅子に座ってオシリスの歌を聴いていたらしい。最初は居なかった筈なので、あまりに歌うのに夢中で気づかなかった。

「どう思います? レイシ先生」
「……そうだなー」

 トトは茶化して言う。これ以上自分に関わらないでほしい、とオシリスは願う。
 もう自分はこれ以上ないくらいに傷つけられたのに。いや、まさかあんなことで自分が傷つくなんて、彼らは微塵も思っていないだろうけど。

「オシリス、ちょっと来て?」
「呼び出しか……」
「オシリス様、頑張ってください」
「後は僕たちでとりあえず進めておくから」
「……」

 アヌビス、メジェド、トトは自由に口にする。だがレイシにそう言われてしまえば着いてレッスン室を出ていくしかないだろう。
 レイシに導かれたのはすぐ隣の小さな会議室だ。オシリスはその扉を閉めた後、黙ってレイシの前に座った。
 だが、極力目は合わせないようにした。

「ねえ、オシリス」

 レイシの口調は思ったより優しく、オシリスは目を上げる。

「レッスンの結果、良かったって言ってたのに。俺がずっと感じていたオシリスの歌の良さ、なくなってしまったみたいだ。どんなレッスンだったの?」
「……私の、歌の良さ?」
「そう。オシリスはすごくしっかりした歌い方をしていた。自信を持っていて、自分が皆を引っ張っていくのだから頼って、というような」

 言葉がするすると出てくる。彼がオシリスの歌い方に対して本当にそう感じているのは疑いないだろう。

「でも、さっきは違った。まるで進む道が見えないと、希望を失くして震えているかのような。……オシリス、俺でよければ聞くけど」
「レイシ……」

 そうだ。レイシはいつもそうだ。彼は本当に優しい。いつも、M.P.5のメンバーのことを想ってくれているのだ、誰より。
 でも、だからこそ、その言葉は今のオシリスを傷つける。まさかアヌビスとのことを見られていたなんて気づいていないだろうから。

「……すまない。まさか、レイシがそんなに私の歌い方にまで気を払ってくれていたとは」
「当たり前じゃん。オシリスのソロパートなんだから、やっぱりオシリスが一番輝くように歌えるようにしてあげたいから」
「もう少し練習してみる。心配をかけてすまなかったな」
「……オシリス」

 そう言ってオシリスは立ち上がる。もうこれ以上関わらないでほしい、と告げたつもりだった。
 しかしレイシがオシリスを呼ぶ声は鋭かった。

「何か隠してるよね」
「!」
「俺たち、もうずっと長く一緒に居るでしょ。どんな嘘かは分からなくても、何か隠していることくらいなら分かる」

 そのまま振り切って部屋を出てしまえば良かったのに。そうすれば、流石にレイシが追いかけてくることはなかっただろう。
 しかし咎めるようなその口調が、あまりにも親身に聞こえたから、オシリスはつい足を止めてしまった。

「……この前、」

 そして口を、開いてしまった。

「この前……私が、ソロパートが上手く歌えないとレイシに相談した日。あの日、忘れ物を取りに事務所に戻ってきたんだ」
「?」
「その時、もしレイシが帰るところなのなら、誘って帰ろうかと思っていたんだ。しかし――」

 レイシは、一体何の話が繰り広げられているのか分からない、という顔をする。

「私は、君がアヌビスに慰められているのを、見てしまった」
「!」

 いや、見てしまった、というのは語弊があるだろう。正確には立ち聞きしただけだ。我ながら趣味が悪いとは思うが。
 しかしレイシは驚いた顔をした後、すぐに後悔の念を浮かべた。オシリスに知られたのは不本意だったのだろう。

「君とアヌビスがそういう関係なのなら、私は止める気はない。止める気はないが――」
「ち、違う、オシリス!」

 レイシは必死に口を挟む。

「違う? 何が?」
「俺とアヌビスはそういう関係じゃない。どういう風に思っているのかは知らないけれど、俺とアヌビスは、メンバーとマネージャーという以上の関係はない! ……って言ったら、嘘になるか……」
「だったら違わないだろう」

 珍しい、と思った。オシリスは、自分がこんなに冷たい声を出せるのだと驚いた。
 信用していた、いや、本当は好きだったのだ。けれどアイドルとマネージャーが恋をするなんて許されないと思っていたから、何も言わずにいた。我慢していたのに。
 いつの間にかアヌビスはその座を手に入れていた。それは、アヌビスに対する羨望と、自分自身への失望だ。

「俺は……俺とアヌビスは、実は……兄弟なんだ」
「……え?」

 しかしレイシが口にしたことは想像とは全く違っていて、耳を疑う。

「君とアヌビスが……兄弟?」
「うん。似てないだろ? 父親が違うから当然なんだけど。誰にも信じてもらえないだろうし、ラープロデューサーには言ってあったから、特に言う必要もないだろうと思って」
「それは本当なのか……?」
「うん、まあ、信じられないよね。そんなつもりはなかったけれど、結果的に騙していることになってしまった。ごめんなさい」

 レイシはオシリスに向かって深々と頭を下げた。

「後でM.P.5の皆には説明するよ。勿論アヌビスからも言わせるし」
「……アヌビスが兄?」
「え、あ、うん」

 あまりに驚きすぎて、今は全くどうでもいい部分を確認してしまう。

「本当にごめんなさい。まさかオシリスに心配を掛けてしまうってことを考えていなかった。他に隠していることはないつもりだけど、何か気になることはある……?」
「え、いや」

 どうやらオシリスの冷たい口調が効いたようだった。あんなに怒っているオシリスを見たことがない、とでも言わんばかりに、レイシは低姿勢でオシリスに尋ねる。
 しかしオシリスはオシリスで、そんな出来すぎた話があるものか、と思っていた。アヌビスと口裏を合わせる可能性さえ疑っていた。後でM.P.5に言うとは言っていたが、いつか来る説明しなければならない日のために、事前にこういう設定にしておこうと。
 しかしすぐにその考えは打ち消す。あの天然のアヌビスがそんな嘘を吐けるものか。

「特に、ない? それならよかった」

 ほっとした顔を見せるレイシ。それを見てオシリスは、そんなにレイシに心配を掛けていたのかと思う反面、すごく、愛しくなった。
 オシリスは反射的にレイシに近づき抱きしめる。

「え、オシリス? 何?」
「……レイシ」

 抱きしめているせいで顔は見えないが、声で困惑しているのが分かる。

「今回のことで分かった。私がどれだけレイシのことを気にしていたか」
「……?」
「アヌビスに慰められているレイシの声を聞いた時、もうレイシはこの手の中には掴めないと思ってしまったんだ。それに、我慢するべきではなかったと」

 一体何を言っているのか、きっとレイシには分からないだろう。
 それでもオシリスは続ける。

「でも、今安心した。だから言っておきたい」
「オシリス……?」

 そうだ。今言わなければきっと後悔する。だって、アヌビスとの会話を聞いた時、自分はあんなにも悲しく、後悔したのだから。
 レイシの肩を掴み、レイシの目を見つめた。

「好きだ、レイシ」
「!」
「レイシ、君の返事がどうであれ、私はこのことを伝えたことを後悔しない」

 その目は、今ここでの返事を求めている。
 レイシは唇を舐めた。あまりに展開が急すぎやしないか? 自分は、オシリスの歌がいつもと違うと指摘しただけなのに。
 それでもレイシにとって答えはもう既に決まっていた。オシリスに聞かれるより、ずっと前に。

「――奇遇だね。俺もさ、ずっとオシリスのこと、」

 レイシはできるだけ平静を装う。

「好きだったんだ」

 その言葉が震えたのを、オシリスは見逃さなかった。
 再び抱きしめる。どうして、どうしてこんなに簡単なことを。

「……そうか。レイシもそう思ってくれていたのか」
「うん」
「だったらどうして私は、もっと早く言わなかったのだろうな?」

 ふ、と2人は笑い出した。糸を絡ませてしまったのは自分たちだった。
 ああでも、これで。

「レイシが困った時に慰めてあげられるのは、私になったな」

 それが本当に嬉しかった。強気な彼の涙を自分が独占できることが。


2017.12.30