フィディオから見た少女

ずっとずっと、忘れられない女の子がいる。



少し昔話をしようかな。

まだ7歳になったばかりの時に、隣の家の親戚が日本から遊びに来たというのを親に聞いた。
隣の家もつい最近引っ越して来たばっかりだが、親同士すぐに親しくなっていたと思う。旦那の方がイタリア人で嫁が日本人の若い夫婦だった。
親戚の方にも後で挨拶に行かなきゃね、と楽しそうに手土産を用意している母を見ながら、俺は特に意識はしていなかった。


父と同じようなサッカー選手になる夢を抱いていた俺は、毎日ボールを蹴っていた。家の庭、前、人気の少ない道路でも。いつしかサッカーボールは俺の相棒になっていた。
今日もいつも通り近くの広場でリフティングをしたり、ドリブルをしたり、ボールに触れていた。ここは人が滅多に来ないから邪魔になることはなかったから、練習場所には最適な所だ。

何分、もしかしたら1時間は超えていたかもしれない。夏になり、日が強くなってきたからこまめに水分補給をしようとしていたのに、練習に夢中になってしまった。一息つき、少し水分補給をとろうと近くのベンチに置いていた持参した飲み物を取りに行く時に初めて気付いた。

俺をじっと見つめていた女の子に。
おそらく同い年ぐらいかな?と思い、いつから居たのだろうと考える。夢中になっていたから全然気がつかなかった。

足を止めて女の子を見つめ返すと、一瞬肩がびくっと反応し、すぐに目線を逸らした。顔は真っ赤だ。

その時の俺はまだ小さくても、サッカーのセンスは周りに認められていた。そのためか、自分で言うのも変だが、近所の女の子からはよく好意を持たれていた。サッカーをしてる俺の元に来て、話しかけに来たり、違う遊びに誘いに来たり。嬉しい反面、サッカーの邪魔になるのは気分が良いわけではなかった。
この女の子も、もしかしたら?と思って挨拶はしようと近付くと、思わぬ行動に出た。


「ねえ、君」

『ごめんなさいぃぃ〜!』


え?

俺が声をかけた瞬間、猛ダッシュで逃げて行った。
逃げられたことに対する悲しさが少しあったが、彼女は日本語を話していた。観光客か何かだろうか?

いつもなら気にせず放っておくが、何故か彼女のことは気になった。
それに全力で走っているつもりだろうがかなり遅い。それが少し可笑しく感じ、自然と笑みがこぼれながら走っている彼女の後を追い、だんだん近付く距離がゼロになり手首を掴む。


『ひぇ!』

「あ、ごめん、」


全身で恐怖している彼女をどう落ち着かせようかと考えていると、彼女の大きな目からぽろぽろ涙が溢れてきた。


「え!?」

『ふぇ、ぅう、邪魔して、ごめ、なさい』


ああ、彼女は俺のサッカーを邪魔したと勘違いして謝っていたのか。
普段の女の子たちと比べると彼女は何もしていないから迷惑でも何もなかった。


「えっと、邪魔なんて思ってなかったし、泣かないで?」

『ほん、と、ですか?』

「うん」


流れる涙を手で拭ってやると、だんだん落ち着き、へにゃりと照れ臭そうに笑った。


『すごく真っ直ぐなボールを蹴るんですね』

「………」

『あ、の、?』

「あ!ごめん、初めてそんなこと言われたから驚いちゃって」


彼女の笑顔に目を奪われていた自分に驚く。それに、会ってすぐにサッカーのことを褒められたのも初めてだった。
俺が反応すると嬉しそうに彼女は微笑む。とくんと胸が温かくなるのに違和感を感じた。


『日本にいるお友達にあなたのこと教えたら喜びそうです』

「日本に?」

『はい。私日本に住んでるんですけど、初めて親戚の家に遊びに来たんです』

「へえ、俺の近所にも同じような人がいるよ」


彼女が親戚の家を口で伝えてくれる。あれ?もしかして、と思うが確信になった。俺の家の隣に遊びに来た親戚が彼女であった。
それを、彼女にも伝えるとまた嬉しそうに笑った。こっちに来て、同い年ぐらいの知り合いがいなくて不安だったらしい。それからお互いの名前を知らないことに気付き名前だけの自己紹介をした。


『ふぃでぃおくん』

「フィディオでいいよ、真雪」

『外人さんの名前って言いづらくて、』


うーん、と顎に人差し指を当てて何かを考えている真雪。
そして、閃いたように手をパンっと叩いた。


『フィーくん!』

「うん?」

『フィーくんじゃ、だめですか?』


俺が微妙な反応をしたからか、閃いた時の自信のある顔じゃなく、不安そうに聞いてくる。
小動物みたいで可愛いなと思いながら、それでいいよ、と言うと笑顔になった。

正直、初めて出会った時から周りと違う彼女が自分の中で少しずつ気になる存在になっていたのだと、今ではわかる。

幼かった俺たちは、真雪が迷子にならないためにも手を繋いで帰った。隣の家の前では日本人らしい大人が二人、心配そうにキョロキョロ周りを見ていたが、俺たち、というか真雪に気がつくと安心した顔になっていた。


「真雪!一人で走っちゃダメでしょ!」

『ご、ごめんなさいお母さん』

「まあまあ、無事でよかったよ、真雪。もう勝手なことはしたらダメだぞ?」

『っん!』


母親と父親だったらしい。
母親に注意された真雪は怒られるのが怖かったのか、俺の後ろに隠れて二人の様子を伺っていた。
ていうか、真雪は迷ってたまたま俺と出会ったわけか。
娘の安全が確保された真雪の親の視線は真雪の前にいる俺に向けられた。


「あなた…、フィディオくんね!」

「はい」

「さっきあなたのお母さんが挨拶に来てくれたのよ!もしかして、真雪の面倒も見てくれてたのかしら?」

「いえ、真雪さんとはさっき会ったばかりです」

「まあまあ、なんて礼儀正しい子なの!お礼しなくちゃ!」


またね!ととても子持ちには思えない元気さがある母親は最後に俺に頭を下げてから父親と隣の家に入った。父親も俺に感謝を伝えて。

残された俺たちは、どうすればいいのだろうか。


『フィーくん、あのね、』

「ん?」

『あの、私まだまだここにいるから、また、会えますか?』

「もちろん」


パアァッと真雪の周りにキラキラが飛んでいるように見えた。

その日から俺たちは真雪が日本に帰る時まで毎日のように遊んだ。
お互いの家に行き来はした。サッカーもした。俺の仲の良いサッカー友達も紹介した。親同士で出かけたり、一緒にご飯を食べたりもした。

こんなに楽しい夏は初めてだったかもしれない。それに真雪は俺のサッカーを見てくれた。
ただ、観戦するだけじゃない。どうすれば上手くなるか、アドバイスのようなことを考えてくれた。真雪は他の人と違い、人に見えないものが見えていた。それでも俺は、俺のサッカーを誰よりも、もしかしたら俺自身よりも好きになってくれるのが嬉しかった。

だから、別れの日が近付くのはすごく悲しくなった。
離れたくない、真雪にもここに住んでほしい。そう思っても子供だけの意思でどうにかできる事じゃないのはわかっていた。

日本に帰る前日、真雪は中身は大人びていてもまだ幼かったため、親は帰る準備をしている間俺の家で預かることになった。

俺の家に来て、母さんの前ではいつも通りの笑顔が可愛い真雪だったが、俺の部屋で二人きりになった瞬間、出会った当初みたいに沢山の涙が流れた。ただあの時と違うのは、今真雪は俺に抱きつきながら泣いていた。


「真雪、」

『ふぃ、くんん』


いつもは静かに涙を流す真雪も声を上げて泣いていた。1ヶ月ほど前に出会ったばかりの人と離れるのに、こんなにも悲しんで涙を流してくれることに、悲しくもあったが嬉しくもあった。
俺は涙は流さなかったけど、抱きついてくる真雪を力一杯抱きしめ返した。その日はお互い静かに過ごした。


時間は待ってくれなくて、次の日になると、朝早くから真雪の家族は日本に帰るため、荷物を持ち空港まで向かう準備をしていた。
元々俺の隣の家の親戚の人が空港まで送るらしい。
俺たち家族は家の前で見送りだった。親は別れの挨拶をしていた。お互いの母はフレンドリーな人だったので、ハグをして悲しそうにしていた。また必ず会いにくるから、と約束をして。


そして俺は、真雪と向き合っていた。

離れそうになってから気付くなんて、俺もまだまだ子供だった。


「真雪、そろそろ行くわよ?」

『んん、やっぱフィーくんと一緒がいい!』

「だめよ、日本に帰らないと学校始まるでしょ?」

『やだあ!!』


正直、驚いた。

真雪は比較的に大人っぽい人だった。自分の意思は持っているが、わがままなんて言わない、大人しい女の子だ。
親も始めて見る真雪の様子に驚いているように思えた。

俺だって、本当はもっと一緒にいたい。
真雪にとって俺はイタリアでできた大切な友達なのかもしれない。

でも、俺は…


「ほら、挨拶しなくちゃ、また会えるから、ね?」

『んぅ、』

「…真雪」


昨日と同じように俺の胸で泣いている真雪の肩を押し少しだけ距離を取る。
俺が真雪に対する気持ちは本気だった。簡単に行動に移せたのは、まだ幼かったおかげかもしれない。

目をまん丸くして驚いている真雪が目の前にいるのを確認して、その距離をゼロにした。
真雪越しにお互いの親が口元に手を当て驚いていたり、ショックを受けていたり、ニヤニヤしたりしていたのを目を閉じる直前で視界に入った。

触れるだけのそれは少ししてから離れた。
目を開いたままぽかんとしてる真雪は何が起こったかわからない感じだった。
それからまたギューっとハグをした。


「真雪、絶対また会える。俺も会いに行くから」

『私も、絶対また、きます、ね?』


涙の別れなんて悲しいだろ。

笑顔になった真雪を両親はホッとしたように一息ついていた。そして、車に乗り(しょぼんとしている真雪の父に少しだけ罪悪感がわいた)、本当に最後の別れだったんだと自覚した。

車が発車した後、窓から真雪は顔と手を出した。


『フィーくーん!!ありがとうー!!絶対会おうね!!!』


思えば、この時だけ真雪の敬語が抜けていた気がした。

真雪に応えるように大きく手を振り返した。

きっと今頃、車から顔を出したことを怒られているだろう、その姿を想像したら少しおかしく思えた。
先ほどのことを揶揄ってくる母を無視して俺は自室に戻った。

この夏の出来事を俺は一生忘れない。


この後、母さんから真雪の住所を聞き、携帯を持ち始めるまでは年に数回の文通でやり取りをしていた。


まさか、この世界大会でもう一度再会するなんて、予選を通過した俺は考えてもいなかった。



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フィディオと真雪ちゃんは子供の頃から中身は大人。
フィディオにとって自分のことを理解してくれる唯一の大切な女の子。