ベイビーブレスは罪深い
食欲の秋──と、季節を限定する言葉が存在するが、深月には関係なかった。
彼女にとっては、春夏秋冬、年がら年中、季節を問わず、世の中には美味しいものが溢れている。
本日も、旬の食材を使った料理から、一年中いつ食べても美味しい料理まで、思う存分口に運ぶ。
料理の美味しさに幸せを感じ、その幸せを残したまま、風呂や歯磨きを済ませ、深月はソファに座る。
その瞬間、睡魔に襲われ、雪崩れ込むようにソファに寝転がる。
すると──
「そんなところで寝たら風邪を引くぞ」
頭上から呆れたような声が降ってきた。
うっすら目を開ければ、声と同じく呆れたように笑う杏寿郎と目が合う。
しかし、深月は眠気に負けて目蓋を閉じる。
彼女の身体は溶けてしまっているかのように、どこにも力が入っていおらず、このままではベッドまで移動するどころか、立ち上がることすらできないだろう。
「んー……今日はここで寝るから、お布団持ってきてー……」
深月は自分の身体の状態をよく理解していて、ベッドに行くのは諦め、甘えるような声を出す。
杏寿郎は苦笑して、「横着だな」と言いながらも、彼女に手を伸ばす。
背中と膝裏に手を差し込み、揺らさないようできるだけゆっくりと持ち上げる。
そのままベッドに運びんでいる最中、少しだけ違和感を覚えた。
彼女の身体が、以前より重くなったような気がするのだ。
杏寿郎は深月を見下ろす。
見た目にはあまり変化がない。胸も控えめなままだ。
しかし、ここ最近の彼女の食欲は凄まじかった。
あれもこれもと美味しそうに食べる彼女は可愛らしかったが、食べ過ぎと言える量だった。
そんなことを考えている間に寝室に着いたので、深月をそっとベッドに降ろす。
ふと、彼女の顔を見れば、口元がにやけていた。
それが微笑ましくて吹き出すが、笑っていることがバレたら怒られるかもしれない、と以降の笑い声は堪える。
深月もその吹き出す声には気付いていたが、目を閉じているので自分が笑われたのかはっきりわからないし、ベッドまで運んでもらった恩があるので、何も言わずに睡魔に身を任せる。
杏寿郎は微睡む深月に布団を掛けようとして、彼女の腹部に目をやる。
シャツが捲れて露出したそこは、以前よりやや質量が増して、柔らかそうになっていた。
服の上からはわからなかったが、重くなった部分はその辺りなのだろう。
一旦見なかったことにして布団を掛けてやり、彼女の前髪を掻き分け、頭を優しく撫でる。
眠気に襲われている彼女の顔は子どものようで、なかなかに愛らしかった。
顔も特に変化は見られないな、などと思っていると、疑問が浮かんでくる。
「そういえば、最近、体重計に乗っているのか?」
つい、浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、微睡んでいたはずの深月が目を見開く。
杏寿郎の言葉が衝撃的すぎて、目が覚めてしまったのだ。
「それ、どういう意味?」
深月が恐る恐る尋ねると、杏寿郎は満面の笑みを浮かべる。
「少し重くなっていたからな!」
杏寿郎の返答には、デリカシーが微塵も含まれていなかった。
「は……はあ!?」
深月は飛び起きて、杏寿郎に詰め寄る。
「なんでそんなこと言うの!?」
杏寿郎はきょとんとした後、深月の脇に手を入れて持ち上げる。そのまま彼女を促して、自身の太股を跨がらせ、そこに座らせる。
太股に感じる重みは、やはり以前より増していた。
その重量が心地好くて、杏寿郎の口角は自然と上がる。
深月は近くなった顔に少しどきっとしていたが、杏寿郎の言葉に腹を立てているので、意地でも表に出さないように口を引き結ぶ。
杏寿郎は彼女の腰に腕を回して支え、彼女の胸元に視線を落とす。
再度確認してみたが、全体の重量は増していても、胸は控えめなままだった。
「付いてほしいところには、なかなか肉が付かないものだな! 人間の身体は不思議だ!」
明るい笑顔を浮かべて、思ったことを口にする。
もちろん、悪気は一切ない。ただ、純粋に不思議に思っただけだ。
先程、体重計に乗っているか尋ねたのも、『体重計に乗らないと自分の変化には気付きにくいだろう』と思って確認しただけだった。
それに、杏寿郎にとって深月の体重は、そこまで気になるものではなかった。
今日はなんとなく聞いてみただけで、彼女が健康であれば、太っていようと痩せていようと、どちらでもよかった。
例え、胸の質量が、体重に全く左右されていなくても。
しかし、杏寿郎の考えを知らない深月は、無意識に拳を握り締める。
「まあ、俺は君が健康ならそれで……ぐっ!!」
杏寿郎がまた思ったことを口にしようとしたところ、それを遮るように、脇腹に拳が叩き込まれた。
しっかり握り締められたそれは、油断していた杏寿郎に結構なダメージを与えた。
深月は少し眉をひそめる。
油断していたとはいえ杏寿郎は筋肉量が多い。殴った拳も痛むのだ。
杏寿郎は日常生活であまり経験しない痛みに俯き、身体を震わせる。
まさか、拳が飛んでくるとは思わなかった。
「君も女性の端くれなら、こういう時はせめて平手だろう……」
震える声で抗議すると、なんだか空気が冷たくなるのを感じた。また、深月の地雷を踏んでしまったらしい。
その地雷が何なのかはわかっていないので、この短時間でここまで彼女を怒らせることができたのだが。
「あっ、そう。わかった」
深月は冷たく言い放って、言われた通り、杏寿郎の頬を平手で打った。
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