雛芥子と見せかけて
わあ、雪だあ。なんてはしゃいでいたのが三日前のこと。
降り積もった雪に年甲斐もなく跳ね回って、たまたま寄った蝶屋敷で、療養中の隊士達や隠達と一緒に雪合戦なんかして。
みんなでびしょびしょになって、しのぶさんとアオイちゃんに大目玉を食らって。
私は元気だったから、療養中の隊士達に先にお風呂に入ってもらって。順番待ちをしている間に指令が来て、慌てて任務に向かった。
任務を滞りなく済ませて、帰宅すると、私を待っていたのは高熱と関節痛だった。
*****
「風邪です。しばらく安静にしていてくださいね」
笑顔で告げるしのぶさんの額に青筋が見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。
私が大人しく頷くと、しのぶさんはさっさと出ていってしまった。
貴重な蝶屋敷の寝台を、風邪を拗らせた程度で占領し、しのぶさん達の手を煩わせるなんて申し訳ない。
何故、三日前の私は雪遊びなんかしてしまったのだろう。そして、何故、少しでも身体を暖めなかったのだろう。
二日前、なんだか熱っぽいと気付いてはいたけど、指令が来ていたので任務へ向かった私は、任務後にぶっ倒れた。理由はもちろん高熱。そこから自宅療養しようとして、風呂に入って悪化して。
気付いた時には蝶屋敷に運び込まれていた。病院に連れて行かれなかったのは、監視付きで大人しくしていろ、ということだろう。
お腹は空いているのにご飯が喉を通らないから、栄養は点滴で摂る羽目になった。点滴を刺される瞬間、すごく痛かったし、しのぶさんはとても怖かった。
寝た方がいいんだろうけど、寝たらしのぶさんが夢に出てきそうだなあ、なんて思っていると、病室の扉が開いた。
「大丈夫か!?」
「あ、杏寿郎さん」
杏寿郎さんがお見舞いに来てくれた。でもちょっと声が大きいので、頭に響く。もう少し静かに喋ってほしい。
「大丈夫です。でも、すみません、もう少し声量を落としていただけると……」
「む!?すまん!」
声量下がってないです。まあでも、仕方ないか。
何もかも自分が蒔いた種というか。風邪を引いたのも自業自得だし。
私は無理矢理笑顔を作って、杏寿郎さんにお礼を言う。
杏寿郎さんは優しく微笑んで、寝台横の椅子に座った。
「雪遊びをして風邪を引いたんだって? 全く、君はたまに子どもみたいなことをする」
あ、声量が落ち着いた。静かな声音も、優しい微笑みも、他人には見せないものだ。
「すみません。楽しくって、つい……反省はしてます」
杏寿郎さんは、「胡蝶に怒られただろう」と笑いながら言って、私の額の上の手拭いを取る。
それを寝台脇の水桶に入れて、絞ってからまた額に乗せてくれる。
おでこが冷たくて気持ちいいけど、然り気無い優しさが嬉しい上に、私だけに見せてくれる表情にどきどきしてしまって、熱はあんまり下がりそうにない。
「何も食べられないのか?」
不意に降ってきた質問に、私はぱちぱちと瞬きする。いつの間にそんな話になったのだろう。
杏寿郎さんを見ると、彼はちらりと点滴を見て、私に視線を戻した。
なるほど。点滴を見て察したのか。
「はい。食欲がなくて」
お腹は空いているんですけどね、と続けると、杏寿郎さんが顔を寄せてきた。
「だったら、口移しでもしてやろうか?」
耳打ちされた声は妙に色っぽくて。
「んぇっ!?」
驚いて変な声が出た。いろんな要因で顔が熱くなって、一気に熱が上がるの感じる。
杏寿郎さんは離れて、「冗談だ」と悪戯っぽく目を細める。
冗談か。そうだよね。でも、こちとら病人なので、冗談とはいえ刺激の強いことは言わないでほしい。風邪が長引いてしのぶさんに怒られてしまうじゃないか。
小さく溜め息を吐くと、杏寿郎さんは「すまん、すまん」と笑って謝る。本当に悪いなんて思ってないでしょう。
しかし、謝るべきは私の方だ。
「すみません。こんな下らない理由で、任務に穴を開けてしまって」
下らない上に情けない。口にしたら、なんだか泣きたくなってきたのは、熱で弱っているせいだろうか。
剣士失格。杏寿郎さんの弟子失格。こんな情けない人間が弟子だなんて、杏寿郎さんの評判に影響するのではないだろうか。
急に不安になって、今更ながら自分の馬鹿な行いをひどく後悔する。
ああ、だめだ。本格的に泣きそう。
私は布団を掴んで、顔を隠すように引き上げる。この程度で泣くところを、杏寿郎さんに見られたくなかった。
ふと、頭に温かい何かが触れる。それは何度も私の頭の上を滑る。
これが何なのか、私は知っている。
杏寿郎さんの手だ。長年の鍛錬で分厚く硬くなった掌が、優しく私の頭を撫でてくれている。
「大丈夫だ。幻滅したりなんかしないから、今は元気になることだけ考えなさい」
降ってきたのは、先程と同じ優しい声。
どうして、私が言ってほしいことがわかるんだろう。
その声と手に安堵して、私はゆっくりと顔を出す。
「ごめんなさい」
「もう謝らなくていい……だが、確かに、少々仕置きは必要か」
「えっ……」
一瞬驚いたけど、当然か。体調管理もまともにできないなんて、鬼殺隊の剣士としての自覚が足りないもの。
ちょっと怖いけど、お仕置きを受け入れるしかない。
でも、何をされるんだろう。風邪が治ったら鍛錬の量を増やされるのかな。病み上がりで杏寿郎さんと打ち込み稽古させられるのかな。
私がぼんやり考えている間、杏寿郎さんは口元に手を当てて、少し考え込んでいた。
そして、何かを思い付いたような顔になり、「待っていなさい」と言って、病室を出ていく。
なんだろう。嫌な予感がする。え、お仕置き今からなの?
しのぶさんから、すごく不味いお薬でももらってくるのだろうか。
*****
十分程経ってから、杏寿郎さんは戻ってきた。
何故か、新しい桶を持って。
桶には手拭いが掛けてあって、湯気が立っていた。
私から見ると、桶の背景は杏寿郎さんの隊服だから、白い湯気がよく見える。
お湯を持ってきたようだけど、どうしてお湯なんだろう。
私がきょとんとしていると、杏寿郎さんは桶を寝台脇に置いて、太陽のような笑顔で一言。
「身体を拭いてあげよう!」
私はひゅっと息を詰まらせた。
昼間に、この明るい室内で、杏寿郎さんに身体を拭かれるなんて、何の拷問だろうか。
顔が熱い。心臓が速い。この人は、私の風邪を悪化させたいのだろうか。
「いえ、結構です! 自分で拭けます!」
私は布団を強く掴んで、ぶんぶんと首を振る。
しかし、杏寿郎さんは容赦なく布団を剥いでくる。
普段から力比べで勝てないのに、風邪で弱ってる今、布団を守りきれるわけがなかった。
「遠慮するな! これは仕置きだからな!」
杏寿郎さんはずっと笑顔のままだ。なんだか楽しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「あの、もっと他の方法でお願いします」
必死に乞い願った声は、少し震えていた。
杏寿郎さんはやはり気のせいではなく楽しそうで、意気揚々と私の寝間着に手を掛ける。
「全身くまなく拭いてやる! 存分に恥ずかしがるといい!」
「え、やだ、待って……」
抵抗虚しく、私の寝間着はあっという間に宙を舞った。
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