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緑の鈴を貴女に願う 後日談ifA
結局、深月はその少年と再び会うことは叶わなかった。
髪色が特徴的だったので、名前を聞かずともすぐに見つかると思っていたのだが、その日の出来事を父に伝えると、「二度とあの町には近寄らせない」とこっぴどく叱られた。
それは、深月を心配してのことだったのだろうが、深月は燃える髪色の少年を探してほしい、という意味で言ったのに、と臍を曲げた。
それからしばらく経った頃人拐いに遭い、深月は過去数ヶ月分の記憶が曖昧になった。
それは精神的な問題で、一晩ごとに記憶を取り戻したおかげもあり、十八歳の深月は当時の事を思い出せるようになったのだ。
「あの子って、多分杏寿郎さんだよねえ」
深月は自嘲気味に笑って、項垂れる。
あんな髪色の人間が、煉獄家以外に居てたまるか。
多分どころか確実に杏寿郎だ。
それでも、当時のことを忘れていたのは事実だ。
何だったら、自身より背も低かったし、深月はその少年のことを年下だとばかり思っていた。
よくよく考えれば、あの年頃なら女子の方が成長が早いかもしれない。同い年でも、深月の方が背が高い可能性は十分にある。
深月は溜め息を吐く。
杏寿郎も、あの日の出来事を覚えていなさそうだ。
幼い自分達が出会っていたことは嬉しいし、杏寿郎と共有したい話ではあるが、彼が完全に忘れていたら恥ずかしいし悲しい。
深月が悶々と悩んでいると、頭上から明るい声が降ってきた。
「どうした?暗い顔をして!何かあったのか?」
見上げれば、優しく微笑んでいる杏寿郎が居て、深月は胸が締め付けられるのを感じた。
そして、あの日の出来事を思い出してほしい、と思ってしまった。
「あの、血鬼術にかかってる間に思い出したんですけど……」
覚えてくれていたらいいな、と淡い期待を込めて、深月は口を開いた。
*****
一通り話し終えた深月は、杏寿郎の反応を伺う。
彼は面食らったような顔をしていた。
(あ、これは覚えてないな……)
深月の瞳に落胆の色が浮かびかけたところで、杏寿郎は彼女の手を握った。
「すまん。正直に言うと、覚えていなかった」
「あ、やっぱり……ですよね。私も覚えていませんでしたし……」
深月はへらっと笑う。傷付いていると、杏寿郎に悟らせるわけにはいかなかった。
杏寿郎は太陽のような笑顔を浮かべる。
「だが、思い出した!あの時の少女は、深月だったのか!」
「へ?」
次は、深月が面食らったような顔になる。
杏寿郎は嬉しそうに、しかし照れたように笑って、当時のことを話し始めた。
*****
杏寿郎の母は、あの日の後、程なくして亡くなった。
それから父は酒に溺れ始めるし、千寿郎はまだ幼いしで煉獄家は大変だった。
自分も柱になれば父も元気になってくれるかもしれない、とより鍛錬に励んだ。
あの日に出会った少女のこともたまに思い出していたが、恋に現を抜かしている場合ではない、と頭から追い払ってしまった。
名前も聞かなかったし、近所の子ではなさそうだったので、二度と会うこともないだろう、と思った。
*****
そこまで聞いて、深月は首を傾げる。
「こいって……?」
まさかと思って尋ねると、杏寿郎は目を細める。
「恋だ。俺はあの日、君に恋をした」
杏寿郎はあの日、おめかしした少女を、一人では何も出来ないお嬢様かと思った。
しかしそれは勘違いで、少女は自分より大きい少年達に怯むことはなく、杏寿郎のために怒ってくれた。
その後、握ってくれた手は僅かに震えていて、本当は怖かったのだ、と杏寿郎は気付いた。
それでも他人のために怒れる少女に、好意を抱いた。
「ほとんど一目惚れだな!」
そう言って、杏寿郎は深月の頭を撫でる。
思えば、あの惨劇の夜に深月と出会った時も、ほとんど一目惚れだったかもしれない。自覚はなかったが。
あの燃え滾るような意思を宿した瞳に、心惹かれた。
助けた相手のその後をあんなに気にしたのも、見舞いに行ったのも、引き取って面倒を見ようと思ったのも、深月が初めてだった。
しかし、こちらは深月には黙っておこう、と杏寿郎は心に決める。
深月が家族を失った夜に、彼女に惹かれたなんて、幻滅されてしまうかもしれない。
「忘れてしまったあの恋が、今になって叶うとはな!」
杏寿郎は明るい笑顔になって、深月の額に口付ける。
深月は額に触れながらはにかみ、眉を下げて笑う。
「すみません、私は恋じゃなかったかもしれませんけど……」
あの頃に再会していれば、幼い自分は杏寿郎に恋をしたことだろう。
「私達はどんな出会い方をしても、きっとこうなってたんだなって思うと、嬉しいです」
「運命の相手、というやつか」
杏寿郎がふっと笑うと、深月は言葉に詰まる。
杏寿郎からそんな浪漫的な言葉が出るとは思わなかった。
それでも、やはり嬉しくて、「そうですね」と笑顔を返した。
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