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  分岐:原作準拠 無限列車編後



Twitterにあげようとして書き始めてたので、一人称です。
そのうち第三者目線でも書き直すつもりです。



どうして、私は、貴方が居なくならないなんて思っていたのだろうか。


*****


泣き晴らした顔で過ごす千寿郎君。いつもよりお酒を煽る槇寿郎様。
私は、ただ任務に邁進するだけの日々。

杏寿郎さんが居なくなって、世界は変わってしまった。
彼と出会う前の、彼が居ない世界で、私はどうやって生きていたのか思い出せない。

未だに彼が居ないという現実が受け入れられなくて、涙が一滴も出ない。いつか、ひょっこり帰って来るのではないかとさえ思ってしまう。

でも、確かに、杏寿郎さんはもうどこにも居なくて、帰って来なくて、二度と笑い掛けてはくれない。

そう思うと悲しいのに、やっぱり涙は出なくて。
感情と体がちぐはぐだ。心の中ではいろんなことを思っているのに、表に出す術がわからない。

私はどうやら、おかしくなってしまったらしい。


*****


杏寿郎さんが居なくなってからどれだけ経っただろう。
私は、杏寿郎さんのことを忘れたいと思うようになっていた。だって、覚えてるだけで辛いんだもの。
多分、泣けば少しは気持ちの整理がつくのだろうけど、今の私には不可能だ。

任務の準備をするために、隊服を身に纏う。彼から貰った羽織を着ようとして、止めた。
これも彼との思い出だ。着ていたら、否応なしに彼を思い出してしまう。
羽織を丁寧に畳んで、箪笥に押し込む。その箪笥には、杏寿郎さんに貰った着物もたくさん入っている。

ふと、脇を見れば、また彼に貰った物が目に入った。
髪飾り、紅、書物に雑記帳まで。何から何まで、杏寿郎さんに貰った物ばかりだ。

私はそれらを全てかき集めて、視界に入らないよう、先程と同じく箪笥に押し込む。

息が苦しい。胸が痛い。
なんとか息を整えて、気付いてしまった。

この家に居る限り、杏寿郎さんを思い出してしまう、と。

彼に救ってもらって、拾ってもらって数年。彼と、彼の家族と過ごしたこの家は、彼の思い出ばかりだと気付いた。

一瞬、出て行こうかと思ったけど、あの状態の槇寿郎様と千寿郎君を残しては行けない、と思い止まった。

二人だって、今や私の大事な家族だ。置いて行けない。放っておけない。
この家に残ることが、私の心を削る行為だとしても。


*****


炭治郎君が訪ねてきてから、槇寿郎様と千寿郎君は徐々に元気を取り戻していった。

私の体調は、悪くなる一方だった。

息が苦しくなって、胸が痛くなって、吐き気や頭痛を催すことが多くなった。

きっと、体が拒否反応を起こしているのだろう。
二人がもう少し元気になったら、いよいよこの家を出て行った方がいいかもしれない。

そんなことを考えていると、隠の人が訪ねてきた。
彼は何か言いたそうにして、しかし何も言わずに、封筒を私に差し出してきた。

「何ですか、これ?」

尋ねながら受け取る。封筒には、杏寿郎さんの字で私の名前が書いてあった。

「遺書です。貴女宛の」

隠の人の返答に、私は息を詰まらせた。
だって、杏寿郎さんの遺書なら槇寿郎様と千寿郎君と一緒に読んだし、最期の言葉も彼の今際の際に聞いた。

私宛の言葉も、既に受け取っている。『次の炎柱は君だ』って。遺書に書いてあったし、あの日も同じ事を言われた。

私の力を認めてくれて、託してくれた。それには応えたいが、これ以上思い出を作りたくない。
そう思って、封筒を隠の人に突き返す。

「要りません」
「えっ……ど、どうして……これは、貴女のためだけに、煉獄さんが遺したものなんです!」

それが、要らないというのに。私は小さく溜め息を吐く。

隠の人は、おろおろしながら聞いてもいないことを話し始めた。

この遺書は、杏寿郎さんが死んでから数ヶ月経っても、私が立ち直れないときに渡すよう言われていたこと。だから、今頃になって持ってきたこと。お館様も、私がこれを読むことを望んでいるということ。

そこまで聞いて、私は再度溜め息を吐いた。

「申し訳ありませんが、私にとってお館様はそれほどの方ではないんです」

お館様が望んでいるからなんだって言うのか。皆、彼に陶酔しすぎだ。

私もお館様のことは尊敬しているけど、杏寿郎さんより大切な人は居ない。そんな大切な人が居ないという現実が辛いから、もう杏寿郎さんのことは忘れたいのだ。

私は踵を返して、隠の人に背を向ける。

「ま、待ってください! 待って……」

隠の人の困惑した声が聞こえたけど、構わず歩き始める。
すると、かさかさという音が聞こえてきた。
その、直後。

「『君を置いていってすまない。しかし、深月はもう一人じゃない』」

思わず、足を止めて振り返った。
隠の人が封筒を開けて、杏寿郎さんの遺書を読み上げているようだ。

「『父上も千寿郎も、深月の家族だ。仲間もたくさん居るだろう』」

やめて、と言いたいのに、声が出なかった。
隠の人が近付いてきて、杏寿郎さんの遺書を私の前に広げて見せ、こう言った。

「最後の言葉は、ご自分で読んでください」

そのせいで、つい遺書の最後の文を読んでしまった。

『辛かったら鬼殺隊を辞めてもいい。ずっと愛している。一人の女性として、どうか幸せに』

最後の最後まで、私のことを想ってくれての言葉だった。

私は震える手で、遺書を受け取った。
こんなものを遺して、私が幸せになれると思っていたのだろうか。

これのせいで、私はもう杏寿郎さんを忘れられない。彼が居ない世界で、生きていかなくてはいけない。

辛い。苦しい。悲しい。やっぱり涙は出ない。
でも、今までとは違う感情が、心の隅に居座るようになった。

「私も、ずっと愛しいます」

小さく呟いて、杏寿郎さんを想う。

彼の笑顔が好きだった。怒った顔も、元気な声も、優しさも、強さも、ちょっと話を聞かないところも、全部全部好きだった。

いや、今も好きだ。これからもずっと好きだ。
もう二度と、杏寿郎さんに愛を伝えることはできないけど。

彼が生きていることが、彼に気持ちを伝えられることが、それだけで充分幸せだった。
失ってかた気付いたところで、もう遅い。

ああ、憎いなあ。

隠の人が「ヒッ」と上擦った悲鳴を上げたけど、あんまり気にならなかった。
ただただ、私の中でぐるぐると感情が渦巻く。

憎い憎い憎い憎い。
杏寿郎さんを殺したあの上弦の鬼が。
彼を守れなかった自分が。

私の願いは、たった一つ。
あの上弦の鬼を殺して、私も杏寿郎さんの元へ行くんだ。
杏寿郎さんの遺書の通り、私が幸せになるにはそれしかない。

「ふふっ」

大きな目標ができて、思わず笑みが溢れた。
笑ったのはいつぶりだろう。

どうやら、私は一部の感情を表に出す術を思い出したらしい。
そのせいで、隠の人がガタガタと震えているけど……まあ、いいか。

「すぐに追い掛けますからね。杏寿郎さん」

彼が居るであろう、澄んだ青い空に向かって呟く。


*****


これが間違っていたと気付くのは、もっとずっと先のお話。





 




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